第10課 サタンと盟友 3月9日
暗唱聖句
「ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である」 黙示録14:12
今週の聖句 黙示録14:6~12、マタイ24:14、コヘレト12:13、14、出エジプト記20:2~11、イザヤ21:9、34:8~10
今週の研究
黙示録は、サタンの終末の惑わしが成功し、この世が獣を拝むことを選び、その刻印を受けるであろう、と教えています。しかし黙示録14:1~5は、神が御自分の残りの民を持っておられ、彼らは、この世の大半が主を支持しないときにも主を支持するだろう、と述べています。
最終的に人々は、拝むか拝まないかではなく(すべての人が常に何かを拝んでいます)、だれを拝むかを選択しなければならなくなるでしょう。獣を拝む者たちは、彼らの右手か額に刻印を押されますが、それは、行為と思いによってこの背教の制度に仕える選択を彼らがしたことを象徴します。
日曜日:黙示録14:6 をマタイ24:14と一緒に読んでください。第一天使のメッセージは「永遠の福音」(黙14:6)と呼ばれていますが、終末時代の最初のメッセージは、この世に訪れた神の裁きの時という状況下における福音の宣布です。福音とは、神に関する良い知らせであり、この神が、イエス・キリストに対する人間の信仰と、人間のためのキリストの業に基づいて救ってくださいます。その福音が「永遠」であるのは、神が変わらないからです。神の御計画は、人間が存在する前に立てられました(Ⅱテモ1:9、テト1:2)。第一天使のメッセージには、救いと裁きの両方が含まれています。それは、神に栄光を帰し、創造主として礼拝する人たちにとっては良い知らせですが、創造主と、真の礼拝のしるし(第七日安息日)を拒む人たちにとっては、裁きの警告でもあるのです。
三天使のメッセージは、サタンと彼の終末時代の盟友たちに対抗するために、神の民によって宣べ伝えられます。その盟友たちとは、異教の信仰や心霊術を象徴する竜、ローマ・カトリックを意味する海の獣、アメリカ合衆国内の背教プロテスタントをあらわす偽預言者、つまり小羊に似た獣です(同13章)。これらは、第六の災いの時に至るまで、ずっと活動します(同16:13、14)。この世は、地上の人々の忠誠を得ようとする目的を持った二つの対立するメッセージを提示されるのです。
月曜日:神を畏れるというのは、神を恐れることではなく、神を真剣に受け止め、私たちの生活の中に御臨在されるのを認めることです。終末時代の神の民は、神を畏れる民です(黙11:18、19:5 参照)。神は、御自分の民が神を愛し(申11:13、マタ22:37)、神に服従し(申5:29、コヘ12:13)、神の御品性を反映すること(創造22:12)を強く願っておられます。
黙示録14 章における裁きは、福音の一部です。神と正しい関係にある人たちにとって、裁きは良い知らせであり、それは雪辱、救い、自由、永遠の命を意味します。しかし不忠実な人たちにとって、それは悪い知らせです。もし彼らが悔い改め、終末時代(裁きの時)のこのメッセージを受け入れることで神に立ち帰らないとしたら……。神は、1人も滅びないで、皆が悔い改めることを望んでおられます(Ⅱペト3:9)。
木曜日:火と硫黄で苦しめられるという言葉は、完全に滅ぼすことを指しています。火と硫黄は、裁きの道具です(創19:24、イザ34:8~10)。立ち上る滅びの煙は、聖書でよく使われる比喩です。イザヤは、火と硫黄によってエドムが滅びることを預言しました。エドムは「ピッチとなって燃え上が(り、)夜も昼も消えることなく/とこしえに、煙を立ち昇らせ(る)」(イザ34:10)。ユダは、ソドムとゴモラの運命を「永遠の火の刑罰」(ユダ7)による苦しみと表現しています。これらの聖句は、永遠に燃え続けることを述べているのではありません。なぜなら、いずれの町も現在燃えてはいないからです。結果が永遠なのであって、燃えることが永遠なのではありません。黙示録における「永遠の火」は完全な滅びを指しているのであって、燃えるのは、燃える物がなくなるまで完全に破壊し尽くす間のことです。
金曜日:神の最後のメッセージを宣布することは、結果として、この世の人々を二つの陣営に分ける大きな分離をもたらします。神を愛し、神に服従する人たちと、獣に従い、獣に服従する人たちです。この区別は二つの収穫、すなわち倉に穀物を刈り入れることと(黙14:14~16)、搾り桶で踏むためにぶどうを取り入れること(同14:17~20)によって説明されています。この最後の分離が、黙示録17 章、18 章の主題です。
先週と先々週、二週間で悪魔とその働きを助ける二つの組織について学びました。彼らは一致して、まことの神さまでない別の礼拝をする対象を設け、それを礼拝させようとしています。それが日曜礼拝かもしれません。またギャンブルなどの快楽や欲望を刺激すること、お金が人生のすべてになったり、さまざまな神さま以外の礼拝すべき対象を設け人々を惑わしています。それを受けて今週の14章の学びとなります。
黙示録の教えは「ほんとうに礼拝」をするように、これがメッセージなのです。第一天使の使命は訴えは、まさにほんとうの礼拝をすることなのです。そしてあとの二人の天使が伝える「大いなるバビロンは倒れた」、「火と硫黄で苦しめられる」とのメッセージは、偽りの組織は最後に倒される、また最後の裁きがあるというメッセージで、これは神さまがなさることです。わたしたちができることは、まことの礼拝をすること、正しい礼拝すべき対象を選んで礼拝をすることなのです。黙示録14章では、わたしたちにこのことを伝えるように求められているのです。
その中心になるのが第七日安息日であると教えられています。けれども先週の学びとも関連しますが、現時点で第七日安息日が、まことの礼拝の試金石となるような事態が何か起きていないと思っています。おそらく今後、何らかのかたちで、土曜日を礼拝するかそれとも日曜日か、を問われる時がやってくるのではないかと、わたしは考えています。だからと言ってそれまで待つのではなく、安息日の真理を知っているわたしたちは、神さまのみことばに従って礼拝をして行かねばなりません。