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第8課 教育とあがない 眞田 治
1.安息日午後
聖書を読むと、神さまのことが分かります。そして、聖書を読むと、神さまの恵みが分かります。私たちは聖書を学ぶと、恵みについて知ることができるのです。
私たちはお金を払って恵みを買うことはできません。私たちは、がんばって恵みを手に入れることもできません。人間が何もしなくても、神さまは恵みをくださるのです。神さまは、どんな人にでも恵みを与えたいと思っておられます。
キリスト教の教育では、恵みについて必ず教えなければなりません。今日から金曜日までの1週間は、キリスト教を学ぶ人にとって一番大切な、恵みについて学びます。
2.日曜日:「神にかたどって」
旧約聖書の創世記1章26、27節を読んでみましょう。「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。』神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」
創世記1章27節には、人間は神にかたどって創造されたと書いてあります。「かたどる」という言葉は、同じように造るという意味です。神さまは、人間を神さまと同じように造ってくださいました。神さまは、人間を神さまに似たように造られました。では、どういうふうに同じなのでしょうか。神さまと人間は、どこが似ているのでしょうか。
神さまと人間は、愛することが似ているのです。神さまが愛するのと同じように人間も愛することができます。
神さまが人間を造られたとき、神さまは人間に「すべてを支配させよう」とか「治めさせよう」とか言われました。「支配」とか「治める」とかいう言葉は、元々は、「クツを脱いで裸足になって、畑を踏みしめる」という意味なのだそうです。もう畑に種をまいても良い時期か、まだ種をまくのには早すぎるのかを、クツを脱いだ自分の両足で土を踏んで確かめるのです。畑の土が温かく、やわらかければ、もう種をまいても良い時期ですが、まだ冷たかったり固かったりすれば、まだ種をまくのには早すぎます。畑を大切にし、土を大切にし、畑にまく種を大切にして、種が成長して実る作物を大切にすることが、「クツを脱いで裸足になって畑を踏みしめる」ことによって示されます。聖書が教えている「支配」とか「治める」とかは、「大切にする」という意味です。そして、「大切にする」ことは「愛する」ことです。神さまと人間は、愛することが似ているのです。神さまが愛するのと同じように人間も愛することができます。
神さまは、人間が神さまを愛するために人間を造られました。神さまは、人間が周囲の人々を愛するために人間を造られました。神さまが造られた世界を人間が愛するために、神さまは人間を造られました。神さまが愛されるのと同じように、私たち人間も愛することができます。人間の愛は、今でも神さまの愛に似ています。
しかし、もっと似るようにしてくださるために、神さまは私たち人間を教育してくださいます。神さまは、たくさんのことを私たち人間に教えてくださいます。神さまが私たちに教えてくださるので、私たちは愛することができます。神さまは、どんな人にでも恵みを与えたいと思っておられます。私たちは、恵みによって愛することができるのです。
3.月曜日:先生としてのイエス
ヨハネ福音書3章1~3節を読んでください。
「さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。『ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。』イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。』」
ヨハネ福音書3章10節に、ニコデモは教師だったと書いてあります。ニコデモはファリサイ派で、議員で、教師でした。ニコデモは主イエスさまのことを「教師」と呼んでいます。主イエスさまはニコデモに教えました。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と、主イエスさまはニコデモに教えたのです。人は、神さまの恵みを信じることによって新しく生まれ変わることができます。神さまは、どんな人にでも恵みを与えたいと思っておられます。どんな人でも、神さまの恵みによって生まれ変わらなければ、神の国に入ることができません。主イエスさまは、神さまの恵みによって生まれ変わって神の国に入ってほしいと、ニコデモに教えられたのです。
主イエスさまは教師でした。主イエスさまは、教師であるニコデモに教える教師でした。主イエスさまは、先生に教える先生でした。
では、皆さんに質問します。
あなたが子どもの頃から今までに出会った「先生」や「教師」の中で、あなたがいちばん尊敬している人は、どの先生ですか? 小学校の頃の先生を、あなたは尊敬していますか? 中学校や高等学校の先生を、あなたは尊敬していますか? 教会で出会った先生を、あなたは尊敬していますか? あなたがいちばん尊敬している先生は、どんなことをあなたに教えてくださいましたか?
