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第12課 諸国民の願い 寺内三一
1.安息日午後
今週は、救いの方法には二つある事を学びます。それは、「行いによる救い」と「キリストの恵みを信じる~信仰による救い」の二つです。
救いの方法の一つは、「行いによる救い」です。ガイドにある「自分の優れた資質や功績が私達を救う」という「人の行いによる救い(自力の救い)」です。罪を犯したアダムとエバは、「自分たちの裸を覆う」ために、いちじくの葉を腰に巻きました(創世記3:7)。これが「人の行いによる救い(自力の救い~行いによる義の救い)」です。
救いの方法のもう一つは、聖書が示している正しい救いである「キリストの恵みを信じる~信仰による救い」です。神様の愛と、キリストの十字架で救われる事を信じる「信仰による救い」です。
いちじくの葉を腰に巻いたアダムとエバに神様は、イエス様の十字架の救いを示す「皮の衣(皮の着物)」を与えました。アダムとエバは、いちじくの葉を脱ぎ捨てて、「皮の衣(皮の着物)」を身につけたのです。アダムとエバは、自分の行いによって救われようとする者から、神様の愛とイエス様の愛の十字架の救いを信じて救われる者になったのです。自分の努力や力や行いで救われようとする者から、イエス・キリストの愛と恵みを信じて救われる者となったのです。
今週は次に、聖書の神様のご品性には二つの面がある事を学びます。
それは、「憐れみと正義(優しい愛と厳しい愛)」です。神様は憐れみの神様ですから、「罪人を愛し恵み、罪人の罪を赦し罪から救う神様」なのです。そして、神様は正義の神様です。ですから、罪を見過ごしにされないで、「罪に報復し、罪を裁き、罪を(サタンを)滅ぼす神様」なのです。
この神様のご品性の二つを示したものが、救い主イエス様の十字架です。イエス様は罪人の私達を憐れみ救うために、自らが十字架につき私達の罪の身代わりに裁かれたのです。それがイザヤ61:2に「主の恵みの年(救い)」と「神の報復の日(裁き)」の二つの面として書かれているのです。
2.日曜日:罪の結果 (イザヤ 59章)
イザヤ59:1―2に、神様は、イスラエルの民の救いを妨げているのは「主(神様)の手が短いから(ではなく)、主(神様)の耳が鈍くて人の救いを求める声が聞こえないから」でもないと言っています。イスラエルの民の救いを妨げているのは神様ではなく、「お前たち(イスラエルの民)の悪が神とお前たちとの間を隔て、お前たちの罪が神の御顔を隠させ」ているのだと言われます。イスラエルの民の救いを妨げているのは、神様ではなく、民の悪と罪だと言われるのです。
問2下に「罪とは本来、神を拒む事、神から離れて行く事です」とあります。アダムとエバは罪を犯して、神様が近づいて来られるのを知り木の間に隠れました。罪が人を神様から引き離すのであって、神様が罪人を遠ざけるのではないのです。神様は、罪を犯して隠れる罪人のアダムとエバに「あなたはどこにいるのか(出て来なさい)」と、招きの言葉をかけられる愛の御方なのです。
3.月曜日:だれが赦されるのか (イザヤ 59:15~21)
イザヤ59章の前半は、人の罪の状態をはっきりと描いています。そして59章の後半は、罪人に対する贖い(救い)の希望を描いています。
聖書には「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなってい(る)」(ローマ 3:23)と、すべての人は神の前に罪人であると示しています。ですから、救いは、誰が罪を犯したかが問題なのではなく、誰が救い主のイエス様を信じて救われるかが問題なのです。
救いには、2つのポイントがあります。一つは、自分の罪に気づき、罪を悔い改める事です。
もう一つは、罪人を救って下さる神様の憐れみとイエス様の愛の十字架を信じる事です。
さらにもう一つ加えれば、「信じてバプテスマを受ける」事です(マルコ 16:16)。
人は行いによっては救われませんが、神様にあって救われているかどうかが行いに表れてきます。
良い行いとは「(神様の)愛によって働く信仰」なのです。聖霊の神様を受け入れる人の心に神様の愛が注がれ、救い主イエス様を信じる生きた信仰に導かれ、生きた信仰の結果が行いとなるのです。
4.火曜日:普遍的な訴え (イザヤ 60:1、2)
イザヤ60:1、2の預言は、後に南王国ユダがバビロンに滅ぼされ、民がバビロンに捕虜として連れて行かれ(バビロン捕囚)、その後に帰還して救われるという将来の「神の愛の救いの光と民の救いの喜びの光(輝き)」を示しています。またこの預言が示すもう一つは、イエス様が山上の説教で語られた「あなたがたは世の光である・・あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」(マタイ 5:14、16)との言葉を示しています。イエス様に救われた者(クリスチャン)は、太陽の光に照らされた月のように、イエス様の愛の救いの光を受けて喜び感謝して、世に神様とイエス様をあらわす事ができると言われるのです。ガイドに「闇に覆われた地上の民は(救いを求める人々は)・・輝き出る神の栄光の光に引き寄せられ」るというのです。
