安息日学校部

第5課 聴覚しょうがい者用 山地 悟

2023年第4期「神の宣教、私の宣教」

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第5課 宣教を避けるための言い訳  山地 悟

 

1.安息日午後

ヨナは、ニネベの町に神さまの言葉を伝えに行くことを嫌がり、真反対の方向へ逃げていきました。ニネベの町は、イスラエルを攻撃したこともあるアッシリアの首都で、とても悪い町だったのです。

私たちもヨナのように、神さまの言葉を伝える働きから逃げるために言い訳をしてしまうことがあります。

 

2.日曜日:私たちの言い訳――恐れ

ヨナがニネベに行きたくなかった理由の一つは、おそれです。

「ニネベは…犯罪と不正の中心地であった」『国と預言者』22章(『希望への光』491頁)。

ニネベはとても大きな町でした。そして、そこに住むアッシリア人は残酷な人々でした。アッシリア人がバビロンを征服した時、都は死体で埋め尽くされたのです。ヨナはニネベに行くことを想像し、とても恐ろしかったはずです。

私たちもヨナのように、神様に従うよりも、恐怖に動かされてしまうことがあります。

 

3.月曜日:私たちの言い訳――誤った見方

嵐が来た時、ヨナは自分のせいだと考えました。当時の人々は、嵐の海を通る時は、そこにいる神々に犠牲をささげて、怒りをおさめなければいけないと考えていました。ヨナは、イスラエルから離れて外国の土地に逃げたとしても、神様が自然を支配していることを知りました。

私たちもヨナのように、神さまについて誤解していることがあります。

よくある誤解の一つは、「神様は、私たちが自分の救いに集中し、この世の悪から完全に離れるようにと望んでいる」というものです。私たちは、「世の汚れに染まらないように自分を守る」だけでなく、他の人の救いに集中し、神さまの祝福や希望を分かち合うべきです(ヤコブ1章27節)。

もう一つの誤解は、「宣教の働きの成功は、わたしたちの努力にかかっている」というものです。私たちが人を救うことはできます。人々を救うために働かれる神様に協力するだけです。私たちは神さまの救いについて証しすることができますが、人の心を変えることができるのは神様だけです。

 

4.火曜日:私たちの言い訳――不都合

ヨナは、神さまの愛を経験した後も、すぐにニネベに対する嫌な思いが変えられたわけではありませんでした。彼はニネベに行きたくありませんでしたが、自分の気持ちを犠牲にして、神さまの言われた通りにしました。

宣教の働きは、犠牲を喜んで払う人たちによって進められます。ヨナのように、他の人に悪いイメージを持っているせいで、働きが進まないこともあります。人に対する悪い思いを乗り越えるためには、自分の考えを優先しない謙虚さが必要です。

人と関わる宣教の働きでは、時間もかかり、感情が疲れてしまうこともあります。また、宣教のために金銭をささげるよう求められることもあります。

 

5.水曜日:私たちの言い訳――不快な対立

ニネベの人々に対するヨナの憎しみは、とても大きいものでした。ヨナの言葉を聞いたニネベが悔い改め、町が滅びなかった時、ヨナは激しく怒りました。ニネベが当然神の裁きを受けるべきだと考えていたのです。

人の考え方は簡単には変わりません。神さまは、ヨナを言葉で説得するのではなく、一つの経験を通してヨナの間違った考え方を変えようとされました。

神さまは、ヨナを暑い日差しから守るために、奇跡によって植物を生えさせます。その後、植物が枯れてしまうとヨナは激しく怒り、死んでしまいたいとすら思いました。そこで神様は、ヨナの間違った考えを優しく指摘しました。ニネベにいる何千人もの人たちの命よりも、このたった一つの植物の方が大事かのようにヨナが考えるのは、おかしなことだったのです。

 

6.木曜日:「わたしを遣わしてください」

ヨナの不十分な証を通して、神様はニネベを救うことができました。

この物語の教訓の一つは、神様が人の心を変える力を持っておられ、私たちはただ喜んで神さまの指示に従うよう求められているということです。神さまの呼びかけに答え、どんなことであれ、神さまの導きに喜んで従いましょう。

もう一つの教訓は、神様がどんな人たちであれ愛しているということです。神様はニネベの町を憐れんだように、今日の都会に住む無数の人々を憐れんでおられます。神様は、そのような人たちのところへ喜んでメッセージを届けにいく人を必要としておられます。

 

7.金曜日:さらなる研究

神さまは、宣教のために人と関わる責任を私たちに与えておられます。

「ヨナは、この任命が与えられて、大きな責任を負わせられたのであった。しかし、彼に行けと命じられたお方は、彼のしもべを支え、彼に成功を与えることがおできになるのであった。…ヨナが失望に陥った時にも、主は、彼をお見捨てにならなかった。種々の試練と不思議な摂理によって、神とつきることのない神の救いの力に対するヨナの確信は、回復されるのであった」『国と預言者』22章(『希望への光』491頁)。

ヨナのように、宣教の働きに参加しない言い訳を見つけるのは簡単です。しかし、ヨナと同じように、私たちに特別な呼びかけがあります。あなたはどのように答えますか?

 

<問い>

・宣教の働きに加わらないために、どのような言い訳をする誘惑がありますか?

・セブンスデー・アドベンチストの信仰を通して、どのような祝福が与えられていますか? その祝福を他の人と分かち合うことを妨げているものはなんですか?