安息日学校部

第13課 聴覚しょうがい者用:関谷修一

2020年第4期「教育」(天国に備える教育) 

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第13課 天国、教育、永遠の学び 関谷修一

 

1.安息日午後

今期、私たちは天国へ入る準備をするための学びをして来ました。そして今週は、永遠に続く学校-私たちが永遠にわたって学び、成長し続ける学校について、聖書や証の書が何と言っているかを見ていきます。

天国における学校では、現在の私たちが想像できないほどの深い神のみわざのひとつ「永遠」を学ぶことになります。

 

2.日曜日:死者の運命

創世記の5章はアダムの系図で始まっています。ここにはたくさんの長生きをした人々の名が記されていて、中には九百年以上も生きた人がいました。しかし、残念ながら、全ての人が「死んだ」と聖書には書かれています。誰もがどんなに長生きしても死に、土にもどるのです。

でも、たった一人だけ、別の生き方をした人がいました。「エノクは神と共に歩み・・・」(創世記5:24)。他の人とは違い、エノクだけは「神と共に歩む」生き方をしました。そして彼は、「死を見ないように天に移され」(ヘブル 11:5)て、罪によって死ぬ運命となった人類の中から、天国にある永遠のいのちへとはじめて移されていきました。

「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17:3)。エノクが天へ移されたように、十字架のイエス・キリストを知れば、私たちは闇のような死の世界から、永遠のいのちへと約束されます。

 

3.月曜日:新しい生活

新しい生活が始まろうとしています。間もなく主イエスが再臨され、「天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしま」(第二ペトロ3:12)います。そして千年期の後に全ての罪が取り去られ、「聖なる都、新しいエルサレムが・・・天から下って来る」(黙示録21:2)のです。その時には、「神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」(黙示録21:3-4)との御言葉が成就します。

ですから私たちは、「極力、きよく信心深い行いをし」ながら「神の日の到来を熱心に待ち望んでいる」(第二ペトロ3:11-12)アドベンチストとして、新しい生活に備えるのです。

 

4.火曜日:そして私たちは知る

私たちは今、神さまや天国のことについて昔の鏡に映ったものを見るようにしか知ることができません。昔の鏡は金属の表面をツルツルに磨き上げて作られたものでした。現在の鏡と比べるなら、ほんとうにわずかな部分だけしか映し出すことができません。

同じように、病気がなぜあるのか、どうして自分だけがなったのか、なぜこんなふうに生まれて来たのかなど、私たちが知りたいと思っているその答えを私たちは部分的にしか知ることができません。

でも、天国へ行ったときには、霧が晴れた空のように神さまの事や天国の事、苦しみや涙の理由をハッキリと理解できるようになります(第一コリント13:12)。しかも、「永遠」という終わることのない時間のなかで、限りのない神の愛と真実、恵みについて私たちは学び、確かに知ることができるようになります。(ガイド13行目)

 

5.水曜日:来世の学校

ブレーズ・パスカルは「すべての人の心の中には、神のかたちにかたどられた心の空洞がある。その空洞は、創造者である神以外のいかなる被造物によっても埋めることができない」と言っています。

私たちのあらゆる痛み、あらゆる苦しみ、現世で私たちが悩むあらゆることは、罪と罪の結果から来ています。キリストはその全てを、元に戻すために来られました。主なる神だけが、やがて地球を、罪が入り込む以前の状態-神が「はなはだよかった」と言われた状態-へと戻してくださいます。

「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(第二コリント4:17-18)。

 

6.木曜日:偉大な教師

地上におけるキリストのお働きの中で、主な働きの一つは教師でした。今日でも主は、聖書を通して私たちを教え続けておられます。新しい世界(天国)でもそれは続くことでしょう。しかも天国での教えには、学びを邪魔するあらゆる罪の影響は取り去られています。今とは比べられないほどの新しい気づきや深遠な学びをすることができるのです。

問6にあるゼカリヤ13章6節は、十字架の傷跡に私たちの思いを向けます。事実、この後に続く7節の聖句を主は、ご自身の受難に当てはめて語られました(マタイ26:31,マルコ14:27)。私たちの身代わりとなられたキリストの贖いほど、私たちのこころをつかむテーマは他にありません。永遠の歳月をかけて学ぶ十字架の恵みと真理が、どれほど深く、広く、豊かなものであるかを瞑想してみましょう。

 

7.金曜日:さらなる研究

「天は学校である。その研究の分野は宇宙であり、その教師は無限の神である。この学校の分校がエデンに設けられたのであった。救済の計画が成就されると、教育は再びエデンの学校にもどるのである。」

(「教育」9章「天の学校」-「来世の学校」より)

「神のみ前に立ち帰った人類は、天地が造られた時と同じようにふたたび神から教えられる。『わが民はわが名を知るにいたる。その日には彼らはこの言葉を語る者がわたしであることを知る。』」(同上)

 

■話し合いのための質問

天国には、今の世界と比べたときに、「何があり」「何がない」のでしょうか。現在と天国との違いについて考え、話しあってみて下さい。天国に入る備えをしている私たちにとって、何か気づかされることはありますか。