これは問7にある「アブラハムに対する神の契約の約束」と似ています。神様はアブラハムに「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。・・地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」(創世記 12:2、3)と語りました。神様を信じて神様に従ったアブラハムを神様は祝福します。アブラハムが神様に祝福されている姿を見た人たちが、自分達も神様の祝福が欲しいと、神様の祝福を求めてやって来るようになり、その人達も祝福されるというのです。このように、アブラハムも、後の旧約時代の人も、新約時代に生きる私達クリスチャンも、共に神様の救いの祝福を受け、他の人に神様の祝福の光を輝かせ証しする「世の光」です。諸国民の願いである「神様を信じる者に与えられる永遠の命の祝福」を伝える器なのです。
5.水曜日:「主の恵みの年」 (イザヤ 61:2)
イザヤ61:1の「神様が油を注ぎ、神の霊」を受ける人はだれでしょうか。その人は、61:1の「貧しい人に良い知らせ(福音)を伝え~打ち砕かれた心を包み~捕らわれ人には自由を~つながれている人には解放を告知」する人です。この預言は700年後にイエス・キリストによって成就しました。イエス様は伝道生涯の始めに、安息日に会堂に入りイザヤ61:1、2を朗読されたのでした(ルカ福音書 4:16~21)。
イザヤ61:2の「主の恵みの年」は、一種のヨベルの年です。ヨベルの年である聖なる50年目の年には、負債があっても先祖伝来の所有地に帰る事ができました。奴隷になった者は自由人となれました。50年目には、土地と自由を取り戻すことが出来たのです。元の状態に回復されたのです。メシア(救い主)の働きは、ヨベルの年(レビ記25章)の律法の範囲をはるかに超えています。
それは「打ち砕かれた心を包み~嘆いている人を慰める」心のいやしと回復も含まれるからです。
6.木曜日:「神の報復の日」 (イザヤ 61:2)
イエス様は伝道生涯の始めに、イザヤ61:1、2の「主の恵みの年」までは朗読されましたが、次の「主の報復される日」は朗読されませんでした。それは、イエス様の慰めの働きはすでに始まっていましたが、「報復の日(神様の裁きの日)」はまだ来ていなかったからです。イエス様が神の敵を打ち破る~最終的な「報復の日(神様の裁きの日)」は、再臨の時(以降)になるのです。
神様は報いを与える神様です。「神はおのおのの行いに従ってお報いになります。すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります」(ローマ 2:6-8)。イエス様は「隠れたことを見ておられる父が、・・報いてくださる」(マタイ6:4)と言われました。ですから私達は、「どんな小さな悪」も犯す事を避け、「どんなに小さな善」をも行い続けていきたいと思います。
神様を信じる罪人を、愛と憐れみをもってゆるし救って下さらなければ、本当の神様とは言えません。また、神様の愛を認めず拒み続ける者、悪を犯し続け罪を悔い改めない者の罪と悪をいつまでも裁かないでいるのも、本当の神様とは言えません。真の神様だけが、無限の憐れみのうちに、完全かつ公正に正義と報復(罪の裁き)をもたらす事ができるのです。そして、神様の御子でありながら、罪人を憐れみ救うために、ご自身の命を犠牲にしても、罪人を救おうとされ、十字架の上で自己犠牲の愛をあらわしたイエス様だけがおできになるのではないでしょうか。
7.金曜日:さらなる研究
よくこう言われる方がいます。「旧約聖書は、神様の罪の裁きが多いので嫌いだ。新約聖書は、罪人の救いと憐れみが多く慰められるから好きだ」。罪の裁き(正義)だけで、憐れみとゆるしがなければ不完全な私達は生きていけません。また、憐れみとゆるしだけで、正義(罪の裁き)がなくては罪と悪がはびこり困ります。聖書の神様は、「憐れみと正義」、「罪のゆるしと悪に妥協しない正しさ」、「優しい愛と厳しい愛」のバランスがとれているからこそ「本当の神様」なのです。
皆さんは、「憐れみと正義~優しい愛と厳しい愛」のバランスがとれているでしょうか。優しくすべき時に優しくしているでしょうか。厳しく妥協してはいけない時に厳しくしているでしょうか。
「おりにかなって語る言葉は、銀の彫り物に金のりんごをはめたようだ」(箴言 25:11 口語訳)とあるように、皆さんは、その時々に「おりにかなって」優しく~厳しくできているでしょうか。
どうしたら、その時々に「おりにかなって・・優しく~厳しく」できるでしょうか、皆さんの経験などを話し合ってみて下さい。