安息日学校部

第9課 聴覚しょうがい者用:寺内 三一

2020年第1期「ダニエル書」(主イエス・キリストの愛と品性の啓示) 

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第9課  汚れから清めへ  寺内 三一

 

1.安息日午後:今週のテーマ

今週はダニエル書8章の学びです。

ダニエルは、2章でネブカドネツァル王の見た巨像の夢(金の頭~銀の胸と腕~青銅の腹と腿~鉄と陶土のすねと足の夢)を説き明かしました。そして7章で、2章の夢と関連している4匹の獣の幻(獅子、熊、豹、恐ろしい獣)を見ました。ダニエルは、さらに2年後に7章に関連している幻(雄羊と雄山羊と小さい角の幻)を見たのです。これはダニエルが幻を見たというより、神様が幻を見せたのです。ダニエルは神様が与えようとしている幻を見る「霊の目」を持っていたのです。私達も神様が与えようとしておられる祝福と導きを見逃さない「霊の目、信仰の目、愛の目」を確かにしていきたいと思います。

8章の幻は、2章や7章の幻と違い、金の頭であり獅子であるバビロンを省いて、次のメディアとペルシャから始まっています。それは8章の当時はバビロンが衰退しペルシャがバビロンに置き変わろうとしていたからです。神様はいつも、その時その時代にふさわしい導きをされるのです。

7章では、世界の歴史と神様の裁きについて示されています。8章では、7章の内容に関連して、さらに広め、深め、高めて、天の贖罪日との関連で天の聖所の清めに焦点をあてています。

7章が、天の裁きの法廷と王権を受ける人の子(イエス様)を示しているのに対して、8章では、天の聖所で大祭司として罪人の執り成しをしておられる人の子(イエス様)を示しています。

7章と8章には(次の9章以降も関連していて)世界の歴史は神様が背後で導かれ支配されていて、最終的には神の永遠の国が来るという裁きと救いの希望が示されているのです。

 

2.日曜日:雄羊と雄山羊

ダニエル2章と7章と同様に、8章には世界の歴史の大きな国の興亡が示されています。

8章では、雄羊と雄山羊という象徴が用いられています。それは雄羊も雄山羊も贖罪日の聖所の奉仕で、いけにえの動物として用いられたからです(レビ記16章)。8章の焦点が、聖所の贖罪日であるので意図的に雄羊と雄山羊が選ばれているのです。

雄羊はメディアとペルシャの帝国を表しています。雄羊が三つの方角(西、北、南)に突進しているのは、メディアとペルシャの帝国が征服した主要な三つの征服地を示しています。

次に大きな角を持つ雄山羊が登場します。これはアレクサンダー大王によるギリシャ帝国を表しています。雄山羊は「非常に尊大になったが、力の極みで角は折れ~4本の角が生えた」とは、アレクサンダー大王が33歳で亡くなり、帝国はその後4人の将軍たちが分割した事を示しています。

 

3.月曜日:小さな角が生え出る (8:8~12)

4本の角が天の四方に向かった後に、その一つから小さな角が生え出ました。この小さな角はギリシャ帝国と4つの枝分かれした国々の後に生え出るので、ローマであると理解できます(最初はローマ帝国~異教ローマ、のちに教皇制ローマ~ローマカトリック教会)。

小さな角はまず、水平方向へ動き「非常に強大になり、南へ、東へ、更にあの『麗しの地(神様の都エルサレムのあるイスラエルの地)へと力を伸ばし』(8:9)とあるように、ローマ帝国が征服し支配を広げた地域に相当します。

次に小さい角は、垂直方向へ(上へ)、神様の支配する天へまで、神様に代わろうとするように力を伸ばします。それは7章の小さい角とよく一致しています。最初は小さく、後に大きくなります。敵対する者を迫害し、うぬぼれが強く冒涜的です。神の民を標的にします。活動が預言によって説明されています。そして、超自然的な破滅に直面します。7章の小さな角がローマ教皇制をあらわしていますので、8章の小さい角も同じローマ教皇制を表しているのです。

 

4.火曜日:聖所への攻撃 (8:10~12)

小さい角は、8:10に「天の万軍に及ぶまで力を伸ばし」とあるように、ノアの洪水の後に神様の言葉を信じないで、バベルの塔を建てた者たちと同じように神様に対抗しようとします。「万軍つまり星(である神の民)・・を踏みにじ」るとあり、神の民を迫害します。ローマ帝国は、紀元70年にエルサレムと神殿を破壊し、110万人のユダヤ人が殺害されました。また、ローマ皇帝への礼拝を拒んだ多くのクリスチャンが殺されました。ローマ教皇制(カトリック教会)が力をふるっていた中世には、カトリック教会に従おうとしない多くの者を宗教裁判にかけ火刑にしたのです。

