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第10課 安息日の休み 山地 悟
1.安息日午後
安息日について、いろいろな意見があります。安息日はなくなったとか、安息日は日曜日になったとか、クリスチャンに安息日は必要でないと考える人がいるのです。
もちろん、セブンスデー・アドベンチストは律法の通りに安息日を守りますが、それは天国に入るための努力ではありません。今週は、なぜ安息日の休みが大事なのか考えます。
2.日曜日:安息日と創造
十戒は、安息日を「覚えて」と命じています。「覚える」とは、過去に起こった出来事を思い出すことです。安息日は、創造の出来事を思い出す日なのです。
創世記1章26節には、人間は神のかたちにつくられたと書いてあります。天地創造の物語は、私たち人間が神様に似た特別な存在であることを教えています。
また、創造のとき、神様は人間に自然界を「治める」責任を与えました。自分勝手な方法ではなく、神様のように自然界と交わるためです。私たちは、神様がつくった地球をこわすべきではなく、大事に守る責任があります。
3.月曜日:自由を祝う
安息日が大切な理由は、天地創造を思い出すためだけではありません。申命記5章12−15節によると、安息日に思い出すもう一つの出来事は、エジプトの奴隷だったイスラエルを神様が解放し、自由にしてあげた出来事です。エジプトから脱出する日、イスラエルは小羊の血によって救われました(出12章)。イスラエルは、神さまの力と働きが彼らを救ってくれたことを思い起こすべきでした。
私たちも、罪の奴隷です。自分の力で自由になることができません。安息日は、私たちを罪から自由にしてくださる神様の力を思い出す日です。私たちはキリスト・イエスの血によって救われています。創造の神様が、私たちのうちに働いて、罪から解放してくださいます。私たちも、キリスト・イエスによって自由に生きることができるのです。
4.火曜日:門の内にいる他国人
イスラエルは世界に福音を伝えるために選ばれました。神様は、イスラエル以外の人々も大切に思っておられました。
出エジプト23章12節を読んでください。安息日はユダヤ人だけのものではありません。奴隷、外国人、家畜にも安息日の休みが与えられました。創世記1-2章によれば、安息日は全ての人類のためにつくられました。安息日は私たちだけではなく、全ての人のためのものです。私たちは創造の神様との関係を持つとき、他の人との関係も大切にするようになります。同じ神様が、すべての人類(動物も)をつくり、命を捨てるほど愛しておられるからです。
5.水曜日:他者に仕えることは神の安息日の誉れとなる
ヨハネ5章7〜16節を読んでください。
イエスは、安息日に男の人の病気を癒し、自由にしました。しかし、指導者たちは、自分たちの規則を守ることだけを考え、その規則を守らなかったイエスを責めました。私たちも、自分の考え方や判断で人を責めないように、注意しなければいけません。
神様は、意味のない礼拝を望んでおられません。私たちが他の人々と交わり、特に助けを必要としている人や苦しんでいる人のために仕えることを望んでおられます。イザヤ58章13、14節を読んでください。安息日は、自分の楽しみや自分の計画よりも、他の人の必要に心を向けるべき日です。
6.木曜日:私たちが神のものであるしるし
第二次世界大戦中、イギリスの政府は、攻めてくるドイツ軍が困るように、全ての標識を塗りつぶしました。標識は、旅人を導いてくれるしるしで、大切な意味があります。
安息日は何のしるしでしょうか。出エジプト記31章13、16、17節を読んでください。イエスを信じるクリスチャンは、「アブラハムの子孫」と呼ばれます(ガラ3:29)。安息日は、イスラエルだけでなく、クリスチャンにとっても、神様との間の特別な関係のしるしです。
安息日は、神様を「知る」ための助けです。安息日は、私たちをつくり、罪から救い、清めてくださる神様を思い出させてくれます。安息日は、社会から見捨てられた人たちに対する責任を思い出させてくれます。安息日は、神様が終わりの日に、新しい天と新しい地を作ってくださることを思い出させてくれます。私たちは毎週、神様との関係を思い起こし、イエスによって与えられている休みを経験するよう招かれているのです。
7.金曜日:さらなる研究
「私たちは、1週間を通して安息日を心に留め、戒めの通りに守るために備えをしなければならない。」(『教会への証』第6巻353ページ、英文)
「この日には、魂のあらゆるエネルギーが目覚めなければならない。なぜなら、この日は、神と救い主なるキリストにお会いする日だからである。私たちは彼を信仰によって見上げる。そして彼は、すべての魂に活力を満たし、祝福したいと切に願っておられる。」(同362ページ)
「神が創造の働きをおやめになって、安息日に休み、これを祝福されたように、人間も日常生活の仕事を離れて、この日の聖なる時間をもっぱら健康的な休みや礼拝や聖なる行為に用いるべきである。病人をいやされたキリストの働きは、律法に完全に一致していた。それは安息日をとうとぶことになった」(『希望への光』769、770ページ、『各時代の希望』上巻252、253ページ)
<問い>私たちはどうすれば、周りの人々のために熱心に仕える心を養うことができるでしょうか。そのための機会として、安息日をどのように過ごすことができるでしょうか。