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第4課 聖書ー私たちの神学の権威ある源 小濱 守宏
1.安息日午後
キリスト教には、色々な宗派があります。同じ聖書を用いながら強調する点が違うため、全く別の教えに感じる事もあります。今週の目標は、私たちが聖書を正しく理解するための5つの材料(伝統、経験、文化、理性、聖書)を通して、バランスよく神様の思いを汲み取っていく事です。
2.日曜日:伝統
日本人である私たちは、親から箸の使い方を学び慣れ親しんでいます。箸は、ある意味日本の伝統です。それと同じ様に毎日聖書を読み、親から子へ子から孫へと聖書の真理を理解する技が伝えられたら、これも一種の伝統になります。しかし、慣れ親しんでいる聖書の解釈が間違っていたら危険な教えとなります。
親が良いと思う事を子に教え、代々これを守る事は素晴らしいと思いますが、マルコ7章3節「・・昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗って・・」とあります。とても良い事ですが、マルコ7章2節「・・・洗わない手で食事をする者がいるのを見た。」と昔からの言い伝えを守らない者がいた時、7章5節「・・『なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず・・』」と「なぜ」と自分が持っている伝統的な考えで怒り、人を裁いています。たとえ、良いことでも、聖書では裁くなとあります。伝統は今の時代では、常識とか地域の風習、教会や各家族が持っているルールなどを隣人に当てはめて、裁いてしまう恐れがあります。まず、自分自身がみ言葉に従って愛を持って人と接しているか振り返ってみましょう。
3.月曜日:経験
ローマ2章4節「・・神の憐れみがあなたを悔い改めに導く・・」という、み言葉を読むと、神の憐みを経験したいという願いが与えられます。私たちが病気の時、失敗した時、人間関係が上手くいかない時でも優しく忍耐強く、神様が愛を与え続けている事実に気づく事ができたらなんと素晴らしい事かと思います。
何事でも自分にとって都合のいいように受け取ってしまう人の弱さや、悪い思いに支配されている心に、神様の愛が注がれている事に気づいたら、悔い改めたいという願いが湧いてきます。私たちの辛い経験や楽しい経験、全てに神様が関わってくださっている事に気づく聖書の学びをしたいと願います。
4.火曜日:文化
「秘密のケンミンSHOW」というテレビの番組があります。日本全国みんなが同じようにしていると思っていた事が、その県だけの特徴だと知って驚くという場面をよく見ます。自分にとって当たり前だと思っていた事が、一般常識ではなかったのです。人は、生まれた国、場所から大きな影響を受けて育ちます。日本に生まれたら日本の文化に影響を受けるのです。たとえ白人のアメリカ人でも、日本で生活をすれば日本の文化の影響を受けて物の考え方、感じ方も影響を受けるでしょう。
1ヨハネ2章15節「世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。」というみ言葉があります。私たちは、罪の世の影響を受けて育ちました。罪の世で生活をしながら聖書を学び、天国の文化に影響を受け友人や知人に愛の影響を与える事ができるように聖書を学びます。
5.水曜日:理性
現代人は、証明する事ができてしっかりとした証拠がある時に受け入れます。理性を持って、ゆっくり考える事は素晴らしいですが、イエス様が行った奇跡は、科学的に証明や証拠を示す事ができないためイエス様を信じる事ができない人が大勢います。科学や理性は万能ではありません。箴言9:10は、理性だけでなく、理解の限界を超えた信仰を持つように勧めています。
「主を畏れることは知恵の初め/聖なる方を知ることは分別の初め。」
6.木曜日:聖書
私達は、生まれてきてこれまで色々な影響を受けて育ちました。一番影響を受けたのは文化でしょうか?それとも、これまで生きてきた経験でしょうか? もしかすると両親かも知れません。これから何に一番、影響を受けて生きていきたいと願いますか?
