第11課 サタンと盟友 3月16日
暗唱聖句
「主よ、だれがあなたの名を畏れず、たたえずにおられましょうか。聖なる方は、あなただけ。すべての国民が、来て、あなたの前にひれ伏すでしょう。あなたの正しい裁きが、明らかになったからです」 (黙示録15:4)
今週の聖句 黙示録15:1、7:1~3、16:1~12、17:1、黙示録16:16、Ⅱテサロニケ2:9~12
今週の研究
最後の七つの災いは、再臨の直前に注がれます。災いは、ファラオのように、神の贖いの愛に対して心をかたくなにし、悔い改めない人たちに注がれます(黙16:11 参照)。神の怒りは、人々が行った選択に対する正しい裁きであり(ロマ1:26~28 参照)、滅びる者たちは、自らの選択の結果を刈り取るのです。
月曜日:最初の四つの災いは、「全世界的なものではない。さもないと、地上の住民はまったく滅ぼされてしまうであろう」(『希望への光』1905 ページ、『各時代の大争闘』下巻404 ページ)。第一の災いは、獣を礼拝する者たちだけに悪性の腫れ物を生じさせます。第二、第三の災いは、海、川、水の源に影響して、それらを血に変えます。飲み水がなくなれば、反抗的な人類は生き残れません。第四の災いは太陽に影響し、太陽は人々を火で焼き、耐え難い痛みを引き起こします。
災いによって与えられた耐え難い痛みは、正しくない人間の心を和らげることも、その反抗的な態度を変えることもありません。それどころか、この災いを下された神をのろい、冒瀆します。悔い改めることをしません。 私たちは黙示録16:10、11 において(出10:21~23も参照)、第五の災いが獣の王座を撃つのを見ます。その王座を獣に与えたのはサタンでした(黙13:2)。今やサタンの権力の座さえもが、これらの災いの力に耐えることができません。人々は痛みに苦しみながら、バビロンが彼らを守れないことに気づきます。しかし、彼らは神に敵対する決心をすでにしてしまったので、災いの恐怖もその心を変えることがありません。
火曜日:第六の災いの場面は、ペルシアのキュロスによる古代バビロンの占領を反映しています(ダニ5章参照)。古代史家ヘロドトスによれば、ベルシャツァル王と役人たちが宴会をしていた夜に、ペルシア軍はユーフラテス川を迂回させ、川床に沿ってバビロンへ入り、町を急襲しました。
黙示録16:12においてユーフラテス川の水が象徴的にかれたことが、結果的に終末時代のバビロンに滅亡をもたらします。黙示録の中のユーフラテス川は、バビロンを支持するこの世の社会的、世俗的、政治的勢力をあらわしているので、ユーフラテス川の水がかれることは、彼らの支持の撤回と、(バビロンの滅亡を引き起こした)それに続くバビロンへの攻撃を象徴しています。
この世の人々は、自然界の激変を目にして(黙16:3~9参照)バビロンに保護を求めて頼ります。しかし、第五の災いがバビロンの権威の座を打つので、バビロンに助けを求めることが無益だとわかるのです(同16:10、11)。欺かれたと感じた彼らはバビロンに背を向け、それによってバビロンは滅亡します(黙17:16)。しかし、すでに述べたとおり、彼らの心は神と神の民に対してかたくななままであり続けます。従って、彼らは最後の惑わしの温床となり、その惑わしによってサタンは、一致して神の民に対抗するようこの世を引き寄せるでしょう。神の民を地上から一掃するためです。
水曜日:恩恵期間の終了に至る終末の諸事件を通して、すべての人は、ハルマゲドン¥の戦いにおいて二つの陣営のどちらにつくかを選択するように導かれます。この霊的戦争の前触れとして、ヨハネは、蛙のような三つの悪霊を見ます。サタンの惑わしの最後の試みには、うそをつく悪霊が関わっています。
竜(異教徒心霊主義)、海の獣(ローマ・カトリック教会)、偽預言者(背教のプロテスタント教会)が、サタンの指揮のもとに連合します(黙13:11、12 参照)。サタンは、小羊に似た獣が奇跡的なしるしを行えるようにしますが(黙13:13 ~17 参照)、そこには悪霊の働きが含まれます。奇跡的なしるしは、サタンによる終末時代の惑わし戦略の一部であり、この世を説得して真の神にではなく、彼に従わせようとします。
神と神の真理に対する憎悪で分別を失ったこの世の指導者たちは、サタンのうそをたやすく信じます。そのうそは、好ましい宗教的装いの中に隠されているのです(Ⅱテサ2:9~12)。最終的に彼らは、この世の終わりにつながる最後の戦いにおいて結束します。
今週は、七つの災いについて学びます。七つの教会、封印、ラッパは歴史の流れについての預言ですが、七つの災いは終末に関する預言で、それまでの預言とはまったく異なります。この預言については、黙示録の中でわたしたちがあまり読んでいなかったり、理解をしていない預言かもしれません。
いくつか基本的なことを再確認をします。まだ七つの災いの預言は成就をしていません。これはキリストの執り成しが終わり、神の印が押された後に起こることです。この災い終わった後にキリストの再臨があるのです。
内容を見ていると、月曜日の引用文にもありますが全世界的な災いだったら、地上の人間がすべて滅ぼされてしまうとあります。これはほんとうに厳しいことが起こるのではないかと思わされます。再臨の情景などが描かれいるのを見ると、生きて再臨をお迎えしたいと思いますが、そこに至るまで想像以上に厳しい災いを通らねばならないと預言されています。
けれども大切なのは、毎週同じことを述べていますが、黙示録では「誰を信じ、礼拝をするか」が問われているのです。災いについて考える時に、わたしたちができるのは誰にすがるのか、正しい選択をするしかありません。そして最後に、このような災いを耐えられそうにない者は、神さまが最善を備えてくださり、きっと先に眠りにつかせてくださると信じています。