安息日学校部

第14課 聴覚しょうがい者用 松下 晃大

2022年第4期「永遠の命-死の起源、死すべき者、未来の希望

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第14課  すべてのものが新しくなる 松下 晃大

 

1.安息日午後

第4期「永遠の命」の最後の学びです。今期は永遠の命に関する様々な学びをしました。罪の始まり、救いの計画、イエス様の十字架のあがないなどです。期の後半部分では死後の状態について、偽りの教えと比べながら聖書の真理について学びました。一番最後の学びは、私たちの歩みのクライマックスである再臨・天国です。聖書には、罪によって失われた永遠の命を受け取る時が来ると約束があります。新しい天と新しい地である天国の約束について考え、天国を待ち望んでいきたいと思います。

 

2.日曜日:新しい天と新しい地

ギリシャ哲学を信じる人たちの中には、実在の物は悪いものだという考え方があるようです。ですので、彼らにとっては実在の人間が住む実在の天国は信じられないものなのです。しかし、聖書は天国を実体のあるものとして語ります。

「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。」(ヨハネの黙示録21:1)

ヨハネの黙示録の21、22章は、天国について記してあります。天国には聖所や神殿、住まい、木々のある都が実在するものとして描かれています。天国は実在し、私たちはその素晴らしい場所に向かって旅をしているのです。天国を実在するものとして捉え、天国について学ぶことは、私たちが天国に住む備えをするために大切なことです。次の月曜日から木曜日は、天国がどのような所で、どのような恵みを受けることができるか学んでいきます。

 

3.月曜日:神の神殿で

天国に関するふたつの聖句から考えてみましょう。

「それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る。」(ヨハネの黙示録7:15)

「わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。」(ヨハネの黙示録21:22)

このふたつの聖句はどちらも天国のことを記しています。ただ、矛盾があるように感じます。ひとつ目の聖句は、「神殿」で神様に仕える人たちが登場します。ふたつ目の聖句は、「神殿を見なかった」とあります。天国には神殿があるのかないのか、どうなのでしょうか。

 

天国の神殿はもともと、天の軍勢が神様を礼拝する場所でした。しかし、罪が起こってしまったばかりに、神殿は礼拝の場所であると同時に、人間に救いを提供する場所にもなったのです。

私たちが天国に入る時、罪の問題はもう無くなっています。ですから、天の神殿は人に救いを提供するという役割はもう必要なくなります。ですので、ヨハネは「神殿を見なかった」と記したのです。その一方、神様を礼拝することは永遠に続きます。

大切なことは、天国は最初からそうであるように、絶えず礼拝をしているということです。この天国の礼拝は小羊であるイエス様を中心としています。そのような素晴らしい場所であるということを覚えておきましょう。

 

4.火曜日:神の御前で

神様に会ってみたいなとか、神様の顔を見てお話ししてみたいなとか思ったことはないでしょうか? もしかしたら神様に会ったことがある方もいるかもしれません。ただ残念ながら、今の罪の世の中では、いつも神様に会ったり神様の顔を見たりすることはできません。しかし天国はどうでしょうか。

「もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。」(ヨハネの黙示録22:3、4)

天国は神様の顔を見るという最高の恵みを受けることができるのです。また、ガイドでは神様を見ることと清さが関連していると示しています。

「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。」(マタイによる福音書5:7)

私たちが天国へ行くことは、イエス様の十字架の死によって確かなものとなりました。ただ、私たちは今この地上で天国へ入る備えをするために清めの過程を経験するのです。清めの中心は神様のみ言葉への服従だということを心に留めましょう。

 

5.水曜日:もはや死も涙もない

天国に関する素晴らしい聖句を読みましょう。

「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」(ヨハネの黙示録21:4)

天国には死がなく、悲しみも嘆きも労苦もないとはっきり書いてあります。これは、死んだ後に地獄に行って苦しむというような、これまで扱ってきた霊魂不滅の考え方とは全く違います。

私たちは現実の生活の中で、傷つくことや悲しいこと苦しいことをたくさん経験します。しかし神様は私たちから多くの悲しみを取り除きたいと考えておられるのです。そして、それは再臨の時に実現します。罪が無くなり、死が無くなる時に、私たちは心の底から喜ぶのです。天国は罪と死が無い素晴らしい所だということを覚えておきましょう。

 

6.木曜日:彼らの額には神の名が記され

火曜日で扱った天国の聖句から、天国についてまた新しい学びをします。

「もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。」(ヨハネの黙示録22:3、4)

「彼らの額には、神の名が記されている。」と素晴らしい恵みが記されています。ただ、私たちはどうすれば額に神の名を記すことができるのでしょうか。

神様は罪の存在になった人類を救うために、「救いの計画」をお立てになりました。この計画の中心は永遠の命の約束です。永遠の命はイエス様を信じる者すべてに与えられ、十字架によって備えられたのです。私たちは、イエス様を受け入れ、イエス様にゆだね、イエス様のうちにある新しい命を求め、イエス様により頼むなら、救いの保証を得ることができます。これが神様の名を額に記されるという意味です。

 

救いの保証を得ること、神様の名を額に記されることは、今、イエス様を信じることによって、得ることができます。そして、神様から離れず、真っ直ぐに人生の歩みを進めると、天国においても額に神様の名を書かれた者となるのです。

 

7.金曜日:さらなる研究

参考資料として、『各時代の大争闘』第42章「大争闘の集結」を読みましょう。

 

「大争闘は終わった。もはや罪はなく罪人もいない。全宇宙はきよくなった。調和と喜びのただ1つの脈拍が、広大な大宇宙に脈打つ。いっさいを創造されたお方から、いのちの光と喜びとが、無限に広がっている空間に流れ出る。最も微細な原子から最大の世界に至るまで、万物は、生物も無生物も、かげりのない美しさと完全な喜びをもって、神は愛であると告げる。」(『希望への光』1930ページ、『各時代の大争闘』下巻467ページ)。

 

新しい天と新しい地である天国の約束について確認しました。天国で受ける大きな恵みについて思い巡らしましょう。そして、天国を待ち望みつつ天国を目指して人生の歩みを進めましょう。

 

話し合いのための質問

・天国で受ける恵みについて、一番嬉しいもの、ワクワクするものについて話し合いましょう。天国のことを考え、天国を目指しつつ日々の生活を送ることはなぜ大切なのでしょうか?

・今期の学びを振り返って、印象に残った学びや心に留めておきたい箇所などを話し合いましょう。