ヨハネ7章38節の言葉に「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」という聖書の言葉は非常に魅力的です。聖書から影響を受けて生活できたら、どんな未来が待っているでしょうか、と思いめぐらすと胸が高まります。きっと、今までの悪い癖や失敗した経験から心が元気になれないトラウマからも解放されるかもしれません。聖書が私たちの生きる基準となるよう望みます。
7.金曜日:さらなる研究
私たちが聖書を学ぶ時、自分の性格を作りあげた伝統、経験、文化、理性が土台となります。聖書を学んでいくと自分自身にとって都合が悪かったり、心に痛みを感じたりする時があります。この時がチャンスです。聖霊様に導きを求め、今まで自分を作りあげてきた伝統、経験や文化や理性が本当に正しいのか?を考え直して聖書の基準に自分を合わせていく信仰の歩みをしてみませんか。
「神は、みことばを通して、救いに必要な知識を人間にお与えになった。・・・聖書は、品性の基準であり、教理を示すものであり、経験を吟味するものである」(『希望への光』p1592)
1.安息日午後
キリスト教には、色々な宗派があります。同じ聖書を用いながら強調する点が違うため、全く別の教えに感じる事もあります。今週の目標は、私たちが聖書を正しく理解するための5つの材料(伝統、経験、文化、理性、聖書)を通して、バランスよく神様の思いを汲み取っていく事です。
2.日曜日:伝統
日本人である私たちは、親から箸の使い方を学び慣れ親しんでいます。箸は、ある意味日本の伝統です。それと同じ様に毎日聖書を読み、親から子へ子から孫へと聖書の真理を理解する技が伝えられたら、これも一種の伝統になります。しかし、慣れ親しんでいる聖書の解釈が間違っていたら危険な教えとなります。
親が良いと思う事を子に教え、代々これを守る事は素晴らしいと思いますが、マルコ7章3節「・・昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗って・・」とあります。とても良い事ですが、マルコ7章2節「・・・洗わない手で食事をする者がいるのを見た。」と昔からの言い伝えを守らない者がいた時、7章5節「・・『なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず・・』」と「なぜ」と自分が持っている伝統的な考えで怒り、人を裁いています。たとえ、良いことでも、聖書では裁くなとあります。伝統は今の時代では、常識とか地域の風習、教会や各家族が持っているルールなどを隣人に当てはめて、裁いてしまう恐れがあります。まず、自分自身がみ言葉に従って愛を持って人と接しているか振り返ってみましょう。
3.月曜日:経験
ローマ2章4節「・・神の憐れみがあなたを悔い改めに導く・・」という、み言葉を読むと、神の憐みを経験したいという願いが与えられます。私たちが病気の時、失敗した時、人間関係が上手くいかない時でも優しく忍耐強く、神様が愛を与え続けている事実に気づく事ができたらなんと素晴らしい事かと思います。
何事でも自分にとって都合のいいように受け取ってしまう人の弱さや、悪い思いに支配されている心に、神様の愛が注がれている事に気づいたら、悔い改めたいという願いが湧いてきます。私たちの辛い経験や楽しい経験、全てに神様が関わってくださっている事に気づく聖書の学びをしたいと願います。
4.火曜日:文化
「秘密のケンミンSHOW」というテレビの番組があります。日本全国みんなが同じようにしていると思っていた事が、その県だけの特徴だと知って驚くという場面をよく見ます。自分にとって当たり前だと思っていた事が、一般常識ではなかったのです。人は、生まれた国、場所から大きな影響を受けて育ちます。日本に生まれたら日本の文化に影響を受けるのです。たとえ白人のアメリカ人でも、日本で生活をすれば日本の文化の影響を受けて物の考え方、感じ方も影響を受けるでしょう。
1ヨハネ2章15節「世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。」というみ言葉があります。私たちは、罪の世の影響を受けて育ちました。罪の世で生活をしながら聖書を学び、天国の文化に影響を受け友人や知人に愛の影響を与える事ができるように聖書を学びます。
5.水曜日:理性
現代人は、証明する事ができてしっかりとした証拠がある時に受け入れます。理性を持って、ゆっくり考える事は素晴らしいですが、イエス様が行った奇跡は、科学的に証明や証拠を示す事ができないためイエス様を信じる事ができない人が大勢います。科学や理性は万能ではありません。箴言9:10は、理性だけでなく、理解の限界を超えた信仰を持つように勧めています。
「主を畏れることは知恵の初め/聖なる方を知ることは分別の初め。」
6.木曜日:聖書
私達は、生まれてきてこれまで色々な影響を受けて育ちました。一番影響を受けたのは文化でしょうか?それとも、これまで生きてきた経験でしょうか? もしかすると両親かも知れません。これから何に一番、影響を受けて生きていきたいと願いますか?
ヨハネ7章38節の言葉に「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」という聖書の言葉は非常に魅力的です。聖書から影響を受けて生活できたら、どんな未来が待っているでしょうか、と思いめぐらすと胸が高まります。きっと、今までの悪い癖や失敗した経験から心が元気になれないトラウマからも解放されるかもしれません。聖書が私たちの生きる基準となるよう望みます。
7.金曜日:さらなる研究
私たちが聖書を学ぶ時、自分の性格を作りあげた伝統、経験、文化、理性が土台となります。聖書を学んでいくと自分自身にとって都合が悪かったり、心に痛みを感じたりする時があります。この時がチャンスです。聖霊様に導きを求め、今まで自分を作りあげてきた伝統、経験や文化や理性が本当に正しいのか?を考え直して聖書の基準に自分を合わせていく信仰の歩みをしてみませんか。
「神は、みことばを通して、救いに必要な知識を人間にお与えになった。・・・聖書は、品性の基準であり、教理を示すものであり、経験を吟味するものである」(『希望への光』p1592)