第7課 預言の基礎(5月17日)小濱 守宏
1.安息日午後
[暗唱聖句]
そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」
(イザヤ6:8、新共同訳)
今週は、幻や神の言葉を預かった(預言)イザヤ、エゼキエル、モーセ、ヨハネたちから「神の玉座の間」について学びます。
2.日曜日:私を遣わしてください
イザヤが神の御座の幻を見た時、まるで暗い部屋に光が当たり、汚れがはっきり見える時の様に自分の罪や欠点がはっきりと見えてしまいました。イザヤは悲しい気持ちになり叫びます。
イザヤ6:5「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者・・・」と。幻は続きます。セラフ(天使)は玉座の間、天の聖所にある祭壇から炭火をとり、イザヤの唇につけました。その時、イザヤは、罪を赦されました。なんと素晴らしいことでしょう。イザヤの唇を通して「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」と神に伝えたのです。
質問:イザヤと同じように自分の罪に気づくにはどうしたらよいでしょうか。
3.月曜日:2人のケルビム(天使)
創世記3:24「こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。」ヘビの言葉を信じて神との約束を破り神から離れたという罪を犯した人が命の木の実を食べないように見張り番として2人のケルビム(天使)が置かれました。ケルビム(天使)は神聖な場所を守る役割を持っていました。なぜ、守るのでしょうか。それは、大切な場所だからです。大切な場所で何をするのでしょうか? 礼拝です。礼拝は、私たちにとってとても大切なのです。
質問:改めて礼拝の意味を考えてみましょう。
4.火曜日:燃える炭火のように
神が臨在される(いる)場所、契約の箱(玉座)とケルビム(天使)について、出エジプト25章ではこのように説明しています。17節「・・贖いの座を純金で作りなさい。・・」18節「・・ケルビムを贖いの座の一部としてその両端に作」り、とあります。また、神様はエゼキエル、イザヤ、ヨハネに炭火やケルビム(天使)、そして4つの生き物の幻を見せました。それぞれ、違った幻に見えますがどの幻も神の臨在(神がいること)とケルビム(天使)が登場します。ケルビム(天使)は炭火を使います。炭火を唇に付けられたイザヤは嘆き、悔い改めの告白をしました。
質問:皆さんは、炭火が必要ですか?
5.水曜日:ご自分の民の中におられる神
出エジプトの40年の荒野の旅で神はいつもイスラエルの民と一緒にいてくださいました。人が目で見て確認するために幕屋を作るように命じました。その周りにエゼキエルが幻で見た4つの生き物と同じような印が民数記2章にでてきます。
神は、大切な真理(神様のお考え)をいろいろな方法や手段を使って私たちに伝えます。大切なこととは、神が私たちを玉座に近づけようとしておられるということです。
6.木曜日:ルシファーの堕落
悪魔になったルシファーは、昔ケルブ(天使)という立場にいました。エゼキエル28:14「わたしはお前を/翼を広げて覆うケルブとして造った。・・」と書いてある通りです。神の玉座の隣りにいる高い身分でした。しかし、ルシファーは、神の栄光を表すのではなく、自分の凄さを示したくなりました。自分は、神よりも褒められる存在だという悪い思いが心からわき上がってしまったのです。
質問:皆さんは、相手をひどい目に合わせて思い知らせたいという気持ちになったことがありますか?
ルシファーと同じようにうらやましいという思いに支配されたことはありますか?
7.金曜日:さらなる研究
神は、ルシファーをすぐに滅ぼすことはしませんでした。なぜなら「私ルシファーは神様より偉い」という自己中心的な思いが生み出す罪の悲惨さ(悲しくて苦しむこと)を示す(理解させる)ためでした。
私たちもルシファーと同じ妬みを持っている者です。しかし、私たちがルシファーと違うのは、罪を認め神の贖い(福音)を受け入れる事ができることです。福音によって救われることです。
神は、預言、幻が書かれている聖書を通して、罪深い私たち(私自身)を玉座の間に招いています。神の大きな恵みに気づきます。礼拝は、心から湧き出る喜びと感謝を表現できる最高の時です。礼拝は、私たちの心が妬みと悲しみでいっぱいの心をすぐに喜びに変えてくれます。私たちは、黙示録14:6のような人「・・※永遠の福音を携え」る者です。
※永遠の福音を携える:自己中心的な私たちの心を清めて永遠の命を与えられる喜びを広める