安息日学校部

第5課 聴覚しょうがい者用 花田憲彦

2024年第3期「マルコによる福音書

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第5課  湖の周辺での奇跡    花田憲彦

 

1.安息日午後

今週はマルコ福音書4章35節から6章までを学びます。ここには、ガリラヤ地方でのイエス様の宣教活動が記録されています。イエス様のさまざまな奇跡を通して、弟子たちは、「ナザレのイエス」が、「神の子」であるという理解に近づいていきます。

 

2.日曜日:嵐を静める

ある日の夕方、弟子たちはガリラヤ湖で舟に乗った時に嵐に遭います。弟子たちは、まず漁師である自分たちの力に頼り、自分たちの力ではどうしようもないことがわかると、弟子たちの不安や不満は大きくなりイエスを責めました。そこでイエス様は嵐をしずめられ、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」(マルコ4章40節)と言われました。

ここで弟子たちに必要だったのは、

①イエス様の命令で出発した舟なので、イエス様が最後まで責任を取ってくださるので大丈夫、

②舟にはイエス様が乗っておられるので、どんな大変なことがあっても大丈夫、

という信仰でした。イエス様が神の子であるという信仰を持つならば、何があっても恐れることはないのです。

 

3.月曜日:叫び声よりもささやきが聞こえますか

ゲラサの地で悪霊にとりつかれた男が、夜昼叫びながら石で自分を傷つけていました。人々は鎖と足かせで彼をつなごうとしましたが、鎖と足かせは引きちぎられ、どうすることもできませんでした。この男の姿は、罪にとらわれ、自分ではどうしようもできず、かえって自分自身を傷つけるような私たち罪人の霊的な姿を表しています。

しかしイエス様は、人間の力ではどうしようもなかった悪霊に対して、偉大な力をもって向き合ってくださいます。「汚れた霊、この人から出て行け」(マルコ5章8節)と言われると、悪霊はイエス様を「神の子」として認め、自分の負けを認めています。その結果、この男は悪霊の支配から解放され、正気に戻りました。男はイエス様に出会ったことにより、本心に立ち返り、癒され、さらには宣教師として用いられたのです。「神の子イエス」による救いと解放の体験です。私たちも、この男のようにキリストとサタンの大争闘の中に置かれていますが、イエス様の救い、力、権威を体験し、その証し人として奉仕したいと思います。

 

4.火曜日:感情の浮き沈みをイエスと味わう

マルコ5章の後半には、2つの癒しの奇跡(「ヤイロの娘の救い」と「出血の止まらない女」)がサンドイッチのように(交代で)記録されることによって二人の信仰の違いを比べて見ることができます。

 

ユダヤ教の会堂長だったヤイロは必死でイエス様のところに行きました。彼の娘が死にかけていたのです。ヤイロは※強引な信仰の姿勢でイエス様に近づきました。「娘のところに来てください」「娘に手を置いてください」「娘が助かるようにしてください」と、イエス様の行動まで自分で決めて、イエス様に指示をしているのです。ヤイロの信仰は自分中心で、イエス様に委ねるという信仰を見失っていました。

そこに、「出血の止まらない女」が登場します。女は、イエス様の行動のじゃまにならないようにという謙遜な思いで、ただ信仰をもってイエス様の服にさわりました。女は信仰によって癒されますが、イエス様は、あえて女がその信仰を公に告白するように導かれました。すばらしい救いや恵みを経験したら、それを証ししなさいということです。

 

そして再びヤイロの話に戻ります。ついに娘は死んでしまい、ヤイロの心は大きく動揺していました。イエス様は彼の要望に応えるタイミングでは動きませんでした。イエス様の時と方法で娘を癒やしたのです。委ねる信仰とは、自分の思い描いていた計画が粉々に打ち砕かれるところから始まるということを教えられます。

 

※強引な信仰の姿勢:自分の思いでイエス様を強く引っ張る信仰の態度

 

5.水曜日:拒絶と受容

マルコ6章1~6節に登場するイエス様の故郷の人々は、信仰の目をもってイエス様を見ることができませんでした。そのためにイエス様は、他の場所で行ったような力ある業(働き)をすることができなかったのです。私たちの狭い価値観や経験、偏見、傲慢な態度が、神様のすばらしい働きを止めさせてしまうのです。

バプテスマのヨハネは、ヘロデやヘロデヤの罪のために殺されましたが、ヨハネの死は、イエス様の十字架での死を示していました。

 

6.木曜日:異なる種類のメシア

多くの人々がイエス様のところに押し寄せてきました。人々は、イエス様にイスラエルを敵から解放し、正義と平和をもたらす王となられることを期待していました。しかしイエス様は、そのような人々の期待には応えずに、逆に群衆を解散させました。そして祈るために人々から離れて山に登られたのです。

人々は「飼い主のいない羊」(マルコ6章34節)のようだったと書いてあります。人々が本当に必要としていたのは、人々を罪から解放してくださる神の子イエスだったのです。

 

 

★ イエス様はあなたを何から解放してくださるお方ですか。

 

★ イエス様に委ねる信仰を持つためには何が必要でしょうか。