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第11課 困難な時代に管理する 平本 光
1.安息日午後 今週のテーマ
世界の経済状況の不確かさに多くの人が不安を感じています。
商品の値段が高くなっていったり、必要なものが簡単に手に入らなくなったりと、すべての人にとってわかりやすく問題があることに気づきます。このような中で多くの人が不安を抱いています。
経済が不確実であるとき、私たち人間の自然な傾向は、なるべくお金を使わないように支出を抑え、資産を節約します。しかし、私たちの考えるべき事は、神が近づいていることを世界に警告する働きをどのようにしていくかという管理のやり方なのです。
このような状況に対して、クリスチャンはどのように適切に対応していくか。それは、これまで以上にキリストに信頼することです。そのために聖書の原則に基づいた私たちが従うべきいくつかのステップについて学んでいきます。
2.日曜日:何よりもまず神を
ヨシャファトは南ユダ王国の王様でアサの子です。彼は紀元前868年に父アサ王の後継者として即位すると、すぐに北イスラエル王国の王アハブと和平を講じ、息子のヨラムをアハブ王の姉妹にあたるアタリヤと結婚させた人です。
歴代誌下では、ヨシャファト王は、特に律法の教育と裁判規則の確立などの政策に力を注いだ人物として紹介しています。またイエス様の系図の中にも登場してくる人物です。
歴代誌下20章の中にある諸原則は、現代の経済危機にも当てはまる問題です。南ユダ王国が直面したときのように、私たちの危機は、私たち自身の生活だけではなく、キリスト教会にも害を及ぼす可能性を非常に高く持っていることを教えています。
ヨシャファト王が国を治めていた時期の終わり頃、ユダ王国は、他国の軍隊に侵略されました。勇猛果敢なヨシャファトは、軍隊を強化し、街のいたる所の要塞化をはかっていました。どんな敵にも立ち向かう備えをしていましたが、この危機に際してヨシャファトは、自分の力を頼みとせず、神の力を頼みとしました。彼は王としてユダ王国のすべての人々に祈りと断食を呼びかけました(歴代誌20章3節)。
このようにして人々が神に身を委ねたときに、神の霊がユダ王国の人に降り注ぎ勝利を得られるようにしてくれました。ユダ王国の男たちは、3日かかって戦利品を集め、4日目には、来た時と同じく、賛美しつつ、エルサレムに帰りました。
彼らを救い出された神様は、私たちが愛し、礼拝する神様と同じ神様であり、神の力は今も当時も変わらず、偉大であることが教えられています。私たちにとっての挑戦は、主と主の導きに信頼することです。
このヨシャファト王とユダ王国の人たちがしたように、主に信頼し、一緒に祈り、仲間とともに主に信頼して生きていくことが大切です。
3.月曜日:自分の力ではなく、神を信頼する
ダビデ王は、困難が訪れたとき、サタンの誘惑に負けて、自分の力と才能に信頼してしまいました。
兵士を数えるのは、サタンの考えであったということに注目するよう教えられています。サタンはダビデが、防衛のために、神の導きに頼るのではなく、自分自身の力に頼るようにそそのかしました。
イスラエル軍の指導者であるヨアブは、ダビデにイスラエルの民の数を数えないように説得しようとしましたが、ダビデは、兵士を数えるように要求しました。聖書を読むとわかりますが、ダビデとイスラエルは、サタンの提案に屈したために恐ろしい疫病に苦しむことになりました。
今日、私たちはダビデと同じような状況に直面するときに、家庭を経済的に強化するためにできることを行い、神が守り与えてくださることを信頼するように教えられています。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイによる福音書6章33節、口語訳)です。
4.火曜日:簡素にする時が来たのか
クリスチャンは、経済危機に際して何をするのでしょうか。生き残りをかけて仕事に本腰を入れますか? いいえ、むしろその反対です。「この働きが終わる最後の時に、幾千人の人たちが喜んで祭壇にささげるであろう。人々は、魂が神の大いなる日に立つことができるように、その準備の働きに参加する祝福された特権が与えられたことを感じて、今与えられている資金から、何百ドルと躊躇なくささげるであろう」(『祝福に満ちた生活~スチュワードシップに関する勧告』48ページ)。
