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第7課 獅子の洞窟から天使の洞窟へ 山口 豊
1.安息日午後
5章の最後でバビロン帝国は滅びました。ネブカドネツァル王に示された主の預言は実現しました。新たにメディアとペルシャの連合王国が支配を始めました。ダニエルは引き続き新しい王に迎えられ120人の総督の上に立つ3人の大臣として仕事を始めました。獅子の穴から救われるお話は子どものお話としてよく用いられますが、私たちはここから何を学ぶでしょうか。
2.日曜日:妬む人たち
最初の罪は嫉妬から生まれました。十戒の中にもむさぼりを禁じる戒めがあります。嫉妬の中心には、自分を愛する心があります。自分を愛する心は罪につながります。ヨセフをうらやましく思ったヤコブの息子たちも、自分より人気のあるダビデをうらやましく思ったサウルも、罪を犯します。誰かをうらやましく思う時、主イエスが十字架で私たちに何を与えてくださったのかを考えましょう。
3.月曜日:ダニエルに対する陰謀
ダニエルに嫉妬した役人たちは、ダニエルが自分の神に忠実であることを発見しました。ダニエルが神に忠実であるがゆえに罪を犯すような法律を作ろうと思いました。ダニエルを認めていたダレイオス王がダニエルを殺すような法律を作るのは難しいものでしたが、役人たちはいい方法を思いつきました。新しくできた自分の王国の支配を強いものとするために、王を差し置いて神々や人に願い事をする人は獅子の洞窟に投げ込まれるという法律を王に提案しました。王は、自分を愛する心をおさえることができませんでした。そそのかされた王は、役人たちの提案を受け入れて勅令を出しました。王自身が発令した勅令は、王自身でも止めることができないというのは、当時のメディアとペルシャ当然のことだったようです。
4.火曜日:ダニエルの祈り
ダニエルは、ダレイオス王が勅令を発令したことを知っていました。罰せられないように、30日間祈るのをやめてもよかったですし、外から見えない場所で隠れて祈ってもよかったのです。ダニエルはそうせずにいつもと同じようにひざまずいて神に1日に3回祈りました。ダニエルは、エルサレムのために祈りました。自分の同胞たちのために祈りました。その祈りを中断したり、敵対者の悪だくみのために祈る姿勢を変えることをしませんでした。ダニエルは自分の信仰そのままに神に祈りました。
5.水曜日:獅子の洞窟
ダニエルは、異教の神を信じるダレイオス王に対して、自分の信仰を示しました。ダニエルの祈りが勅令を犯し、獅子の洞窟に投げ込まれることになったとき、王はそれを止めたいと思いました。王は、ダニエルの信仰を見て、「お前がいつも拝んでいる神がお前を救ってくださるように。」(17節)と言いました。
ダニエルはこの後、一晩中獅子の洞窟にいましたが、危害を加えられることはありませんでした。ですが、バプテスマのヨハネは、ヘロデ王につかまった後、首を切られて殺されます。神は、ある時は助け、ある時は助けられないのでしょうか。そんな時私たちは、イエスが十字架によって私たちに何を約束してくださったのかを思い出すべきです。私たちが聖書から学ぶことは、「神は、神の僕たちの傍近くに立っておられ、最後まで神の民を擁護され、敵対する勢力を拭い去ってくださるということです。」(副読本『21世紀のダニエル書講解』59ページ)
6.木曜日:正当性の証明
このことのあと、ダレイオス王はダニエルの信じる神をほめたたえます。このように言われたからといって、王が救われたか、救われてないかは考える必要はないと思います。王は、ダニエルの忠実な信仰によって証しを見ることで、ダニエルの信じる神を素直に称賛しています。
ダニエルの信仰により、神の正当性が明らかになりました。獅子の洞窟に投げ込まれたダニエルを守られました。この話のすぐ後には、イスラエルの民はエルサレムの神殿の修復を開始します。主イエスキリストが再び来られるとき、悪の勢力は滅び、私たちは神と共に永遠に過ごすようになります。すべては、神の確かな力を表しています。
7.金曜日:さらなる研究
ダニエル書はこの6章までが物語が中心となっており、7章から預言が中心になってきます。それでも、ダニエル書の中心にある教えは変わりません。神は私たちに救いをくださるということです。6章の、ダニエルに対する悪だくみは、私たちが終末時代に経験する神の永遠の律法を変更しようとしてくる勢力を例示しています。
終末時代に、ダニエルの姿勢から学ぶことは、神に対していつも忠実であることです。自分たちだけではなくて、私たちの周りにいる隣人たちと共に、約束の御国に帰る希望を実現できるように、ひざまずいて神に祈りましょう。
ディスカッションのテーマ
・誰かをうらやましく思うことは、私たちの霊的な生活にどんな影響を与えるでしょうか。
・迫害を受けている人たちは、必ず救われるのでしょうか。そうでない場合はなぜそうなのでしょうか。