安息日学校部

第7課 聴覚しょうがい者用 北 睦夫

2024年第3期「マルコによる福音書

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第7課  弟子たちを教える(その1)    北 睦夫

 

1.安息日午後

一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。

(マルコ9:33、34

マルコによる福音書は、イエスの弟子になるとはどういうことかを示しています。

 

2.日曜日:はっきり見える

そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。(マルコ8:25)

イエスが、盲人の目をいやす(治す)のに、盲人の手を取って村の外に連れ出し、その目に2回触れていやされ(治し)ました。ここには、イエスが盲人に、絶えず触れ続けていることがわかります。これは、私たちが、霊的なことを理解するためには、イエスに触れ続けていくことが大切であることを教えているのです。

 

3.月曜日:弟子になることの代償

それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

(マルコ8:34)

イエスの弟子になるとは、イエスに従い、イエスの愛を自分の心に、イエスと同じ目的をもつことです。

 

4.火曜日:山と群衆

その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」(マルコ9:24)

私たちの信仰は、山の上の栄光の主を仰ぎ見るものでなければなりません。しかし現実は、山の下の現実ばかりを見て信仰から離れています。そのことを認めて、「信仰のないわたしをお助けください」と自らの信仰がないことを悔い改めてイエスにすがりましょう。その時に、癒しと奇跡がなされます。

 

5.水曜日:誰が一番偉いか

そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。

「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

(マタイ9:37、38)

幼子は、自分の力では生きていけないことを知っています。だから言われたことに素直に従うのです。それが仕えることであり、そういう人が、天国で一番偉い人なのです。

 

6.木曜日:地獄の健康な人

「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。†もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。(マルコ9:42〜47)

永遠の地獄は、ありません。しかし、永遠の滅びはあります。小さな者(信仰もって間もない人たち)をつまづかせることは、あなたの手、足、目を失うことよりもイエス様を悲しませることなのです。

 

7.金曜日:さらなる研究

神は、こどものように自分を低くする者を神の働きのために必要としています。

天使たちは、魂を救おうとする者と協力することができます。

(『各時代の希望』第48章「だれがいちばん偉いか」参照)