聖書を信じている人は、この地上のすべてのものは、いつか近いうちに、イエスの再臨の時に燃え尽きてしまうということをわかっています(ペテロの第二の手紙3章10節)。彼らは、神の目的のために賢く金銭を投資し、何らかの善をなし、裁きの火を逃れることになる(副読本98ページ)ということが教えられています。私たちの経済的ストレスは、聖書の原則を学び、実践することで、大いに(経済的ストレスが)軽減し、取り除くことができるということです。神の勧告は、私たちに最善の利益をもたらすために与えられています。
災害や大きな問題に直面すると「わたし1人だけでも助かりたい」と不安から願ってしまいますが、その一方で、「私だけ助かっても、意味がない。家族や友人も救われてほしい」と考えます。大切な人を助けるためにも、私たちが持っている力や時間、財産をよく管理していくことが大切です。
5.水曜日:優先すべきもの
優先すべきものとは、私たちが神の側にいるか、いないか、どちらかを選ぶことだと教えています。私たちがキリストに全てを捧げようとするとき、他のために残すものは何もありません。それが道であり、これこそが道でなければならないのです(ガイド84ページ)。全心全霊を働きにうちこみ、「わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思」うようでなければ、だれも神への奉仕に成功することはできない(ピリピ3:8、口語訳)とあるように、自分のために少しでも取って置く者はキリストの弟子になることはできないし、ましてや共労者となることはできないのです。
何よりもイエス様に一番価値がある。自分にとって一番大事だと思うならば、キリストがどこへみちびかれようとも、彼らはよろこんで従うことができるのです。この世のものは、毎日、私たちの目の前にあるけれども、世にあるもの全ての誘惑は強く、すぐに欲望を満たしたいという衝動が襲ってくるかもしれません。
キリストの短い警告の背景にはロトの経験があります。イエスが「ロトの妻のことを思い出しなさい」というみ言葉をお語りになったのは、再臨の備えをする文脈においてでした。この話が私たちに伝えているのは、ロトの妻が振り返って、塩の柱となりました。彼女の心がソドムにあったからです。この話が私たちに伝えているのは、「永遠の命と交換するほどの価値のある人や財産はない」と言うことです。再臨のとき、生きてこの世を去る全ての人は、ロトの妻が直面した時と同じ決断をすることになるでしょう(副読本96ページ)。自分の持ち物と一緒に地上に留まる決心をするか、それともすべてを捨ててイエスのもとに行く決断をするかということです。
6.木曜日:売ることも買うこともできなくなる時
売買ができないという事は、社会が機能しなくなることを意味します。そうなると、信仰に忠実であり続ける人たちへの圧力が大きなものになるとガイドには書かれています。さらに、金銭を持っていれば持つほど、この世との利害関係が大きくなり、(この世の力に)従わせようとする圧力は大きくなっていくことでしょう。
だからどのように備えるべきか、私たちは今、神の恵みによって、金銭や世の中の物の奴隷ではないことを確信することによって備えるように教えられています。私たちが(信仰に)忠実であるためには金銭に縛られないようにすることが大切です。また主を恐れるということは、主を信頼することであるということも教えられています(「あなたを恐れる者のためにたくわえ、あなたに寄り頼む者のために/人の子らの前に施されたあなたの恵みは/いかに大いなるものでしょう」詩篇31編19節、口語訳)。神が什一を制定されたのは、私たちを利己心から守り、神が必要なものを与えてくださることを信頼するように、私たちを励ますためであったのです。
7.金曜日:さらなる研究
銀行に行った時、そこに置いてあった本を読みました。そこで投資について書かれている記事があり、その中で、年収8百万円以上の人は、それが1億円だろうと1千万円であろうと、その幸福度は8百万円を超えた時点から大して変わらないということが書かれておりました。理解が難しいことですが、多く持てば持つほど幸せというわけではないということのようです。
私たちは持てば持つほど、頑固に、持っているものに心がいくのかもしれません。でもそれが満足や幸福を与えてくれるとは限らないようです。だからこそ、私たちは神様が与えてくださることに目を向け与えられるものをしっかりと管理していくことが大切です。ときに困っている人々に与えるということが大事かもしれません。だからこそ、什一は特に裕福でない人々にとっても、富の危険に対する強力な霊的解毒剤になり得る(ガイド86ページ)ということも紹介されております。
主を第一として、身の回りの物を管理していきましょう。