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第12課 難しい箇所の扱い方 伊藤 裕史
1.安息日午後
皆さんは聖書の中に分かりにくいものを読んだことはありますか。そんな時に皆さんはどうしていますか。読みとばしたり、見ないふりをしたりしますか。生活の中ではそれもできます。しかし、聖書研究ではそうはいきません。そんな時に「どう取り組むといいか」が今週のテーマです。暗唱聖句にあるように「難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています。」(Ⅱペト3:16)ということにならないように学んでいきましょう。そして、分かりにくい場所があるからといって聖書からはなれることがないように注意しましょう。そのために、難しく感じるのはなぜか、それに対して私たちがどう取り組むことが大切なのかをいっしょに学んでいきましょう。
2.日曜日:明らかな矛盾の理由として考えられること
聖書にはなぜ私たちにとって分かりにくいところがあるのでしょうか。理由のひとつは、私たちに原因があります。私たちは神様のことをすべて理解することができない者だからです。小学生が高校生の学んでいるものをすべて理解することができないように、今の私たちには神様の知恵のすべてを理解することはできないのです。その時、私たちはむずかしいとか、分かりにくいと思ってしまうのです。だからといって、高校生の学んでいることがまちがっているとは思わないでしょう。だから聖書の中にわからないところがあるからといって、聖書がまちがっていると思うことも、聖書をすてることもしてはいけないのです。
でもある人たちは自分が分からないから、聖書は間違っていると言います。そしてすぐにほうり出してしまいます。それは聖書を、「人」が作ったものと考えているからです。そういう人はそこから先に進もうとせずに、聖書からはなれてしまいます。そして、聖書を読むことなくまちがっているというのです。
もちろん、聖書がつたえられる中でまちがいがあったり、日本語にするときにまちがったりすることもあります。でも心配しないでください。そのような時は神様が正しい道へ導く方法を用意して下さっています。
私は聖書の真理はパズルのようなものだと思っています。パズルのピースはかならずどこかはまる場所があります。自分の思い通りのところではまらないからといって捨ててしまえばパズルは完成しません。だから、決して聖書の真理を捨てたりしないでください。
3.月曜日:難しい箇所を正直に注意深く扱う
問題は、聖書の中で分からないことが出てきた時にどうするかです。ごまかしたり、にげたりしないで下さい。一番大切なのは「自分はいまはわからない」ということを正直にみとめることです。神様は私たちがわからないことをみとめたときに、次の道をそなえて下さるのです。
でも、このようなときにあなたが「自分は知っているよ」という態度をとったらどうなるでしょうか。神様はあなたにたいして働きかけることができません。それだけでなく、あなたの知らないのに知っているといった偽りのすがたを守るために、あなたはもっとうそをつかなくてはいけなくなるでしょう。そうすると戻ることが難しくなります。だから、ごまかしたりしないでください。
もし分からないことを正直にみとめるならば、神様がすぐにではないかもしれませんが、真実を知るよろこびを私たちに用意して下さるのです。皆さんもこれまでとけなかったむずかしい問題がとけたときに「やったー!」と喜んだことがあるでしょう。皆さんは聖書をとおしてこのことが体験できます。その時、私たちはこれまで知らなかった新しい神様のすがたを見ることができるのです。こちらを体験していきましょう。
4.火曜日:難しい箇所を謙遜に扱う
神様を知る喜びを体験するためには、まず自分が本当はどんな姿なのかを知る必要があります。なぜなら私たちは自分の姿をまちがって考えているからです。私たちは自分が世界の中心にいて、自分の考えが一番正しいと思っています。この自分が正しいという思いが、聖書を理解する大きなかべになっているのです。
本当はどうでしょうか。私たちは世界の中心にはいませんし、私たちの考えは正しくもありません。私たちは、神様からはなれては生きていくことができないのです。これはすべてのことに共通します。だから、私たちは自分の思いでなく神様がどのように考えておられるかを大切にしないといけません。この姿をガイドは「謙遜」といっています。
「謙遜」であれば、私たちは自分の思いで世の中を見ることはありません。自分の思いではなく、神様がどのように考えておられるのかを知りたいと思います。この思いが私たちを神様のほうへ成長させるのです。成長すればするほど、これまで分からなかったことがわかるようになり、神様のすがたもわかるようになるのです。神様は「謙遜な者には恵みをお与えになる」(ヤコブ4:6)のです。
5.水曜日:決意と忍耐
皆さんはコツコツやるタイプですか。ガラテヤ6:9には「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。」とあります。私は「たゆまず」「飽きずに」というのが苦手です。すぐ結果を求めてしまいます。教会活動、特に伝道をしている時に、すぐに結果が出てくるものはそう多くはありません。むしろ結果がすぐには出てこないものです。そこであきらめてしまえば、福音を広げることはできません。私たちはそれを経験しています。しかし、福音の種をまきつづければ、かならず実りの季節がやって来るものです。
これは信仰生活にも言えることです。あなたの信仰の成長もそうですし、聖書の中で分からないところが出てきた時も同じです。それに取り組んでいる時間はむだにはなりません。それはふくらんで大きな祝福となってあなたにもどってくるのです。もし、すべてが分からなかったとしても、分かったところを信仰生活で実行していけば、新たな真理へ導かれることもあるのです。
日曜日のところで聖書の真理はパズルのようなものだと言いました。パズルを完成させるために必要なものは何でしょうか。やっているとちゅうで投げ出さないこと。そして、本当にピースがはまるかどうか何度もやってみることです。はまらなかったら、次のピースをためしていけばいいのです。ただ、考えていても完成しないのです。
6.木曜日:難しい箇所を聖書的に祈りつつ扱う
最後にイエス様の弟子たちの方法を見ていきましょう。使徒言行録にベレアの人たちが出てきます。「ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。」(使徒17:11)彼らは伝えられた真理を素直に受け入れました。でもただ信じたのではありませんでした。それが真理かどうか、毎日聖書を調べていたのです。聖書全体を見たり、同じ主題に対して聖書はなんと言っているか、もっと他に聖書は語っていないか、こんな思いで毎日聖書研究をしていたのです。聖書を使って聖書を調べることは、私たちの信仰の先輩のしたことであり、このことから私たちの教会が生まれたのです。むずかしい箇所がでてきたらこの姿に戻りましょう。
そしてなによりも、神様に祈っていきましょう。祈ることで、今週学んだいくつものことが実行できるからです。神様の助けをいただき、自分ではなく神様中心に聖書にむきあうことができます。その時、神様から必要な真理がいただけるのです。
7.金曜日:さらなる研究
今週のガイドを学ぶとイザヤ書を思い出しました。「主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。」(イザヤ59:1)難しい聖句に出会った時、私たちはそれは相手に問題があると思います。しかし、多くは私のほうに問題があるのです。その問題を一つ一つ取り除くことができれば、真理、神様の本当の姿を見ることができるのです。逆に、批判をすればするほど真理からはなれていってしまうことに私たちは気が付かなくてはいけないのです。