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第2課 指導者の危機 鈴木優人
1.安息日午後
良い指導者がいないところでは、人々の生活は荒れてしまい、良い生活を送ることができません。
旧約聖書の時代、ユダ王国には適切な指導者がいないときがありました。その結果、悲しい出来事がおこっていきます。今週はイザヤ書6章から、適切な指導者がいることの大切さを学びます。
2.日曜日:ウジヤ王の死
神殿で香を炊く奉仕をすることが認められていたのはアロンの子孫である祭司だけでした。しかし、ウジヤ王は祭司ではないのに、自分の王としての権威を誇って、勝手に香を炊いてしまったところ、神様から汚れた者とされ、重い皮膚病にされてしまいました。
一方で、イザヤは幻のうちに神様を見たときに謙遜になり、自分の弱さを認めました。すると、天使によって清められ、イザヤは預言者としての働きを任されたのでした。
ウジヤ王の病気は、神の民の道徳的状態が病気のように良くない状態であることを表しています。
ウジヤ王が亡くなると、神の民には指導者がいなくなりました。そういうときは外国から攻められやすいですが、イザヤは全てのことが神様の支配の中にあるということを預言で示され、励まされました。
3.月曜日:「聖なる、聖なる、聖なる」(イザヤ6:1−4)
聖書を書いた多くの預言者たちは、イザヤのように敵に苦しめられているときに幻を受けました。苦しみの中にいるときであっても、神様がすべてを支配してくれているということがわかる幻は彼らにとっての励ましでした。
ヨハネが黙示録で描いている天の神殿の様子は、イザヤが幻でみたものとよく似ています。イザヤの預言では神様の「聖さ」が強調されています。神様は聖いお方であり、私たちにも聖くなることを求めていますが、悔い改めて、信仰をもって神様に従う人には神様から聖さが与えられるのです。
4.火曜日:新しい人格(イザヤ6:5−7)
イザヤは大祭司ではなく、香も炊いていなかったので、普通であれば神様の栄光を見たら死んでしまうところでしたが、イザヤは自分の罪を認めて叫んだため、命を落としませんでした。
そして、セラフィム(天使)が燃える炭火でイザヤのくちびるに触れます。熱々の炭火で焼くことは、清めを表します。これはただイザヤの汚れ(けがれ)を清めるだけではなく、イザヤを聖なる者にしたのです。これによってイザヤは神の預言者として心を燃やすようになります。
5.水曜日:神による任命(イザ6:8)
清められたあと、イザヤは神の代表者として神の民のもとへと遣わされます。イザヤ書では6章で預言者として召されますが、イザヤはその前から宣教の働きをしていました。
普通は預言者になるのにふさわしい人を神様から選んで告げられることが多いのですが、イザヤの場合は、「誰を遣わすべきか」(6:8)の神様の問いかけに対して、「わたしがここにおります」と自分から手をあげています。6章でイザヤの使命を再確認させているのです。
イザヤもヨハネも、幻のうちにキリストを見ています。しかもそれは、苦しめられ、血を流している姿のキリストです。十字架の場面を心にとめることが大切であることを表しています。
6.木曜日:驚くべき勧告(イザ6:9−13)
神様がイザヤを再度任命したのは、神様が誰一人として滅びることを望んでいないということを民に伝えるためでした。そして、イエス様がこの世に送られたのも同じ理由です。
ところが、この神様の呼びかけに対して頑なに拒む人たちもいます。そんな人たちの悔い改めのために神様は何度も訴えかけるのです。
神様に従うひとたちの使命は、神様の訴えを拒む人たちが悔い改めることのできるように公平なチャンスを与えることにあります。何度も何度もわたしたちが訴えかけることで、頑なな人たちには神様の警告をきくチャンスが与えられます。
わたしたちも時々、聖霊に対して頑なになってしまう時があるかもしれません。
そのような時があっても、神様は何度も何度もわたしたちに訴えかけてくださいます。
イザヤは預言を通して私たちにとって一番素晴らしい指導者であるイエス様を指し示してくださったのです。ですから、イエス様に全てを委ねることができるようになりたいです。
7.金曜日:さらなる研究
ネヘミヤが祈りの人であったことは忘れてはなりません。エズラもネヘミヤも王の助けがなければ何も成し遂げられませんでした。しかし、神様の働きによって王の心が変えられていったのです。そして、それだけでなく、自分には何ができるのか、ということもよく考える必要があります。