安息日学校部

第12課 青年用 西村翔

2022年第3期「試練を共にされるキリスト」

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第12課   1粒の麦のように死ぬ   西村翔

 

  • 今週のポイント
    • 皆さんには、「こういう人になりたい」という夢や憧れがあるでしょうか。しかし、時に「私の願い」と「神様の御心」が違うということがあります。それこそ、一粒の麦のように、自分の望んでいない形で生きることになるのかもしれません。どのようにしたら、喜びのうちに神様の御心を知り、受け入れることができるのでしょうか。
    • まず、私たちの模範であるイエス様の姿から考えたいと思います。イエス様は、「神としてのあり方」(フィリピ2:6新改訳2017)を捨てて、人間となられました。自分というあり方を捨てて、僕となり、人に仕える道を選ばれたのです。私たちも同じ生き方へと招かれています。
    • サムエル記上3章の少年サムエルのように、私たちも神様に対して聴く姿勢を持っていたいです。朝のお祈りにひと言付け加えてみてください。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」(サムエル上3:10)神様は、あなたにお話ししたいと願っています。
    • 私たち(特に青年)にとって、最も危険なことは「独断」で判断することです。あなたはどれだけ親の意見に耳を傾けているでしょうか。どれだけ先生や先輩、友達のアドバイスに従っているでしょうか。また、どれだけ神様の御心を求めているでしょうか。独断は、時に悲劇を生みます。サムエル記上13章に出てくるサウル王が、まさにそうでした。
    • 自分の力ではどうしようにもできないことも、神様なら成し遂げることができます。神様に信頼しましょう。「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって」(ゼカリヤ4:6)

 

  • 用語解説
    • 「自己に死ぬ」:自分の願いや思いを手放すこと。全てを神様の手の上に置くこと。

 

  • ディスカッションのためのテーマ

① 最近、「自分の願い」と「神様の御心」が違ったことがありましたか?

②  「自分を犠牲にして、人に仕える」生き方は、カッコいいと思います(もしくは、思いません)か?なぜそう思いますか?

 

  • 補足・コメント

ある牧師が言いました。「御心は『どこへ』行くかではない。『誰と』行くかだ。」私たちは、自分の将来が分かりません。でもイエス様はご存じです。日々祈りながら、この方と共に歩んでいきましょう。イエス様はあなたのことを愛しています。