第4課 災い(7月24日) 柳 鍾鉉
1.安息日午後
[暗唱聖句]
すなわちパロは心をかたくなにし、主がモーセによって語られたように、イスラエルの人々を去らせなかった。(出エジプト記9:35、口語訳)
★今週は、奴隷の国エジプトや王であるファラオの手からイスラエルの民を救い出すために神がエジプトに下した10の災いとその意味について学びます。その災いは神がご自分を示すためにファラオ(エジプトの王)の注意を引くだけでなく、イスラエルの民を救うため、ファラオ(エジプトの王)の考えを変えるために必要なものでした。
2.日曜日:「神」対「神々」
すなわち彼らは、おのおのそのつえを投げたが、それらはへびになった。しかし、アロンのつえは彼らのつえを、のみつくした。(出エジプト記7:12、口語訳)。
★なんとエジプトでは1500以上の神々や女神が崇められていました。そして、驚くことにエジプトの王であるファラオもその神々の一人として崇められていたのです。エジプト人の神々に対する神の裁きは、アロンの杖が蛇に変わる奇跡によって示され、さらにエジプトの魔術師が彼らの杖を投げて変えられた蛇を飲み尽くしたことによってエジプトに対する神の力と主権を示されました。わたしたちの生活においてこの世の神々ではなく、創造主なる天の神を信じて生きるためにはどうしたら良いのでしょうか。
3.誰がファラオの心をかたくなにしたのか
主はモーセに言われた、「パロの心はかたくなで、彼は民を去らせることを拒んでいる」。(出エジプト記7:14、口語訳)
★聖書の出エジプト記には、※1神がファラオ(エジプトの王)の心をかたくなにされたという記述が9回、同じく※2ファラオ(エジプトの王)が自分の心をかたくなにしたと記されているのが9回あります。興味深いところは、最初の五つの災いにおいて心をかたくなにしたのはファラオであり、六つ目の災いからは神がファラオの心をかたくなにされたと記述されているところです。つまり、ファラオ自身の自由意志による選択を神は尊重されたという意味として理解することができます。神は私たちの自由意志を無視して私たちの心をご自分の思うままにかたくなにしたり柔らかくしたりする方ではないからです。
※1神がエジプトの王ファラオの心をかたくなにされた:神がエジプトの王ファラオの心を閉じた
※2エジプトの王ファラオが自分の心をかたくなにした:エジプトの王の心が頑固になった
4.火曜日:最初の三つの災い
モーセとアロンは主の命じられたようにおこなった。すなわち、彼はパロとその家来たちの目の前で、つえをあげてナイル川の水を打つと、川の水は、ことごとく血に変った。(出エジプト記7:20、口語訳)
★神はご自分を信じないエジプト人やファラオ(エジプトの王)に対してご自分を示すために、彼らに崇められている神々を打ち始めました。第一の災いはナイル川の神ハピです。エジプト人はハピという神を生み出し、それを命の与え主として礼拝していました。生ける神だけが命の源であり、水や食べ物を含むすべてのものの創造主なのです。神はナイル川の水を血に変えることによって、ナイル川の神として拝まれていたナイル川の神ハピに対する裁きを与えました。第二の災いは大量のカエルで、第三の災いは土の塵からブヨを生み出してエジプト全土に広がるようにしました。エジプトの魔術師たちは、この奇跡を再現することができず「これは神の指の働きです」とハッキリと言いました。
5.水曜日:あぶ、家畜、はれ物
主の手は最も激しい疫病をもって、野にいるあなたの家畜、すなわち馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に臨むであろう。(出エジプト記9:3、口語訳)
★神がエジプトの地にこのような恐ろしい災いを下されたのは、「主なるわたしがこの地のただ中にいる」ことを(エジプトの王)ファラオやエジプト人に知らせるためでした。それにも関わらず、(エジプトの王)ファラオはますます自分の心をかたくなにし、真の神を認めようとしませんでした。神はエジプトの王ファラオやエジプト人の思いや考えを変えるためにさらに厳しく恐ろしい災いを用意しておられました。第五の災は家畜に降りかかりました。この災いによって、エジプトの家畜は死んで、エジプト人やエジプトの王ファラオが拝む神々がさらに打ち負かされました。
もし、わたしたちもファラオやエジプト人のように真なる神を拒み続けるのであれば、わたしたちが刈り取らねばならない結果が何かということを、10の災いの話からよく知ることができます。
6.木曜日:雹、いなご、そして暗闇
主はまたモーセに言われた、「天にむかってあなたの手をさし伸べ、エジプトの国に、くらやみをこさせなさい。そのくらやみは、さわれるほどである」。(出エジプト記10:21、口語訳)
★最後の災いに関係する「ラー」はエジプトの最も重要な全土に三日間太陽や月の光を無くしてくらやみを与えました。しかし、イスラエルの人々の住むところには光がありました。
神は第四日目に太陽、月、星を造られ、太陽に命じて昼を司るようにし、月に命じて夜を司るようにと命じられました。天に光るものはすべて神によって造られたものなのに、エジプト人は造り主の神ではなく、造られたものを神としたのです。
7.金曜日:さらなる研究
「神の民がエジプト人のはなはだしい残酷な取りあつかいを受けることを神が許されたのは、彼らが偶像礼拝の堕落的な影響について欺かれることのないためであった。主はこうしたパロとの交渉のうちに偶像礼拝に対する憎悪を示し、残酷と圧迫とを罰せずにはおかない神の決意を示された」(『希望への光』135ページ)
〈話し合いのための質問〉
❶ わたしたちがエジプトの王、ファラオのように自分の心をかたくなにしないためにはどうすれば良いのでしょうか?
❷ 地上に住む罪人であるわたしたちに対する、神の望みと願いは何でしょうか?