安息日学校部

第11課 聴覚しょうがい者用:松枝重則

2021年第1期「イザヤ」(わが民を慰めよ 

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第11課 行動する愛 松枝重則

1.安息日午後:今週のテーマ

普通に生活していたらわかりませんが、助けを必要としている人は沢山います。苦しんでいる人も沢山います。それはもしかしたら、お隣さんかもしれません。神様は私たちを通して沢山の人を救いたいと願っておられます。私たちは神の愛を受けて、その後どうしているでしょうか。今週は「行動する愛」と題して、私たちが本当に必要なことを学びます。

 

2.日曜日:ただで買い求めよ

「あなたがたは来て、金を出さずに、ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ」(イザヤ55:1、口語訳)と書かれています。なにかを買う時は、お金を払って買いますが、お金を出さずに買いなさいと言っています。これは、私たちがどのように救われるのかを教えてくれています。私たちが自分のお金で救いを買うことができるなら、イエス様が十字架にかかられる必要はありませんでした。私たちが大金持ちだったとしてもお金で救いを買うことはできません。私たちに救いを与えることができるお方は、十字架にかかられたイエス様だけです。私たちは、イエス様の十字架の犠牲を信じて生きることによって、救いをただで買い求めることができるのです。

 

3.月曜日:高い思い、高い道

「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり/わたしの道はあなたたちの道と異なると/主は言われる。」(イザヤ55:9 新共同訳)。人類にもっとも大切でありならが、完全には理解できないのが「救いの計画」です。天使でさえも「救いの計画」を完全に理解することができないのなら、私たちがこの地上で「救いの計画」を全て理解することは絶対できません。それが、イザヤ55章9節で説明されています。私たちは、神様がもっとこうしてくれたら良いのに、などと考えることがあるかもしれません。しかし、神様は一人でも多くの人を救うために一番良い方法をとってくださっています。私たちにできることは、理解をはるかに超えた全人類の救いの計画を信じ、神とともに生きることなのです。

 

4.火曜日:偽りの断食

イザヤ58章には、偽り(嘘)の断食(食事をしないこと)と真(本当)の断食が書かれています。断食とはレビ記16章に書かれている贖罪日の「断食」のことを言っています。贖罪日とは、年に一度、神の民の罪を清める日のことです。神の民は、贖罪日に罪が完全に清められるために、断食してお祈りしました。断食をすることで、眠くならず、祈りに集中することができます。しかし神の民は断食という「行い」にばかり気を取られて、断食を通して神が教えたかった最も大切なことを忘れていたのでした。

 

5.水曜日:真の断食

イザヤ58章6-8節に真の断食について書かれています。今、私たちは、私たちの罪が清められる贖罪日に生きています。今、イエス様は私たちが告白した全ての罪を天の至聖所で清めてくださっているのです。私たちは罪が清められる贖罪日には断食するように教えられています。断食とはただご飯を食べないで神に祈り、安息日に礼拝することでしょうか。お祈りし、安息日に礼拝することは、とても大切です。しかし、世の中には神様を知らない人が沢山います。神様のことを知らないだけではなく、お腹を空かしている人、困っている人が沢山います。私たちはそのような、助けを必要としている人を気にしないで、ただ断食して祈って礼拝をしていれば救われるのでしょうか。「愛がなければ、いっさいは無益である。」(1コリント13:3 口語訳)。と書かれています。真の断食とは、信仰によって救いを与えられている私たちが、祈り、聖霊に導かれて、助けを必要としている人を助けることなのです。

 

6.木曜日:私たちの時間

イザヤ58章13節には安息日の過ごし方が書かれています。天地創造の記念日である第7日目を安息日と言いますが、年ごとの贖罪日も安息日なのです。贖罪日という安息日は罪が清められる大切な日としての安息日です。

イザヤ58章には大切なことが三つ書かれています。

1.自己否定:自分で自分を救うことができないことを認め、天地を造られた神を愛すること。

2.親切心:自分を愛するように隣人を愛すること。

3.安息日:神を愛し、隣人を愛することで、真の安息に入ることができるのです。

 

質問:私たちは毎日学校や仕事に行き、週の七日目を守り教会で安息日を過ごすことで満足してはいないでしょうか。私たちはイエス様のように安息日に癒しの奇跡をすることはできないかもしれませんが、神様は私たちにどのように安息日を過ごして欲しいと願っておられるのでしょうか。