第9課 命の源 廣前 早輝人
1.安息日午後
【暗唱聖句】
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネによる福音書14:6、新共同訳)
イエス様はご自身が神であることを示され、また命を与えるものであることを教えられました。そのイエス様が地上に来てくださり、私たちに「道、真理、命」を与えてくださいました。私たちが永遠の命に預かる(をいただく)ために、また他の人々を導くために何ができるでしょうか。
2.日曜日:言の内に命があった
「1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。2この言は、初めに神と共にあった。3万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。4言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。5光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(ヨハネによる福音書1:1-5、新共同訳)
神であるイエス様は、被造物ではなく創造主(誰かに造られた存在ではなく、ご自身の力で初めから存在している)であり、命を捨てるも与えるも自由にできる力を持っておられます。そのイエス様は、私たち人間の救いのために地上に来てくださいました。人間の罪の身代わりとなり、命を与えてくださいました。私たちはイエス様を通してのみ暗闇から抜け出すことができるのです。
3.月曜日:永遠の命の言葉
「68主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。69あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」(ヨハネによる福音書6:68,69、新共同訳)
主が語られる御言葉は私たちの霊的な必要を満たしてくれます。主ご自身が命であり、与え主だからです。それによって私たちは信仰の賜物を得ることができます。
信仰も命も、私たち自身の力で得られるものではありませんが、意識的な献身は必要です。主に従う者として日々御心に適う選択をしましょう。
4.火曜日:信じることと新たに生まれること
「この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。」(ローマの信徒への手紙8:16、新共同訳)
私たちは聖霊の導きにより、主に対する信仰を得ることができるようになります。聖霊は私たちの信仰を支え、理解を深め、キリストに似た者へと成長させてくださいます。サタンのあらゆる誘惑や攻撃にもゆらぐことのない(不安な気持ちにならないこと)確かな信仰を祈り求めましょう。
5.水曜日:命の源を拒絶する
「10言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。11言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」(ヨハネによる福音書1:10,11、新共同訳)
イエス様は人の救いのために来られ、その救いを必要とする人々に拒絶されました。信仰は疑いからではなく、信頼によって得られるものです。主の御言葉をありのままに受け入れることは誤った聖書理解を遠ざけます。
6.木曜日:裁き
「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネによる福音書3:36)
罪は神様の正しい理解を損なってしまいました。私たちは完全に神様を理解することはできません。何が正しく、何が御心であるかを確認し、光の道から逸れることのない(離れないこと)ように気をつけましょう。イエス様がそうであったように御言葉によって戦うことが、サタンに打ち勝つ唯一の方法です。
7.金曜日:さらなる研究
「当然キリストが受けられるべき取り扱いをわれわれが受けられるように、キリストはわれわれが当然受けるべき取り扱いを受けられた。」(『各時代の希望』第1章)
イエス様は私たちが受けるべき苦しみを代わりに受けてくださり、主の栄光を私たちに与えてくださいました。その栄光を反映できている(鏡のように映せる)でしょうか。主の大きな愛を受けた者として、他の人々に愛を示していくことができれば幸いです。
<話し合いのための質問>
★科学と聖書の矛盾点があるでしょうか。また、そのような問題とどのように向き合うことができるでしょうか。
★あなたが主を信じる根拠は何でしょうか。人々へ証しすることができるように整理しておきましょう。