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第13課 試練の中のキリスト 柴田俊生
1.安息日午後
7月から「試練を共にされるキリスト」というテーマで学んできましたが、今週は最後の週です。罪や苦しみを考えるとき、「なぜ、罪や苦しみがあるのか?」ということを思います。聖書ではその始まりとして、最初の人であるアダムとエバが罪を犯したことが記されています。イエス・キリストはその罪、苦しみから人々を救うために、自らこの地上に来られ、苦しみを経験されました。今週は、イエスが経験された試練について学びます。
2.日曜日:幼少時代
あと数か月もするとクリスマスの時期になります。クリスマスは、イエス・キリストの誕生をお祝いするときですが、イエスは泊まる所がなく、馬小屋で誕生し、命を狙われ、両親とエジプトに逃れました。また少年時代を過ごされたナザレの町は、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネによる福音書1章46節)と言われるくらいの町でした。そのような環境でしたが、イエスは罪を犯さず、神と共に歩まれました。
3.月曜日:軽蔑され、拒絶される
やがて30歳になり、バプテスマを受け、人々のために尽くされたイエス・キリストには、従ってくる人々もいましたが、たくさんの人たちから拒絶されました。崖から突き落とされそうになったり、石を投げられそうになったこともありました。それは、助けを必要としながらも言うことをきかない子どもを持つ親にたとえられます。イエスは人々を助けようとしましたが、多くの人はイエスを拒絶し、軽蔑したのです。
4.火曜日:ゲッセマネのイエス
生まれた時から苦しみを経験されてきたイエス・キリストですが、十字架で息を引き取られる一日前からの苦しみはさらに大きなものでした。ゲッセマネの園で祈られたイエスは、「わたしは死ぬばかりに悲しい」(マルコによる福音書14章34節)と言われました。そして孤独を経験されました。「これまでキリストは、他人のために執り成すお方であったが、いま主は御自分のために執り成してくれる者がほしいと望まれた」(『希望への光』1037ページ)のです。
5.水曜日:十字架に架けられた神
十字架による死刑は、当時、最も残酷な刑罰の一つでした。十字架に架かる前にも、叩かれ、むちで打たれ、そして手と足に釘が打ち込まれるのです。自分の体重により、釘で打たれた所から傷口が裂けていく痛みがあります。イエス・キリストには、これらの肉体的な痛みだけではなく、全人類の罪を背負い、身代わりとなられ、神の義憤を一身に受けられました。これは、人類の誰もが経験したことのない苦しみです。
6.木曜日:苦しまれる神
水曜日まで、イエス・キリストの苦しみを学んできましたが、今日は私たちの苦しみについて学びます。神を信じているがゆえに受ける苦しみについて、聖書では次のようにあります。「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」(使徒言行録14章22節)、「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」(フィリピの信徒への手紙1章29節)。
避けることのできない苦しみですが、2つのことを忘れないようにしましょう。
1 私たちが経験したどのような苦しみよりも、イエスはつらい苦しみを経験されました。
2 苦しみの中にあって、神が私たちに約束されている希望を思い出しましょう。
たとえどんな苦しみにあったとしても、私たちには、主にある永遠の命が約束されています。
7.金曜日:さらなる研究
イエス・キリストは、失われた一匹の羊を救うことを大切にされ、この世で苦しみを経験されました。私たちもイエスの生き方にならい、誰かの救いのために生きていきたいと思います。
7.学びを振り返る質問:
1 今までの人生を振り返り、最も苦しい経験はどのようなものだったでしょうか。
2 苦しみの中で、誰かに助けられたこと、聖書の言葉によって励まされたことはありますか。