第4課 メシアなるキリストの証人たち 小濱 守宏
1.安息日午後
今週のポイント
イエスがメシア(救い主)であると知った人々は、救われた喜びを周りの人々に伝えたい思いが強くなりました。今週は、キリストの証人の特徴について調べてみましょう。
2.日曜日:バプテスマのヨハネの証し
バプテスマのヨハネが活躍していた時期の人々は、メシア(救い主)がやって来る事を強く望んでいました。バプテスマのヨハネは、「彼は公言して隠さず、『わたしはメシアではない』と言い表し」(ヨハネ1:20)ました。バプテスマのヨハネは、自分はメシアではなく、メシアが誰かという事を教える証人でした。バプテスマのヨハネは、預言が成就されたことを教え、人々の心を整える役割をきちんとはたしました。
3.月曜日:神の小羊
ユダヤ人は、自分たちを虐待するローマ人から救ってくれるメシアを待ち望んでいました。
しかし、「ヨハネによる福音書」は、ユダヤ人の国からローマ軍を追い出してくれるメシアを待ち望むのではなく、旧約聖書(犠牲制度)で伝えられているメシアが来られる本当の目的を伝えるために書かれたのです。
メシアであるイエスが来られた本当の目的は、私たちが犯している罪の罰を代わりに受ける事でした。聖句にはこのように書かれています。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ10:45)
4.火曜日:ヨハネの2人の弟子
バプテスマのヨハネの弟子たちは、イエスが預言されたメシアであることを教えられ、「二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従」(ヨハネ1:37)いました。イエスと過ごすことによって、救いの素晴らしさを知りました。この素晴らしい教えを伝えるために書かれたのが「ヨハネによる福音書」です。バプテスマのヨハネの2人の弟子の1人、ヨハネが直接イエスから教えを受けて、この「ヨハネによる福音書」を書きました。
5.水曜日:フィリポとナタナエル
イエスの救いを受け入れたフィリポは、友人であるナタエルにイエスを証しし始めました。イエスの証人は、誰かにイエスを伝えるという特徴があります。
12弟子の1人となったナタナエルの導かれ方を見てみましょう。ナタナエルは、自分勝手に思い込む見方をする人でした。イエスがナザレという小さな村の人であると知った瞬間、ナタナエルは「あんな小さな村から救い主が生まれるはずはない」と自分勝手に思い込み、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネ1:46)と言いました。そんなナタナエルにフィリポは、イエスの事を細かく説明するのではなく、「来て、見なさい」と言い、自分で確かめるという単純な方法で証しをしました。
自分勝手に思い込む見方をするナタナエルに対してイエスは、神の力を使ってナタナエルがいちじくの木の下にいた事を伝えました。なぜナタナエルは、いちじくの木の下にいたのかというと、本当の神様を求めて祈っていたのです。自分勝手に思い込む見方をするナタナエルの祈りにも、イエスは答えられました。イエスの愛の深さに感謝します。
6.木曜日:ニコデモの証し
ニコデモは、裕福(お金持ち)で地位もあり、民から尊敬されていた教師でした。そして、イエスの悪い噂を聞いても自分勝手に思い込む見方をしない素晴らしい人物でした。しかし、ニコデモは、まだ、イエスをメシアだとは、理解していませんでした。
イエスが来られた時代のイスラエル人の信仰は、間違っていました。アブラハムの子孫は、何もしないでも天国に行けると思い込んでいました。ニコデモも同じように間違った考えを持っていました。イエスは、ニコデモに「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなこともわからないのか」(ヨハネ3:10)と叱りました。間違いを指摘されたニコデモは、自分の考え、信仰を改めました。
私たちは、ニコデモから何を学びますか。
7.金曜日:まとめ
今週は、※キリストの証人について学びました。
※キリストの証人は、カルバリーの十字架で私たちの身代わりとして罰を受け、死んでくださったイエスが神の小羊であるということを理解しました。
※キリストの証人は、キリストの愛に触れることにより、自分勝手に思い込むクセを持っていたナタナエル、また、間違った信仰を持っていたニコデモのように自分の誤った考えや行動を改めます。
神の小羊の役割を知った私たちも※キリストの証人として招かれました。神の小羊であるイエスの愛を友人、知人、家族に伝えます。
「・・ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。』」(ヨハネ1:29)
※キリストの証人:カルバリーの十字架で私たちの身代わりとして罰を受け、死んでくださったイエスが神の小羊であるということを証しする人