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第6課 宣教のための動機づけと準備 佐藤 由歩
1.安息日午後
ペトロをはじめとするイエス様の弟子たちや回心したパウロにとって、イエス様を宣べ伝える一番の動機は愛でした。
今週は、イエス様を宣べ伝えるために私たちがすべき備えと、イエス様を宣べ伝える上でどのような動機が必要とされるのかを、初代教会で起こったいくつかの出来事に目を向けながら考えていきます。
2.日曜日:良い知らせを伝える
ルカによる福音書24章1節から12節を読んでみましょう。
日曜日の明け方、香料を持った数人の婦人がイエス様の遺体に処置するために墓へ向かいました。ところがそこにイエス様はおらず、墓が空であったことに驚きました。すると輝く服を着た2人の人が現れ、生前イエス様が語っておられたことを思い出させます。
「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」(ルカによる福音書24章5節後半〜7節)
こうしてイエス様の言葉を思い出した婦人たちは、弟子たちをはじめ多くの人々にイエス様の復活を伝えたのでした。この出来事から見える宣教への動機は、イエス様が私たちのためになさったこと、つまり預言通り復活されたイエス様のことを積極的に他者に伝えることです。
3.月曜日:預言の土台
復活されたイエス様が弟子たちに現れた時、弟子たちは自分たちの前に立つ人がイエス様であるとは信じようとはしませんでした。恐れと感動に支配されていたからです。しかし、人間というのはたとえ復活なさったイエス様に会うといった感動的な体験をしたとしても、時が経つにつれて記憶が薄れていきます。ですから、イエス様は永遠に変わることのないみ言葉を弟子たちの信仰の土台となさったのです。
ペテロ第一の手紙1章24節後半〜25節を読んでみましょう。
「『人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。』これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。」
この出来事から見える宣教への動機は、イエス様の変わらないみ言葉による力強い約束です。み言葉は常にイエス様の十字架の死によってもたらされた永遠の命です。
4.火曜日:待つことと宣教
使徒言行録1章4節と5節を見てみましょう。
「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
イエス様が天に昇られる直前、弟子たちに聖霊を送る約束が果たされるまで、エルサレムで待つように命じられました。その間、弟子たちは婦人たちと心を合わせて熱心に祈っていました(ルカによる福音書1章14節参照)。そこでどのような祈りが捧げられたかは聖書に書いていませんが、弟子たちは宣教を果たすための知恵、力、勇気を祈り求めていたに違いありません。次に、弟子たちは祈りつつ宣教を果たすための準備として組織を整えるため、自ら命をたったユダに代えてマティアを証人として立てたことが使徒言行録1章26節に記録されています。
この出来事から見える宣教への動機は、熱心に祈りつつイエス様の導きを待つということです。
5.水曜日:あなたがたが十字架につけた人
約束の聖霊を受けた弟子たちは、後に他の国の言葉で福音を語り始めました。それは失われた人々を救うためであり、聖霊によって語られた弟子たちのメッセージを聞いた一人ひとりに直接働くためであったことを意味しています。宣教をする上で大切なことは、イエス様から与えられたものを用いて宣教するということです。私たち自身で生み出した何かでなく、熱心な祈りによってイエス様が語ってくださったことを伝えることなのです。
その中には悔い改めも含まれます。使徒言行録2章38節、39節において、ペトロは躊躇なく次のように言いました。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」
この出来事から見える宣教への動機は、イエス様の救いの力を証しすることです。それは人々に悔い改めによる罪の赦しを与える福音の力です。私たち自身が与えるものではありません。
6.木曜日:初代教会の姿
使徒言行録2章41節から47節を読んでください。注目すべき点は、注目すべき点は、「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。」(使徒言行録2章41節)にあります。これは単に人数が増えたということではなく、新たな信徒がすでに信仰を持った信徒と対等の立場でグループの一員となったことを意味しています。また、初期のキリスト教会の中心的な機能は弟子を作ることにあったということも大変重要です。それは学校のような決められた場所や時間といった枠に捉われず、信者の実生活に参加することで示されました。月曜日で学んだように、私たち人間はどんなに素晴らしいことも、単に体験したというだけでは記憶に残りません。人々はクリスチャンとしての生き方を永遠に変わらない聖書のみ言葉を元に体験し、実践することによって宣教の働きに参加していったのでした。
この出来事から見える宣教への動機は、信者同士が励まし合いながら共にみ言葉を実践するということです。
7.金曜日:さらなる研究
私たちの宣教の働きは、イエス様が私たちの人生の中で行なってくださったこと、また現に行なってくださっていることに対する深い愛と感謝から生じるものでなければなりません。熱心に祈り、悔い改めと赦しを与えるイエス様を証しし、み言葉に浸った生活を送ることが奉仕活動や伝道活動を成功させる鍵となるのです。
<質問>
1、あなたにとってイエス様を宣べ伝える動機はなんですか?
2、「2階の広間」にて復活したイエス様と出会った弟子たちのことを想像してみてください。
あなたは驚きと感動という体験を超え、イエス様によってみ言葉の中に連れて行かれたこと、つまり、あなたの信仰を神の言葉に基づくものにしたいと願うイエス様に出会ったことがありますか?(月曜日の学びを参照)