第12課 サタンと盟友 3月23日
暗唱聖句
「わたしはまた、天から別の声がこう言うのを聞いた。『わたしの民よ、彼女から離れ去れ。その罪に加わったり、その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神はその不義を覚えておられるからである』」黙示録18:4、5
今週の聖句 黙示録17 章、エレミヤ51:13、出エジプト記28:36~38、黙示録13:1~8、黙示録13:18、黙示録16:2〜12
今週の研究
私たちは、黙示録16:19 が終末時代のバビロンの政治的崩壊だけを告げていることを覚える必要があります。黙示録17 章と18章は、実際この崩壊がどのように起こるのかを教えています。終末時代のバビロンの崩壊と、その衰退の理由を記す前に(黙17:12~18:24)、黙示録17章は、終末時代のこの背教の宗教制度を、今回は、赤い獣にまたがっている淫婦という言葉で表現しています(同17:1~11)。娘たちと協力して、赤い獣にまたがっている淫婦バビロンは、神に逆らうようこの世を誘惑します。
月曜日:黙示録17:3を読んでください。幻の中でヨハネが荒れ野に連れて行かれたとき、彼は赤い獣の上にいる女を見ます。淫婦が宗教的集団をあらわす一方で、獣は政治的勢力を象徴します。宗教が世俗的、政治的勢力にまたがっているという光景は、二つの別個の集団を指し示しています。その別個の集団は、宗教と政治が一体化していた過去におけるものとは違う何かです。しかし預言は、これら二つが終わりの時代に結びつくことを示しています。獣にまたがるというのは支配を意味しており、終末時代のこの宗教制度は、獣に乗る者として、世俗的、政治的勢力を支配します。
火曜日:黙示録17:3は、黙示録13章の海の獣と似た言葉で赤い獣を説明しています。海の獣は、神の民と戦い、勝ちました(黙13:5~7)。この比較的初期の迫害が原因で、女は、西暦538 年から1798 年までの預言的1260日(年)間、荒れ野へ逃げ込みました(同12:13、14)。教会合同運動の時代に生きてはいますが、プロテスタントたちは過去の激しい迫害を今も覚えていたほうがよいでしょう。なぜなら、預言によれば、同様の(ただし、一層ひどい)ことが再び起こるからです。
木曜日:10人の王に関して、さまざまな解釈がなされてきました。しかし黙示録は、彼らがだれであるかを述べていません。この聖句から私たちが引き出しうるのは、終わりの直前にあらわれる短命な政治的同盟であり、淫婦を支持しているということだけです。その数は、諸大国がまったく揺るぎない忠誠を獣に示すであろうことを意味しています。
黙示録17:13、14は、簡単に言えば、黙示録16:12~16で紹介されたハルマゲドンの戦いを再び述べています。竜、海の獣、偽預言者と連動して奇跡を行う悪霊の勢力にそそのかされ、世界規模の政治的同盟が小羊と戦います。言い換えれば、ハルマゲドンの戦いは、中東での軍事的戦いではなく、サタンとその同盟がキリストとその天使の軍団に立ち向かう、再臨の際の最後の争いです。
今週は、黙示録16章の最後あたりから18章までを学びます。ここで学ぶのは再臨の前に起こる最後のできごとについてです。ダニエル書や黙示録前半の預言の学びは、これまでに起こったことについて預言の解釈なので、比較的理解がしやすいかもしれません。けれどもこれから起こることについては、仮に現在進行していることが、はたして預言されている、どのあたりのことを指しているのかわからないので、果たしてこの解釈で正しいのか、終わってみなければわからないのです。
黙示録での預言について考える時に、まず忘れてはならないことは善と悪との大争闘なのです。目に見えない世界において神さまの勢力と悪の勢力が、一人でも多くの人を導こう、あるいは惑わそうとしている戦いなのです。そこでわたしたちができることは、惑わされることなく正しい選びをすることです。
キリストの弟子であったペテロは、十字架の前に主を愛すると言っていながら、その夜にわが身をかばうばかり三度知らないと言ってしまったように、わたしたちもどのような誘惑や迫害がやってくるかわかりません。けれどもその中において、神さまを愛して従って行きたいですね。