2020年第3期「神のためにたくさんの友人をつくる-喜びを他の人に伝える」
第11課 イエスの物語を伝える 島田隼人
- 今週のポイント
- 今週のテーマに書いてあるように、「あかしとは、私たちがイエスについて知っていることを伝えることです」。神学者のように多くの知識を得てから伝え始めるのではなく、イエスさまと私たちの個人的な出会い、そして変えられた人生を伝えることが大切なのです。時にそれは勇気のいることだと思います。「私のあかしなんて・・・」「誰も聞きたくないのでは・・・」など葛藤を覚えることもあるかと思います。しかし、神様からのメッセージは「恐れるな、語りつづけよ、黙っているな。」(使18:9)なのです。私たちが勇気を持って大胆に語る時、神さまの大いなる力を経験することができるのです。
- イエスさまの物語を伝える人は、イエスさまの「愛」に触れた人です。人を変えるのはイエスさまの「愛」であること、そしてその「愛」が内側から溢れ出ることが最大の「あかし」となるのです。
- イエスさまの物語を話す上で重要な点として、「自分自身のうちにイエスがメシヤであるという証拠を持っている」(『希望への光』844)ことではないでしょうか。情熱的にイエスさまの物語を語ろうとも、自分自身のうちにメシヤであるイエスさまの確信(証拠)があるか無いかでは大きな違いがあるのです。伝え方や語り方も大切ですが、何よりも大切なことは、伝える人の内側にイエスさまがいることなのです。
- 確信を持ってあかしするためには、私たちの目を自分自身からイエスさまに向ける必要があります。ガイドの水曜日に、ある賢い年配牧師の言葉が載っています。「自分自身を見るなら、救われる可能性があるとは思えません。しかしイエスを見るとき、滅びる可能性があるとは思えないのです」。イエスさまを見続けることによって、確信を持ってあかしすることができるのです。
「キリストを眺めるということの意味は、み言葉の内にこのお方の生涯を研究するということである。わたしたちは真理を隠された宝のように掘り下げるべきである。目をキリストに留めなければならない。このお方を自分の個人的救い主とする時、そのことがわたしたちを恵みの御座に大胆に行かせるのである。眺めることによってわたしたちは変えられ、品性において完全であられるお方に道徳的に同化するようになる」(『SDA聖書注解』6巻、p.1098)。
- ディスカッションのためのテーマ
- キリストを知る前のあなたと、知ったあとのあなたについて話し合ってください。何が変わりましたか?変化を感じない時もありませんか?
- ガイドの木曜日のテーマ、「犠牲」について話し合いましょう。キリストの犠牲について。また、キリストのために払うあなたの犠牲について。
- 「確信」を持ちたい、イエスさまと個人的な関係を築きたい!と願っていても誘惑に負けてイエスさまから目を離してしまうことがあります。どうすれば良いですか?何が必要ですか?皆さんの経験を分かち合いましょう。