安息日学校部

第7課 聴覚しょうがい者用 吉村 忍

2025年第3期「出エジプト記
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第7課  命のパンと水(8月16日)  吉村 忍

1.安息日午後
[暗唱聖句]
主はモーセに言われた。「あなたたちは、いつまでわたしの戒めと教えを拒み続けて、守らないのか。よくわきまえなさい、主があなたたちに安息日を与えたことを。そのために、六日目には、主はあなたたちに二日分のパンを与えている。七日目にはそれぞれ自分の所にとどまり、その場所から出てはならない。」民はこうして、七日目に休んだ。(出エジプト記16:28~30、新共同訳)
 
約束の国カナンを目指して旅を続けていたイスラエルの人々は、規律、自制心、犠牲、主への信頼、特に従順を学ぶ必要がありました。イスラエルの人々が荒野の学校で学んだ科目は、同時に天のカナンを目指して旅を続けている私たちも学ぶ必要のある科目です。

 

2.日曜日:苦い水

民はモーセに向かって、「何を飲んだらよいのか」と不平を言った。モーセが主に向かって叫ぶと、主は彼に1本の木を示された。その木を水に投げ込むと、水は甘くなった。(出エジプト記15:24~25)
 
ファラオ(エジプトの王さま)は、十番目の災い(よくないできごと)の後で、やっとイスラエルの人たちが全員、エジプトから出て行くことを許しました。そして、「わたしをも祝福してもらいたい」(出エジプト12:32)とも言いました。災い(よくないできごと)が続いたので、もう、よくないことを終わらせたかったのです。でも、ファラオは、まだ、こころから神を信じようとはしませんでした。

 

3.月曜日:ウズラとマナ

モーセは更に言った。「主は夕暮れに、あなたたちに肉を与えて食べさせ、朝にパンを与えて満腹にさせられる。主は、あなたたちが主に向かって述べた不平を、聞かれたからだ。」(出エジプト記16:8)
 
イスラエルの人々のカナンへの旅は、不平の連続でした。そして、彼らの不平の原因は食べることと飲むことに関連していました。食べることと飲むことは、人の欲求の中でも最も高いものです。

神様はモーセに次のようにおっしゃいました。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す」(出エジプト記16:4)。

神様は、イスラエルの人々にマナを与えることによって、第7日安息日の重要性を教えられました。エレン・ホワイトは、次のように書いておられます。

「イスラエル人は、荒野での長い間の滞在中に、毎週三重の奇跡を目に見たが、それは彼らの心に安息日の神聖さを印象づけるためのものであった。すなわち、6日目には2倍の分量のマナが降り、7日目には全然降らなかった。そして、ほかのときには翌日までとっておいたものは食べられなくなっていたが、安息日に必要な分は新鮮なまま保存がきいたのであった」(『人類のあけぼの』上巻、343ページ)。

安息日は、神様に対する忠誠をあらわすしるしです。

 

4.火曜日:岩から出た水

「見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」(出エジプト記17:6)
 
 シンの荒れ野でウズラとマナによる神様の素晴らしい御業を経験したイスラエルの人々は、次の宿営地レフィディムにて飲む水がなかった時、以前と同じ過ちを犯しました。彼らはモーセに向かって不平を言いました。それだけではなく、モーセを石で打ち殺そうとまでしたのです(出エジプト記17:4)。私たちが不平を口にしそうになる時、イスラエルの人々の過ちを思い起こしたいと思います。

イスラエルの人々のカナンまでの旅は、全て神様が導いておられました。イスラエルの人々は旅の途上にあって、常にこれまで神様がどんなに素晴らしいことをしてくださったことを思い起こす必要がありました。

私たちはいつも、これまで神様がしてくださったことを思い起こして、神様への感謝と讃美をあらわしたいものです。

 神様は、レフィディムにおいても不平を言い続けるイスラエルの人々のために岩から水を出してくださり、必要を満たしてくださいました。
「・・・彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。」(コリントの信徒への手紙一、10:4)
イスラエルの人々にとっても、私たちにとっても、キリストこそ命の源、私たちを救ってくださる唯一のお方です。よって、私たちはキリストの助けなしに天のカナンの旅をすることはできません。私たちは、毎日キリストに頼るか否かが試されています。

 

5.水曜日:エトロ

「あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。もし、あなたがこのやり方を実行し、神があなたに命令を与えてくださるならば、あなたは任に堪えることができ、この民も皆、安心して自分の所へ帰ることができよう。」
(出エジプト記18:21~23)

 
モーセは、心から神に信頼していたので、イスラエルの人々を励ましました。私たちも苦しいなかで、どのように行動したらよいのか、み言葉から四つのポイントを学びましょう。

モーセの働きの様子を見たエトロは、モーセがしているやり方ではモーセも民も皆、疲れ果ててしまうと考えました。モーセは、一人で働きを抱え込んでいました。そこで、エトロがモーセに助言した内容が上記の出エジプト記18:21~23 です。

エテロの助言はモーセとイスラエルの民が役割を分担することによって、よりよい組織運営が構築される結果となりました。エテロの方式は、現在の教会組織運営の基礎になっています。

 

6.木曜日:命のパンと水

 パウロは、イスラエルの人々に起こったことは、キリストに従う者たちにとっての前例や警告であり、彼らが同じ問題を避けるのに役立つだろうと説明しています。これは、「時の終わり」に生きる私たちにとって、適切な教えです。

「ヘブル人のいろいろな経験は、彼らがカナンの約束の地へ入るための準備の学校であった。神は、今日の神の民が、古代イスラエル人の経験した試練を、へりくだった心と教えを受ける精神をもってふりかえり、天のカナンにはいる準備に役立てるように望んでおられる。」(『人類のあけぼの』上巻338ページ エレン・G・ホワイト)

 荒れ野でのマナが「天からのパン」(ヨハネ6:31、32)であったように、岩からの水は、彼らの渇きを満たすためのキリストの賜物でした。パンと水には霊的な意味もありました。イエス・キリストは「命のパン」(同6:35、48)であり、「生きた水」(同4:10、11、14、7:38)だからです。したがって、主においてのみ、私たちの霊的な飢えと渇きは、真に満たされるのである。

 

7.金曜日:さらなる研究

参考資料として、『人類のあけぼの』第26章「紅海からシナイへ」を読んでください。

「新たな危険が今や彼らを脅かした。主は、彼らが神に向かってつぶやいたために、彼らが敵の攻撃にさらされるのをおゆるしになった。その地方に住んでいた野蛮で、好戦的な部族アマレク人が、彼らに手むかい、疲れ果ててしんがりになっていた人々を襲った。」(『人類のあけぼの』上巻、346ページ エレン・G・ホワイト)

神様はイスラエルの民が神様に向かってつぶやいたために、アマレク人の攻撃にさらされることをおゆるしになりました。このことから、私たちはどんな警告、教訓を学ぶことができるでしょうか。