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第10課 夫と妻―十字架の下に共に生きる 眞田 治
1.安息日午後
ふだん私は髪を切ってもらうときに、理容院(散髪屋さん)に行きます。しかし、今までの人生で一度だけ美容院(パーマ屋さん)に行ったことがあります。自分の結婚式の数日前のことです。結婚式の当日の朝は自分で自分の髪をセットしなければならないので、結婚式に適した髪形を数日前に美容師さんに教えてもらおうと思ったのです。
結婚した当時の私は所沢教会で牧師をしていました。所沢教会の近くにある美容院で、私は言いました。
「すぐ近くにある教会で私は牧師をしています。今度の日曜日に結婚します。結婚式にちょうどいい髪形にセットできるように教えてください。」
すると、美容師さんは質問なさいました。「奥さまになる女性も、教会の人ですか?」
「はい、そうです」と私が答えると、美容師さんは言われました。「うらやましいですね。同じ信仰の人同士で結婚できて、うらやましいですね。私は何回もお見合いをしたことがありますが、価値観が合う人と、ぜんぜん出会うことができないんです。同じ価値観の人と結婚できて、すてきですね。うらやましいですね。」
同じ信仰、同じ価値観の男性と女性が結婚して夫と妻になることは、すてきですね。夫として、妻として、ひとりひとりの人間として、すてきな生き方をするための大切な価値観を、今週は学びます。
2.日曜日:クリスチャンの妻たちへの勧め
現代の日本の結婚式では、披露宴などで、「ケーキカット」をすることがあります。結婚したばかりの花婿と花嫁が、2人が力を合わせてする最初の仕事として、ケーキを切るのだそうです。
しかし私たち夫婦は、夫婦が力を合わせる最初の仕事として、結婚式で声を合わせて暗唱聖句をしました。私たち夫婦が暗唱した聖書の箇所は、コロサイ書3章12~19節でした。
コロサイ書3章18節を読んでみましょう。
「妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。」
似たことがエフェソ書5章22節にも書いてあります。エフェソ書5章22節を読んでみましょう。
「妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。」
妻が仕える一番大切な相手は主イエスさまです。妻は、主イエスさまを一番大切にして生きます。妻は自分よりも主イエスさまを大切にして生きます。自分よりも主イエスさまを大切にするように、妻は自分よりも夫を大切にして生きます。もちろん夫も、主イエスさまを一番大切にして生きます。もちろん夫も、自分よりも主イエスさまを大切にして生きます。自分よりも主イエスさまを大切にするように、夫は自分よりも妻を大切にして生きます。
夫も妻も、主イエスさまを一番大切にして生きます。主イエスさまを大切にして生きることが、夫にとっても妻にとっても同じ価値観であれば、すてきですね。
3.月曜日:教会はキリストの花嫁(その1)
私たち夫婦は結婚式で、夫婦が力を合わせてする最初の仕事として暗唱聖句をしたと、昨日も書きましたね。暗唱した聖書の箇所は、コロサイ書3章12~19節でした。
コロサイ書3章19節を読んでみましょう。
「夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。」
似たことがエフェソ書5章25節にも書いてあります。エフェソ書5章25節を読んでみましょう。
「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。」
「キリストが教会を愛し」とエフェソ書5章25節には書いてあります。聖書に書いてある「教会」とは、建物のことではありません。聖書に書いてある「教会」は、主イエス・キリストを信じて救われる人たちのことです。(教会の建物のことは、聖書には「会堂」と書いてあります。)
主イエス・キリストは私たち人間を愛してくださっています。主イエス・キリストは私たち人間が信じて救われるように、私たち人間の罪の責任を取って十字架で亡くなってくださいました。十字架の主イエス・キリストを信じて生きることが、夫にとっても妻にとっても同じ価値観であれば、すてきですね。
多くの家庭では夫が世帯主です。夫は家庭の責任者であり、夫には家庭を守る責任があります。妻を守るためなら、どんなことでも夫はします。主イエスさまが教会を愛するように、夫は妻を愛しているからです。
私たち人間を救うために主イエスさまが責任を取って御自分をお与えになったように、夫は妻を守るために、自分で責任を取ります。夫は妻に、つらく当たりません。夫は妻を愛しているからです。
主イエス・キリストの十字架を夫は信じているので、キリストが教会を愛するように、夫は妻を愛します。十字架の主イエス・キリストを信じて生きることが、夫にとっても妻にとっても同じ価値観であれば、すてきですね。
4.火曜日:教会はキリストの花嫁(その2)
聖書に書いてある「教会」とは、主イエス・キリストを信じて救われる人たちのことです。
エフェソ書5章27節に「しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした」と書いてあるのは、主イエスさまを信じて救われた人たちは、汚れのない聖なる姿に変えられて主イエスさまの前に立つことができる、という意味です。
セブンスデー・アドベンチストの結婚式では、ステージの中央に牧師が立ち、牧師の横に花婿が立ちます。そして花嫁は、父親と腕を組んでバージンロードを歩いて入場します。花嫁がステージに近づくと、花婿はステージから下りて花嫁を迎えます。花嫁の父親は娘である花嫁を花婿に引き渡し、花嫁と腕を組んだ花婿は、花嫁を連れてステージに上がるのです。最初はステージに立っていたのは牧師と花婿だけでしたが、牧師の前には今、花婿と花嫁が立っています。(花嫁の父親がいない場合、他の人が父親の代わりに花嫁と一緒にバージンロードを歩くことがあります。)
