第12課 「愛と正義」―二つの最も重要な掟(3月22日) 池増信男
1.安息日午後
[暗唱聖句]
「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。(Iヨハネ4:20新共同訳)
今期、私たちは神様が愛と正義のお方であることを学んでおりますが、「そうなんですね!」と理解しただけで終わってしまったら、何の意味もありません。今週は神様が私たちに対して、隣人を愛し、公平・公正に接するように願っておられることを学びます。
2.日曜日:二つの最も重要な掟
神様はシナイ山でモーセを通して十戒をイスラエルの民にお与えになられました。それからおよそ1500年後にイエス様は十戒を2つの戒めにまとめました。一つは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主なる神を愛しなさい。」(マタイ22:37)であり、二つ目は「隣人を自分のように愛しなさい。」(マタイ22:39)というものでした。神様を何よりも第一とすること、隣人を自分よりも大切にすることが、人の歩む道だということです。でもそのような生き方は人間にはできません。霊によって生まれ変わった人のみが歩める道です。
3.月曜日:二つの最も重い罪
人間の歩む道は二つの掟(戒め)に示されておりました。それとは逆に人が行ってはならない大きな二つの罪があると聖書は語ります。一つは主なる神以外の神々を神として礼拝すること、二つは弱き者たちに心をとめず、励ましや優しい言葉一つもかけず、また何一つ助けることすらしない生き方です。つまり「愛さない」ことが、もっとも大きな罪です。これは意外な点ではないでしょうか。
普通、私たちは人を殺すこと、人の物を力づくで取ること、それから人をだますことなどが最も大きな罪だと思いがちです。しかし、聖書的にはそうではありません。神と人への無関心が最大の(1番大きな)罪なのです。
4.火曜日:神は正義を愛される
米国39代大統領であったジミー・カーター氏は大統領就任演説の中で旧約聖書の言葉を引用されました。その言葉は本日のSSガイドにも引用されているミカ書6章8節で「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである」というものでした。「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだる」ことは、まさに神様のご性質です。神様はご自分がなさらないことを人に求めることはないのです。
5.水曜日:正義を貫くための召し
旧約聖書に登場する預言者たちは、イスラエルとユダの王や民の指導者らに向かって、弱き者たちを押さえつけたり、だましたりしないように強く言いつけました。民の指導者たちは神様の愛と正義(公平・公正)を行うためにその立場に置かれたわけです。でも、それとは反対の行動を取りました。
イエス様時代のファリサイ派や律法学者たちも過去の指導者らと全く変わっていません(同じ)でした。その姿をご覧になられたイエス様は、「正義の実行と神への愛をおろそかにしている」(ルカ11:42)とひどく悲しまれたのでした。
6.木曜日:「わたしの隣人とはだれですか」
たとえの中の「良きサマリヤ人」は、けが人(サマリヤ人を嫌っている※ユダヤ人)を自分の友人のように世話し、宿屋の主人に面倒を見るように頼みました。しかも自分の費用で! この「良きサマリヤ人」の姿に、私たちはイエス様を見ることができます。イエス様は人間らしい扱いを受けていない人々、貧しい人々、病んでいる人々に仕えられました。さらにはご自身を憎む者たちのためにも、彼らの罪を背負って十字架刑を受け入れられたのです。イエス様は今日も同じような人々に深い関心を向けておられます。私たちはイエス様の隣人なのです。
※SDA聖書註解や他の註解書によると「ある人」とはユダヤ人であったと言及されている。
7.金曜日:さらなる研究
律法学者らが定めた安息日を守る規則は、返って人を苦しめるものになっていました。そのような規則の過ちを明らかにされるのがイエス様のお働きでした。イエス様は安息日の回復と人間の命の尊さを取り戻すためにおいでになられたのです。
質問
・ あなたは困っている人に対してどのような愛と正義(公平・公正)に満ちた行動を取りたいか考えてみましょう。
・ 隣人を愛し、また隣人の必要に応えるためにあなたが犠牲とすべきものがありますか。