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第4課 たとえ話 柳 鍾鉉
1.安息日午後
[暗唱聖句]
また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」。(マルコによる福音書4章24〜25節、口語訳)
★今週は、マルコ4章のたとえ話を研究します。マルコ4章には、五つのたとえ(「種を蒔く人」「ともし火」「秤」「成長する種」「からし種」)があります。イエス様が話されたたとえ話の意味と解釈、そしてたとえ話が教える霊的教訓についてともに学びます。
2.日曜日:「種を蒔く人」のたとえ
「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。(マルコ4:3〜4 口語訳)
★このたとえ話でわかることは、種は同じですが種が蒔かれる土の種類は四つの異なる種類の土であることがわかります。土の種類は、種の結果に大きく影響します。道ばたに落ちた種は鳥が来て食べてしまいます。(マルコ4:4)。石だらけの地面に落ちた種はしばらくの間は大丈夫ですが根を下ろせる土が薄いために太陽がのぼるとすぐに枯れてしまいます。草地に落ちた種は、周りに生えてくる雑草や茨に覆いふさがれてしまい成長できません。良い土地に落ちた種は大きく成長して30倍、60倍、100倍の実を実らせます。
3.月曜日:イエスの解釈
同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。(マルコ4:16〜17 口語訳)
★イエスの解釈では、誰もが御言葉を聞きます。しかし、受け取り方はさまざまです。石だらけの土には深さがありません。イエスはこれを、謙虚な気持ちで祈ることをしないで献身をする人々のことと言っておられます。彼らは喜んで御言葉を受け入れますが、迫害がやって来ると、つまずいてしまいます。ところが、草地に落ちた種は石だらけに落ちた種とは対照的です。草地に落ちた種は逆境(苦労の多い環境)のせいではなく、順境(恵まれた環境)のせいで成長できません。彼らの心配や関心は、この世のものを中心に回っているのです。
4.火曜日:たとえで教えられる理由
イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。(マルコ4:10〜11、口語訳)
★イエスは、なぜたとえで教えられたのでしょうか。イエスがたとえで教えられた理由は大きく二つあると思われます。一つは真理の言葉をより分かりやすく伝えるためであり、もう一つは当時の宗教指導者たちのかたくなな心を警戒し戒めを与えるためです。イエスは、『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』(マルコ4:12)とたとえ話を用いた理由について話されました。
5.水曜日:「ともし火」と「秤」のたとえ
また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。(マルコ4:21 口語訳)
★詩篇記者は「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」(119:105 口語訳)と記しています。ともし火は暗闇の中で光を放つものであり、周りを照らしつまずくことがないようにするものです。もしそうでなければ、ともし火はその目的を失います。イエスは、暗闇の世を照らす福音のともし火を高く揚げるように話しています。ここ(暗闇の世を照らすともし火)に教会が存在する目的があります。
6.木曜日:「成長する種」のたとえ
また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。(マルコ4:26〜27 口語訳)
★わたしたちの働きは福音の種を蒔くことです。しかし、蒔かれた種を成長させてくださるのは神です。種を蒔く人も種を蒔くものの、その蒔かれた種がどのように成長するかは知らないのです。霊的な成長はわたしたちが知らないうちに神の愛と恵みによってなされます。からし種のたとえにもあるように、もっとも小さい種でありながら高さ3メートルもの高さに成長することは人間の知恵では計り知れない(想像できない)不思議なことです。わたしたちは皆、知らないうちに神の恵みによって成長しているのです。
7.金曜日:さらなる研究
「愛が行為の原則でなければならない。愛が、天地間の神の政府の基本的原則である。そして、これがクリスチャンの品性の基礎となるべきものである。この愛のみが、クリスチャンを堅く立たせて支えるものである。これのみが、彼を試練と誘惑に勝たせるのである。(「希望への光」1203ページ、「キリストの実物教訓」第2章)
〈話し合いのための質問〉
★あなたは「愛が行為の原則でなければならない」という考えに同意されますか。その理由を分かち合いましょう。