安息日学校部

第4課 聴覚しょうがい者用 武田 将弥

2023年第4期「神の宣教、私の宣教」

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第4課 神の宣教に参加する   武田 将弥

 

1.安息日午後

学生の時に「抜き打ちテスト」を経験したことがありますか? これは予告なしに突然テストをやらされることです。普段からちゃんと準備や勉強をしている人は大丈夫かもしれませんが、油断していた人はテストの点数が低くなってしまうという恐ろしい試験のことです。この抜き打ちテストに似たようなもので「地震」とか「災害」、あるいは「自分の人生の終わり(死)」とか「再臨」があります。これらは抜き打ちテストと同じで、いつやってくるか誰にも分かりません。しかし有り難いことに、いつ起こるかは分かりませんが、いつ来ても大丈夫なように準備することは出来ます。

再臨についてですが、神様は優しい愛のお方なので、私たちに何の説明もなくこの世の終わりにすることはありません。ちゃんと再臨という世の終わりが来ることを、前もって説明してくれています。しかも再臨が起こる正確なタイミングは教えられないけれど、世の終わりの前には様々な災害や偽預言者が出てきて、世の中を混乱させるようになりますよと、ヒントも教えてくれています。ここに愛があります。神様は私たちをみなし児の様に放ってはおかないのです。

 

2.日曜日:もてなしの賜物

アブラハムには旅人を親切にもてなしていた習慣がありました。近くを通りかかった人をもてなしつつ、相手が偶像礼拝者であっても、自分とは別な信仰をしていたとしても、アブラハムは自分が信じている神様の話を熱心に力強く語って聞かせました。もてなされた旅人の中には、アブラハムの行いや神様の語る説明を受けて、信じる者たちが生まれたのです。アブラハムの素晴らしいところは、自分は神様のことを伝える宣教の役目が与えられていると、ちゃんと理解して実行していたことです。

 

3.月曜日:すべての人を愛したアブラハム

ある時にアブラハムは3人の旅人をもてなしたことがありました。しかしこの相手が天から降ってきた聖なる存在だとは知らずに、いつも通りに親切な対応したのです。この旅人たちはソドムとゴモラの町を滅ぼすために向かう途中だったことを知ったアブラハムは、自分の親戚であるロトの家族だけでなく、町に住む評判の悪い人たちも何とかして助けようと考えました。滅ぼされても仕方ないほどの邪悪な町の人々に、アブラハムはとりなしの愛をもって対応したのです。

 

4.火曜日:アブラハムの祈りの精神

アブラハムが神様に向かって「ソドムとゴモラの人たちに救われるチャンスを与えて下さい」とお願いしたことは、とりなしの祈りをしたことと同じでした。アブラハムは神様を信じて生活を重ねていたので、心には愛が少しずつ養われていたのです。だからソドムとゴモラの人たちにも祈ったり、哀れみや慈しみをかけたりすることが出来たのです。他人のためにとりなしを祈ることは絶対に必要ですが、そもそも祈れる人になるためには、まず自分自身を神様の力によって、新しい自分に作り変えていただく必要があるのです。

 

5.水曜日:アブラハムの宣教

アブラハムの甥っ子であるロトは、ソドムの町の門の辺りに座っていましたが、これはロトが町の偉い人だった可能性にあったそうです。注目したいのは、この治安の悪い危険な町にやって来た旅人を、すぐにロトは比較的安全な自分の家にさそってもてなしているところです。これは叔父のアブラハムから影響を受けたからでしょう。アブラハムから学んだ正しい行いが、知らないうちにロトは自分の命を救うことになりました。

結果的にソドムの町から助かったのは3人しかいませんでしたが、それでも全滅しなくてすみました。アブラハムのとりなしの祈りと、救いの宣教活動があったからこそ救われる人が与えられました。私たちもアブラハムにならって実践してみましょう。

 

6.木曜日:神の御心に従う

アブラハムに起きた出来事に注目してみましょう。

召命:アブラハムは自分の生まれ育った故郷を離れて、神様に託して示される土地に向かいました。

土地の選択:アブラハムは甥のロトと違って自分の希望を優先せず、神様の御心を優先しました。

ソドムとゴモラの滅亡:アブラハムは町を救おうとしましたが、神様がなさる裁きの結果を受け入れました。

アブラハムの素晴らしい特徴は、神様の御心には素直に従ったことでした。普通の人間ならば、自分の好き勝手に考えて行動をする人がほとんどです。そして神様を信じている人であったとしても、自分にとって良いことは受け入れるけれども、嫌なことは受け入れたくないものです。しかし従順なアブラハムは、自分にとって良いことも悪いことも、すべて神様の御心だと信じて受け入れたのです。

 

7.金曜日:さらなる研究

アブラハムはソドムの町の罪は嫌いでしたが、人々が悔い改めて生まれ変わって欲しい。救われてほしいと願っていました。この考え方はクリスチャンにとって必要不可欠な精神です。悪人や神様を信じていない人は滅んでしまえば良いのだ!と、過激なことを願うのではなく、むしろ神様に縁を持って救われるように祈るのです。キリストの愛と方法だけが、人の命を救うことが出来ることを忘れないように気をつけましょう。

 

★振り返りの質問★

宣教しても自分の思うような結果が得られなかった時、どうしたら落胆しないようになれるでしょうか。考えてみてください。