第13課 愛は律法の完成(3月29日) 下村和美
1.安息日午後
慈しみの心は愛の本質的な部分であり、過ちを犯した人々には、慈しみの心で接するようにします。それは隣人を愛することは律法を全うすることだからです。律法を与えて下さった神は、愛の方でもあります。ですから愛と律法は切り離せません。
2.日曜日:愛の律法
神の律法は、関係を表しています。十戒の中に神と人間、人間同士の関係に適用される愛の原則が示されています。
出エジプト記20章で告げられた十戒である律法は、前半の四つの戒めが神と人間との関係を扱い、後半の六つの戒めが人間同士の関係を扱っています。この二つの関係が律法と密接に関係し、そして「心を尽くし…て、あなたの神である主を愛しなさい、」(マタイ22:37)と「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22:39)というみ言葉にも二つの関係が示されていることが分かります。神の愛と律法は切り離すことができません。
3.月曜日:律法は聖であり、正しく、善のもの
神の律法の基礎は愛です。神が律法を守られる時に、愛も守られています。
イエスが罪人を救うために死なれたのは、私たちを愛し、恵みを与えると同時に、律法も守られたからでした。
ところが恵みと救いによって律法は廃止されたと考える人がいます。しかし律法は私たちの罪深さを知るために必要であり、同時に、私たちの罪を全て十字架に背負って下さったイエスの愛と恵みが私たちには必要であることを示しています。
4.火曜日:律法と恵み
律法は人に罪を示すことは出来ますが、罪から人を救うことも、人の心を変えることも出来ません。恵みは人を救うことは出来ますが、人に罪を示すことが出来ません。ですから律法と恵みは対立するものではなく、互いに違う役割を果たしています。
出エジプト記で、神は律法である十戒を石に刻まれましたが、律法は神の民の心にも刻まれなければなりません。神だけが人の心に律法を刻むことが出来るお方です。自分の力で律法を守ること、自分の心に刻みつけることはできません。神の恵みだけが人を救い、人の心を変えることが出来ます。
律法の役割は、
① 罪を人に示し、
② あがない主イエスの必要を示し、
③ 人を正しい道に導き、
④ 私たちの行動と語る言葉を通して神の愛のご品性を他の人に明らかにすることです。
5.水曜日:愛は律法の完成
愛することは律法を完成することです。パウロは十戒の後半の六つの戒めを、「隣人を自分のように愛しなさい」(ローマ13:9、ガラテヤ5:14)という言葉にまとめました。
イエスは律法の中で最も重要なことを正義、慈悲、誠実であると示しています。
特に安息日という律法の中で、解放と正義とを結びつけ、エジプトの奴隷状態からのイスラエルが解放されたように、私たちが罪の奴隷状態から神に解放していただいたことを知る時、私たちは自分のしたいことから離れ、罪を犯さないということだけではなく、主が喜ぶこと、つまり他の人に対して積極的に善を行う(飢えている人に食事を与え、家のない人に宿を提供するなど)者になりたいと願うように変えられます。
6.木曜日:何よりも互いに愛し合う
愛が律法を完成させるというのは、悪を行わないことと、他の人に神の愛を自ら示す行為が含まれています。ヤコブは、貧しい人をその身なりで判断して分け隔てすることは、隣人を自分のように愛する律法を完成させていないことだと言っています。エレン・ホワイトは「人に対する愛は、神の愛がこの地上にあらわれたものである。栄光の王キリストがわれわれと一つとなられた…」(『希望への光』1011ページ、『各時代の希望』第70章)と表現しています。キリストと一つとなるために、キリストが世の人々を愛されたように、私たちも世の人々を愛する時、私たちが天国に相応しいものと変えられます。
7.金曜日:さらなる研究
他の人に奉仕する人は、イエスに奉仕される。
世の娯楽から離れ、滅びようとしている魂をどのように救うかというテーマに変わります。
私たちが神と共に働く者であると認められる時、私たちは「わたしは必ずあなたと共にいる」(出エジプト3:12)という神の約束について無関心ではいられなくなります。神は、苦しみ悩む人たちのために、キリストに代わって働く全ての人に対して、「共にいる」と約束されています。