安息日学校部

第5課 聴覚しょうがい者用 柴田 寛

2024年第4期「ヨハネによる福音書の主題
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第5課  サマリア人たちの証し    柴田 寛

 

1.安息日午後

紀元前722年、北王国イスラエルがアッシリアによって滅ぼされた時、イスラエルの人々はアッシリアに連れていかれ、他の国々(たとえばバビロンなど)から同じように連れてこられた人々と結婚によって混ざり合い、人種も宗教も混ざりあったサマリア人が誕生しました。それ以降、ユダヤ人はサマリア人を異邦人として軽蔑し(バカにし)、近寄らないようにしてきました。そのような中で、ヨハネは、イエス様がサマリア人に対してどのように接したかを詳しく書いています。

 

2.日曜日:出会いの舞台

ある日、イエス様はユダヤ地方からガリラヤ地方に向かうにあたり、普通はユダヤ人が避けて通らないサマリア地方をわざわざ通られました。それはイエス様がサマリア人も愛しておられたからです。正午ごろ、歩き疲れたイエス様が井戸のそばに座って休んでおられると、そこへサマリア人の女性が人目を避けるように水をくみに来ました。この女性は何か人に会いたくない訳があるのでしょう。イエス様はそれを見ぬき、この女性に声をかけられました。これが、この女性の人生を変える出会いとなりました。(ヨハネによる福音書4章1節〜29節)

 

3.月曜日:井戸の女

イエス様は「水を飲ませてください」と、この女性に頼むことで、巧みに(上手く)この女性の心をとらえました。驚いている女性に対してイエス様は「生きた水」、「決して渇かない(水)」、「永遠の命に至る水」について話され、最終的にこの女性から「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」という言葉を言わせました。

(ヨハネによる福音書4章13節〜15節)

 

4.火曜日:「主よ、その水をください」

突然、イエス様は「あなたの夫を呼んできなさい」と話題を変えられました。今日はじめて会った人が自分のことを知っている、しかも知られたくないことを知っている、この方は預言者かもしれない…と思った途端、彼女の渇ききった心が急速に、「決して渇くことのない水」を求めはじめました。この変化は、イエス様にしか起こすことのできない変化です。

(ヨハネによる福音書4章16節〜19節)

 

5.水曜日:イエスの啓示

次にイエス様は、サマリア人が捧げている礼拝が、真の神への礼拝でないことを指摘されました。真の神とは「ご自身をあらわされる神」であり、※1ゲリジム山やエルサレムといった場所に縛られることなく、生きて対話することのできる神であると言われたのです。そしてサマリアの女から、「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています」という言葉を言わせました。準備は整いました。イエス様は、「それ(あなたが知っている※2メシア)は、あなたと話をしているこのわたしである。」と言われ、ご自分はあなたが待っていた※2メシアであり、すべてのサマリア人が待っている※2メシアであることを明かされたのです。なんという感動的な出会いでしょう!(ヨハネによる福音書4章20節〜26節)

※1ゲリジム山:サマリヤ人の神殿を築いた場所

エルサレム:イスラエル人が神殿を築いた場所

※2メシア:ヘブライ語で「聖油を注がれた者」を意味し、救い主イエス・キリストのこと。

 

6.木曜日:サマリア人たちの証し

サマリア人の女性は、水瓶を置いたまま、※2メシアと出会った喜びを伝えるために町に急ぎました。女性は、イエス様の弟子たちよりももっと力強く伝道しました。そして、多くのサマリア人が、イエス様が本物の救い主であることを信じたのです。イエス様にとって、人が「決して渇かない(水)」、「永遠の命に至る水」、つまりメシアなるイエス・キリストと出会うこと、そして、その喜びを他の人に証しし、その喜びが広がっていくこと。これより喜ばしいことはありません。そしてこれこそ、イエス様がこの地上に来られた目的なのです。

(ヨハネによる福音書4章27節〜29節)

 

7.金曜日:さらなる研究

サマリアの女性の物語は、私たちのすぐ近くに、イエス・キリストを伝えるべき人々がいることを教えてくれます。キリストの救いから漏れている人はいません。私たちもイエス様に声をかけていただいて今があるように、今度は私たちが証しをする番です。その力はどこから来るでしょうか。『各時代の希望』19章には、「受ける者が与える者となる」と書かれていました。私たちも決して渇くことのない水を求めましょう。それを受けた時、サマリアの女性のように、与える者となることができます。

 

<話し合いのための質問>

テキスト38頁の❸に書いてあった「主が私たちにどのように接したいと願っておられるか……この真理から、あなたはどんな慰めをえることができますか?」について話し合ってみましょう。