4.火曜日:モーセと預言者たち
テモテ第二の手紙3章16節を読んでください。今週の暗唱聖句ですね。
「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」(新共同訳聖書)
「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」(口語訳聖書)
テモテが『テモテ第二の手紙』を書いた頃は、弟子たちが新約聖書を書いている途中で、まだ新約聖書は完成していませんでした。テモテ第二の手紙3章16節に書いてある「聖書」というのは、旧約聖書のことです。旧約聖書は、人を教えたり、人を戒めたり、人を正しくしたり、人を救うために役に立つのです。
旧約聖書の最初の5つの本、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記は、「律法」と呼ばれます。十戒だけが律法ではなく、旧約聖書の最初の5つが「律法」です。旧約聖書のイザヤ書やエレミヤ書などは、「預言者の書」と呼ばれます。そして、旧約聖書の詩篇や箴言などは、「諸書」と呼ばれます。律法にも、預言者の書にも、諸書にも、人を教えたり、戒めたり、正しくしたり、救うために役に立つことが書いてあります。
旧約聖書も新約聖書も、神さまの恵みによって人間に与えられた神さまからの御言葉です。神さまは、どんな人にでも恵みを与えたいと思っておられます。どんな人でも聖書を読んで、どんな人でも恵みによって救われることを、神さまは願っておられるのです。旧約聖書も新約聖書も、恵みによって人を救うための、神さまからの手紙です。
5.水曜日:賢い男女
今日のタイトルは「賢い男女」ですね。男性でも女性でも、弱い人でも強い人でも、どんな人でも差別なく神さまから知恵をいただくことができます。神さまは、どんな人にでも恵みを与えたいと思っておられます。知恵は、恵みによって知ることです。「賢い男女」というのは、恵みによって知る知恵をいただいた男性や女性のことです。
列王記(上)5章9節を読んでください。「神はソロモンに非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになった」。
神さまはソロモンに、たくさんの知恵を与えられました。神さまは、たくさんのことを知っておられ、神さまは、たくさんのことを恵みによって私たち人間に教えてくださるのです。
旧約聖書の箴言には、知恵についてたくさん書いてあります。箴言1章7節には「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る」と書いてあり、箴言9章10節には、「主を畏れることは知恵の初め 聖なる方を知ることは分別の初め」と書いてあります。「主を畏れる」というのは、主なる神さまが本当の支配者であるのを知ることです。では、「支配」というのは、どういう意味でしたか。日曜日に学びましたね。聖書に書いてある支配というのは、大切にするとか愛するとかいう意味です。主なる神さまが私たち人間を大切にし、愛してくださると知ることが、「主を畏れる」ことです。主なる神さまが私たち人間を大切にし、愛してくださると知ることが、いちばん重要な知恵なのです。
6.木曜日:初代教会における教育
主イエスさまが弟子たちと一緒に過ごされた期間は3年半でした。3年半というのは、中学校や高等学校や大学で学ぶぐらいの期間ですね。中学校や高等学校や大学で学ぶぐらいの期間、主イエスさまは弟子たちと一緒に過ごされました。
ヨハネ福音書14章25節を読んでください。主イエスさまが話された御言葉です。「わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した」と書いてあります。主イエスさまは弟子たちと一緒に過ごされた3年半、たくさんのことを話されたのです。しかし、次の26節には、「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」と書いてあります。主イエスさまが十字架にかかって亡くなり、復活し、天に帰られた後で、主イエスさまは天から私たちに聖霊を送ってくださるようになりました。聖霊は、私たちにすべてのことを教えてくださいます。聖霊は、主イエスさまが話されたことを私たちに思い起こさせてくださいます。弟子たちは3年半、主イエスさまと一緒に過ごしましたが、私たちは主イエスさまと一緒に過ごしたことがありません。しかし主イエスさまが天から聖霊を送ってくださるので、主イエスさまが話されたことを私たちも思い起こすことができます。主イエスさまが天から聖霊を送ってくださるので、私たちはすべてのことを教えていただけます。
コリント第一の手紙2章11節には、「神の霊以外に神のことを知る者はいません」と書いてあります。神さまから送られる聖霊は、神さまのことを知っておられます。私たちは聖霊によって神さまのことを教えていただけます。私たちは聖霊によって主イエスさまのことを教えていただけます。神さまは、どんな人にでも恵みを与えたいと思っておられます。神さまはどんな人にでも恵みによって聖霊を送り、主イエスさまのことを教えようとしておられます。どんな人でも、主イエスさまを知ることができるのです。
7.金曜日:さらなる研究
主イエスさまの教えに、「大宣教命令」というのがあります。マタイ福音書28章18~20節です。「イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる』」。
主イエスさまは、「すべての民をキリストの弟子にしなさい」と言われます。弟子というのは、聖書の言葉を読んで、聖書の言葉を実行する人です。すべての人々が聖書の言葉を読んで実行するようにしなさいと、主イエスさまは言っておられるのです。すべての人々が聖書の言葉を読んで実行できるようになる理由は、主イエスさまが天と地の一切の権能を授かっているからです。主イエスさまに権能があるから、すべての人々がキリストの弟子になることができます。権能というのは、日曜日で学んだ「支配」と似た意味です。他の人々を大切にする力、他の人々を愛する力が権能です。主イエスさまは、他の人々を大切にし、他の人々を愛する力を持っておられます。だから、主イエスさまの権能によって、すべての人がキリストの弟子になることができるのです。
人間の力とは関係なく、神さまの力や主イエスさまの権能によって与えられることを、恵みといいます。神さまは、どんな人にでも恵みを与えたいと思っておられます。恵みによって、すべての人がキリストの弟子になることができます。主イエスさまは本物の先生です。主イエスさまは本物の教師です。そして、すべての人が主イエス・キリストの生徒になることができます。あなたもキリストの生徒です。あなたも、恵みによってキリストの弟子なのです。