8:11には「天の万軍の長(イエス様)にまで力を伸ばし、(聖所の)日ごとの供え物を廃し、その聖所を倒した」とあります。これは天の聖所で救いのために大祭司として執り成しておられるイエス様の役割をあいまいにして奪おうという働きです。聖所で罪人が赦され罪が裁かれ処理されるのは、キリストの大祭司としての執り成しによります。しかし教皇制は、キリストの執り成しを人間の司祭(神父)の執り成しに変えて、司祭(神父)への罪の告解(告白)によって罪が赦されるとしました。また仲保者をイエス様ではなく、イエス様の母のマリアとしてマリアに祈りをささげるようにさえしたのです。いずれも聖書を土台にした教えではありません。

また「(小さな角は)・・真理を地になげうち、思うままにふるまった」(8:12)とあります。聖書を司祭だけに読ませて、信徒には読ませないようにラテン語聖書を用いました。教皇(法王)は神の代理であり、間違う事はないとの法王無謬説を唱えました。そして、聖書だけではなく言い伝えも信仰の規範としたのです。

 

5.水曜日:聖所の清め (8:14)

小さな角の攻撃の後、8:14に「聖所はあるべき状態に戻る(聖所は清められる)」とあります。この8:14の「聖所の清め」は、7:9~14の(罪の)裁きの場面と関連しています。神様の人間への介入を、7章は罪の裁きの観点から、8章は聖所の観点から描写しているのです。

地上の聖所は、天の聖所をまねたものです。毎日、罪人はいけにえ(動物)を聖所に連れてきました。罪人の身代わりに動物の血が流され、罪人の罪が裁かれ罪が赦されるのです。毎日の動物の流された血の結果、聖所は汚れます。その罪を清めるために、1年に1回、贖罪日があるのでした。

真の聖所である天の聖所では、動物の血ではなく、真の救いをもたらす神の小羊であるキリストの血によってのみ、裁きを切り抜けることができるのです。真の大祭司であるキリストの執り成しによってのみ私達の罪が赦され救われるのです。

 

6.木曜日:預言の予定表 (8:13)

8:13に「この幻、すなわち、日ごとの供え物が廃され、罪が荒廃をもたらし、聖所と万軍とが踏みにじられるというこの幻の出来事は、いつまで続くのか」との質問があります。その答えが、8:14に「日が暮れ、夜の明けること二千三百回に及んで、聖所はあるべき状態に戻る(口語訳:二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する)」とあります。この預言の期間は、「1日は1年の原則」に基づいて2300年となります。

8章には、2300年の期間だけが記されていますが、その始まりは9章に記されています。

このように神様は、真理を少しずつ示して下さるのです。私達も神様が示して下さる真理と祝福と導きを、その時一つずつ見極め、受け入れ、積み重ねていきたいと思います。

 

7.金曜日:さらなる研究

2章、7章、8章の三つの章の間には類似点があります。世界の王国が次々に現れ、衰退し、神様を冒涜する「小さい角」が現れて、裁かれて、最後には永遠の神の国となるのです。

三度示されるというのは、間違いなく起こるという事です。また、「定められた時には終わりがある」(8:19)とあるように「何事にも時がある」(コへレト3:1)のです。罪が裁かれる時が最後にあるのです。罪がなくなる事は神様によって定められているのです。神を信じる者には「キリストの再臨による天国の希望があるのです。

世界の歴史は人間が動かしているように見えても、実は神様が支配しておられるのです。私達の人生も神様が導いて下さっています。私達一人一人にとって確かな事は、歴史の最後に裁きがある事と、キリストの再臨の時には永遠の報いがあるという事です。

私達の日々の選択が自分の永遠の救いをもたらすという厳粛な日々を私達は今過ごしているのです。また、「イエス様の愛の十字架は、私のためのものです。イエス様は私を愛して下さっています。イエス様の十字架の愛を信じる事で私は救われているのです。イエス様、感謝します。イエス様の再臨を希望をもって待ち望みます。」と「信仰と希望と愛」の思いで生きる「アドベンチスト(再臨信徒)」にとって裁きは恐ろしくはありません。「愛には恐れがない」のです(ヨハネ第1、4:18)。インマヌエル(神は我々と共におられる)との名前を持つイエス様と共に歩む時に、イエス様の御名で祈る時に、私達には、魂の平安と救いの喜びと感謝と希望が共にあるのではないでしょうか。

 

8.話し合いのための質問

・ダニエル書8章は、あなたにとって希望のメッセージとなっていますか?

・「聖所が清められ、元の状態に回復される時が定まっている」という事は、現在の困難や試練を支える希望になりますか? エデンの園の回復の希望、あなたが天国で朽ちない栄光の体に変えられる「栄化」の希望(再臨信仰)とつながっていますか?

・「神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要である。」(ヘブライ10:36)とあります。聖書の確かな預言と、私達の罪の赦しのために神の小羊となって下さったイエス様、罪を執り成して下さる大祭司としてのイエス様を知る事で、天国を持ち望む忍耐は増し加わっていますか?