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第10課 神の永遠の福音 下村 和美
私も聴覚が不自由な信者の方と仲良くさせていただいたことがあります。その聴覚が不自由な方は「自分はよく天使を見ることがある」と言われて驚いたことを覚えています。そのことを別の方にお聞きしたところ「聴覚が不自由な方々の中には、一つの感覚が不自由なために別の感覚が神様によって磨かれ、天使を見ている人が多い」と教えられました。
今回は、その聴覚が不自由な方々が見ると言われている天使が3人出て来て、この世の終わりに忍耐して「神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者」たちが、神様に救われるというメッセージが語られています。
1.安息日午後(3/2)
聖書のヨハネの黙示録には、この世の終わりの時代に悪魔の惑わしが成功して、たくさんの人々が悪魔を拝み、悪魔の刻印を押されてしまうと書かれています。そこで神様は、この世の終わりの時代に悪魔に負けない残りの民を残すと約束していました。
この世の終わりの時代に全ての人は誰を拝むかを自分で選ばなければなりません。そして悪魔を拝むことなく、神様を拝むことを選んだ人々は、多くの人を救うために神様が救ってくださるというメッセージを「全世界に伝えなさい」と任されます。
2.日曜日(3/3)「三天使のメッセージ」
この世の終わりの時代に悪魔を拝まず、神様が救ってくださるという約束を信じて神様を拝もうとした人々をヨハネの黙示録に書かれている三人の天使は象徴しています。この世の終わりの時代に、この三人の天使に象徴された人々は、神様を拝んで、悪魔を拝まないようにしようという警告のメッセージを多くの人々に伝えます。この神様を拝もうというメッセージを全世界に伝える残りの民として、セブンスデー・アドベンチストが神様によって用意されたと私達は信じています。
3.月曜日(3/4)「第一天使のメッセージ(その1)」
さあ、ヨハネの黙示録14章7節で第一の天使が叫びます。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい」と。イエス・キリストが私達を救うために十字架にかかって死んでくださったことを信じることによって、私達は神様の下に行ける道が開かれたことを「栄光をたたえなさい」と表現しています。また「神を畏れ」とも言っているのは、この十字架の死によって私達が神様の下に行く道を備えてくださったイエス・キリストと、毎日、心の中で個人的に出会いをしたり、会話ししたりしている関係を語っています。決して神様を怖がってはいません。この世の終わりの時代に現れる残りの民と呼ばれる方は、神様と個人的な出会いを日頃、体験している方々です。
それから第一天使は「神の裁きの時が来た」とも叫びました。この神の裁きとは、これからイエス・キリストが再びこの世に来られるときに、イエス・キリストと個人的な出会いを日頃からしていている人と、個人的な出会いを経験していない人、すなわち、神様ではない悪魔の誘いに乗ってしまった人に分けられるという裁きを意味しています。
4.火曜日(3/5)「第一天使のメッセージ(その2)」
この第一天使の裁きのポイントは誰を礼拝し、誰に服従しているかということです。そこで第一天使は「天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい」と言いました。この「天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい」という言葉は、旧約聖書の出エジプト記20章11節に書かれている十戒の第四条の言葉がほぼそのまま使われています。この十戒の第四条には第七日安息日のことが書かれていますから、安息日の主であるイエス・キリストを礼拝することと、そのイエス・キリストを信頼している証としての第七日安息日に礼拝しているかが問われます。よって「誰を礼拝しているのか」は、「「天と地、海と水の源を創造した方」であるイエス・キリストを礼拝することになります。そして「誰に服従しているか」は、第七日安息日の証を通して、イエス・キリストに服従していることになります。
5.水曜日(3/6)「第二天使のメッセージ」
次に第二天使が叫びました「バビロンが倒れた」と。このバビロンとは「背教した」こと、道徳的にすっかり崩壊した背教的宗教連合が古代バビロンと同じに、自らを神様よりも高く位置づけ、この終わりの時代にも神様の立場を占めようとします。このバビロンである悪魔の誘惑は「バビロンのぶどう酒」として表現され、このバビロンのぶどう酒に酔わされた人々は、聖書の真理から離れ、神学的言い伝えや伝統という言葉に迷わされた人々で、悪魔の刻印を押されていると書かれています。
6.木曜日(3/7)「第三天使のメッセージ」
最後に三人目の天使が「神様の怒りに遭う人々の運命」について警告しています。古代の人々は、ぶどう酒の酔わせる力を弱めるために、水で薄めましたが、ここでは神様の怒りのぶどう酒を「混ぜ物なし」に飲ませると記されています。これは神様の怒りが容赦なく注がれることを意味しています。他にも「火と硫黄で苦しめる」という言葉でも出てきます。これは燃える対象物が燃え尽きるまで永遠に燃え続けますので、燃える対象物がなくなれば火は消えますから地獄で永遠に火が燃えていることはありません。だから、人々が神様に立ち返ってくれることを願った期間を過ぎた時、神様の怒りの火は、最後まで拒んだ人に向けられます。
私達がそうならないために第三天使のメッセージは、最後に「神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である。」と述べています。
私達は、私達の力では悪魔に対抗することができないので、この「神の掟を守る」ことと、「イエスに対する信仰を守り続ける」ために日頃からのイエス・キリストとの個人的な交わりを通して、イエス・キリストの助けを求めて行きましょう。