2021年第1期「イザヤ―わが民を慰めよ」
第2課 指導者の危機 仲泊大輔
- 今週のポイント
- 安息日の午後:多くの場合、私たちの目の前には2種類の指導者がいます。目に見える指導者と、目に見えない指導者であられる神です。今週私たちは、目に見える指導者たちの危機の時に、その背後で働かれている神の約束にどのように信頼するかを学びます。
- 日曜日:ウジヤ王の高慢による死と、イザヤの謙遜による召命を比較して学びます。指導者がいなくなることは、他国から攻め込まれやすくなるため、国にとって大変なことでした。その中にあってイザヤにはすべてはなお神の支配下にあるという力強い励ましが与えられました。しかし、その時隣国のアッシリアは軍事的に非常に強大な国となっていました。イザヤが預言するのはそのような差し迫った危機の時代でした。
- 月曜日:神を表す言葉の中で、「聖なる」という言葉だけが3回繰り返されています。「聖」とは、私たちと神を区別する言葉です。この聖なるお方の目の前にひざまずく時、この世の危機とは全く区別された神の真のご計画を知らされます。それはイザヤ以外の聖書の人物たち、そして私たちも同じです。あなたは普段どれくらい、聖なる方の前で時間を過ごしていますか?
- 火曜日:ウジヤ王は自ら聖所で香をたこうとしました。しかし、それは彼に与えられた働きではありませんでした。大切なのは自分から進んで行うことよりも神様に行わせていただくことです。私たちの献げる、讃美、祈り、献金もすべてそうです。私が献げるのではなく、あくまでも献げさせていただいているのです。イザヤは自分から罪を消そうとするのではなく、ただ自分の罪を認めて滅びを覚悟しました。その時、彼には罪の清めが与えられました。自分で罪を清めたのではなく、清めていただいたのです。
- 水曜日:イザヤが見た神殿の光景の中で、彼は自分の罪深さと神の聖なることの両方を体験します。そして、それが彼の預言者としての召命の再確認でした。教会も本来そうあるべきです。神殿が人の罪の醜さと神の赦しが表される場所であったように、私たちも自分の罪を告白でき、神の聖さと赦しによって改めて励ましを受け、自分の受けた召命の場所に戻っていく、そのような教会は本当に素晴らしいと思います。
- 木曜日:イザヤに与えられたメッセージは現代の教会にも当てはまります。神の民がいる限り、どの時代でも神のメッセージは語られ、人々は最終的に受け入れるか受け入れないかの決断をします。その決断の機会をすべての人に与えるという使命が、イザヤにも私たち一人ひとりにも与えられている使命です。
- ディスカッションのためのテーマ
- 自分の罪を神様に告白した経験を教えてください。どのような気持ちでしたか? また、なぜ告白できたのですか?
- 神様から与えられているあなたの使命は何ですか? もし、わからないとしたらなぜ自分の使命がわからない、もしくは与えられていないのだと思いますか?