セブンスデー・アドベンチストの結婚式では、牧師は天の父なる神さまを意味し、花婿は主イエス・キリストを意味します。そして花嫁は、主イエスさまを信じて救われた教会を意味しています。ステージは天国を意味します。
花婿がステージから下りて花嫁を迎えるのは、信じて救われた人たちを天国に迎え入れるために、主イエスさまが天国から下りて来られる再臨を意味しています。天国を意味するステージに上げられる花嫁は、汚れのない聖なる姿に変えられている栄光の教会を意味します。栄光の教会を表現するために、花嫁はウェディングドレスを着ています。主イエスさまが「教会を救うために私は十字架にかかりました。私は教会を愛しています」と父なる神さまに表明なさるように、花婿は「私の妻になる花嫁を私は愛しています」という気持ちで牧師の前に立ちます。花嫁は、「私の夫になる花婿は、私のためならば命を捨てるほどに私を愛しています。だから私は夫に仕えます」という気持ちで牧師の前に立ちます。
教会員ではない方々がセブンスデー・アドベンチスト教会で結婚式を挙げることもあるでしょう。もしも教会員でなかったとしても、結婚式の前に、上に書いたような結婚式の意味を牧師から教えてもらうと良いです。キリストを信じて生きることが、夫にとっても妻にとっても同じ価値観であれば、すてきですね。
5.水曜日:自分の体のように妻を愛しなさい
結婚式では、「誓約」という場面があります。「誓約」では、牧師が花婿に対し、「あなたは、今あなたが手を取っている女性を愛し、健やかなときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、堅く節操を守ることを誓いますか?」等と質問し、花婿は「はい」と答えます。次に牧師は、花嫁に対して「あなたは、今あなたが手を取っている男性を愛し、健やかなときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、堅く節操を守ることを誓いますか?」等と質問し、花嫁は「はい」と答えます。花婿だけが「はい」で花嫁が「いいえ」では、結婚は成立しません。花嫁が「はい」で花婿が「いいえ」でも、結婚は成立しません。夫婦は、愛することにおいて一体でなければならないのです。
「節操を守る」とは、夫は妻をいつも一番大切な女性として愛し、妻は夫をいつも一番大切な男性として愛するという意味です。
エフェソ書5章28節を読んでみましょう。
「そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。」
夫は自分の体を大切にするように、妻の体を大切にします。妻も自分の体を大切にするように、夫の体を大切にします。夫は自分の気持ちを大切にするように、妻の気持ちを大切にします。妻も自分の気持ちを大切にするように、夫の気持ちを大切にします。夫は妻を愛し、妻は夫を愛します。夫と妻は一体なのです。
6.木曜日:結婚の模範としての「一体」
結婚式の最後の「宣言」という場面で、マタイ福音書19章5、6を引用して、牧師は次のように言います。
「私は、父と子と聖霊の御名によって、ここに立っている男性と女性が夫婦であることを宣言します。『神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない』」。
そして、「宣言」の後、新しく夫婦になった男性と女性を紹介して、牧師は次のように言います。
「ただいま誕生した、新しいご夫妻を紹介します。皆さま、あたたかい拍手で祝福してください。」
すると、花婿と花嫁はステージから下り、拍手をしている参列者の皆さんの間を歩いて退場します。花嫁は教会を意味し、花婿は主イエス・キリストを意味すると、今週火曜日に学びましたね。聖書に書いてある教会とは、主イエスさまを信じて救われる人たちのことです。結婚式のステージは天国の意味です。結婚式の最後の場面で、花嫁が花婿と一緒にステージから下りるのは、主イエスさまを信じて救われた人たちが主イエスさまと一緒に、罪が滅びて新しくなった地上に、天国から下りてくることを意味します。黙示録21章1、2節を読みましょう。
「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。」
永遠の御国は、新しくなった地上で始まります。信じて救われた人たちと主イエスさまとが、神さまによって結び合わされて、御国は永遠に続くのです。
エフェソ書5章31、32節を読んでみましょう。
「『それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。』 この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。」
妻と夫は、愛することにおいて一体です。救われた人たちと主イエスさまも、愛することにおいて一体です。
人が人を愛することは、人が神を愛することと同じぐらい、大切です。愛することは永遠に続くのです。神さまが愛の御方なので、私たちも愛することができます。神さまが永遠の御方なので、私たちにも永遠のいのちが与えられています。神さまの恵みによって一体になることは、すてきなことですね。
7.金曜日:さらなる研究
私たち夫婦は、結婚式で「聖書の交換」をしました。
私たち夫婦は、家庭礼拝では、結婚式で交換した聖書を使います。
結婚式で交換した聖書を、私たち夫婦は教会に持って行きません(教会に持って行く聖書は、別の聖書です)。
結婚式で交換した聖書を、私たち夫婦は家庭礼拝のための専用として使っているのです。
神さまによって夫になった私であり、神さまによって妻になった妻であることを、私たち夫婦は家庭礼拝でいつも思い出すことができます。
夫の価値観が聖書で、妻の価値観も聖書で、家庭の価値観が聖書なら、すてきですよね。
今週の題は、「夫と妻―十字架の下に共に生きる」でした。聖書に書いてある十字架の主イエスさまを、夫と妻が共に礼拝しながら生きることは、すてきなことです。