安息日学校部

第13課 聴覚しょうがい者用 明智 信作

2023年第3期「エフェソの信徒への手紙」

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     第13課    平和を勝ち取る  明智 信作

 

  • 1.安息日午後暗唱聖句を読んでみましょう。

    「その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。」(エペソ6:16,17、口語訳)

    「なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。」(エフェソ6:16,17、新共同訳)

    このみ言葉の中に、「信仰のたて」、「救のかぶと」、「御霊の剣」という言葉が出てきます。盾も、兜も、剣もみな、戦いになくてならない武具です。

    クリスチャンは、キリストを信じて神の子となった時、キリストの側に立ちました。そのために、サタンは、神の子となった私たちを色々な方法で攻撃し、キリストから離れさせ、打ち倒そうと働きます。そこで、パウロは、クリスチャンがサタンの攻撃から自分を守り、勝利するために、神が用意しておられる武具を紹介しています。

    今週は、サタンとの霊の戦いに勝利して、平和を勝ち取るために、神が用意しておられる、霊の戦いの武具について、学びます。

     

    2.日曜日:教会 ――  一体となった軍隊

    エペソ6:10-12を読みましょう。

    「6:10最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。 6:11悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。 6:12わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。」

     

    私たちキリストを信じるクリスチャンは、キリストの弟子となったゆえに、キリストに敵対する悪魔と悪の霊との霊的な戦いに巻き込まれています。

    それゆえ、パウロは、主を信じる信仰により、主の偉大な力によって強くなりなさい(エペソ6:10参照)、と命じています。

    神の武具で身を固めていれば、必ず、この霊の戦いに勝利することができるのです。

     

    私たちの霊の戦いは、団体戦ですから、個人の勝利なくして、団体の勝利はありません。しかし、個人が勝利するには、キリストを頭とする教会の兄弟姉妹の祈りと交わりと励ましが必要です。

    特に、今は、長く続く悪霊に対する戦いの最終段階である「邪悪な日」(エフェソ6:13、新共同訳)を前にしているのですから、神への献身だけでなく、キリストの仲間の兵士である、同信の兄弟姉妹と祈り合い、支え合い、お互いに励まし合い、助け合い、共に働く事が不可欠です。このことは、パウロが、教会を一つの軍隊に例えていることから、明らかです。

    私たちが、完全な武具を身に着け、一体となった軍隊として、力強く団結して戦い、押し進める時に、私たちは、確実に勝利することが出来るのです。そのために、神への献身とキリストの仲間の兵士として互への忠誠を決してあいまいにしないことが大切です。

     

    3.月曜日:帯と胸当て(真理の帯と正義の胸当て)

    パウロが、サタンと悪霊との戦いに勝利するために、紹介している最初の武具は、真理の帯と正義の胸当てです。パウロは、信徒が、神の真理をただ知っているというだけではなく、天からの賜物である真理を身に着けるように、すなわち、真理を経験し、生活の中に生かして、身に着けるように、勧めています。

    私は、求道中、学んだこと、聞いたことを素直に受け入れ、即座に実行することで、日ごとに心が変えられ、生き方が変えられていくのを体験しました。初めて、セブンスデー・アドベンチスト京都教会に出席したその日以来、求道中から、ずうっと第七日目安息日を守って教会に出席するようになりました。いつもくちずさんでいた流行歌が讃美歌に変わり、食生活も、教えられるとすぐに、菜食に切り替えました。真理の御言葉を素直に受け入れ、従って行く時に、聖霊が力強く働いて、心も劇的に変えられていくのを体験しました。教会に行く前には、毎日、パチンコに通っていた私が、昭和48年のゴールデンウィークに瀬戸内海の豊島キャンプ場で開かれた、全日本青年大会に出席し、本気で求道する決心をして帰ってから、今日まで、ただの一度もパチンコをしたことはありません。したくなくなったのです。

    今、振り返ってみれば、心を入れ替えて、幼な子のように素直になって聞き従うこと、そうすることで、真理の帯をしめ、正義の胸当てを身に着ける経験をしていたのだ、と思います。

    私たちの主イエス・キリストは、真理であり、また義なるお方です。このキリストに幼子のように、心から信頼し、素直に聞き従うなら、私たちは、敵であるサタンに対して、真理の帯と正義の胸当てを身に着けることになり、必ず勝利することが出来るのです。

     

    4.火曜日:履物:平和を勝ち取る教会

    パウロは、悪魔と悪の霊に対する戦いに勝利するために、「平和の福音の備えを足にはき」なさい、と言っています。キリストが、罪に勝利し、全人類の罪のために十字架にかかって、死んで下さったことによって、罪の赦しと、罪との戦いに勝利する道を開いて下さいました。幸いにも、私たちは、神の恵みによって、このイエス・キリストを救い主と信じる信仰に導かれ、神の赦しと救いにあずかっています。

    今や、キリストを救い主、また主と信じる私たちは、キリストの勝利とキリストの平和を宣言するメッセンジャーです。「平和の福音」(エペソ6:15)を告げ知らせる者として召されています。パウロは、信徒が他者との関係において攻撃的になることを望んでいません。むしろ、一致、役立つ言葉、憐れみの心を強調しています。

    神学生時代、夏休みに、福井で初めて学生文書伝道をさせていただきました。一軒一軒、お祈りしながら、訪問し、多くは門前払いでしたが、そんな中で、時々、戸を開け、暑いでしょう、と言って、冷たい麦茶を出して下さった方、別の方は、家の奥から出て来られ、玄関まで出て来てひざまずいて、私の話を聞き、紹介した本を買って下さった方、その方とは、その夏、数回、お訪ねし、サインズや本を買って下さるだけでなく、食事まで出して下さる方もいらっしゃいました。その方とは、その後、何十年も、年賀状や手紙による交流を続けました。多くの人が無関心ですが、このような方と出会うと喜びに胸が躍る思いでした。共に祈れるのは、本当に嬉しい、すばらしい経験でした。伝道のために出かけていく時、相手の方がたとい反対したとしても、争ったりすることなどは、全く考えられません。人を救うために、祈りつつ出て行く時、平和の天使が共にいて守り、導いて下さり、また聖霊のご内住によって守られていたのだと思います。

    クリスチャンの武器は、柔和で心のへりくだったキリストとの祈りの交わりと礼拝を通していただく、愛と謙遜、柔和、忍耐、赦しです。こうして、私たちが、救い主イエス・キリストの生きた証人として、人々とかかわることによって、神なく望みなく、虚しく生きている人々が、キリストの愛に触れ、ご自分の救い主と信じるようになり、さらに主と仰ぐ者に変えられるように、祈り求めましょう。信じない者から信じる者に生まれ変わる奇跡を、私たちは体験しました。この奇跡が、私たちの関わる人たちの人生にも起きるように、祈りつつ、キリストと共に歩ませていただきましょう。教会は、キリストによる罪の赦しと罪からの救いを人々にもたらすためにたてられているのですから。

     

    5.水曜日:盾、兜、剣

    神がキリストを信じる私たちに賜わった武器として、「信仰のたて」(エペソ6:16)、「救のかぶと」(エペソ6:17)、さらに「御霊の剣、すなわち、神の言」(エペソ6:17)があります。

    まず、「信仰のたて」(エぺソ6:16)については、創世記15:1に、主がアブラムにお語りになったお言葉の中で、「アブラムよ恐れてはならない、わたしはあなたの盾である」とあるように、盾は、神の民を守る神の象徴として用いられています。ですから、「信仰の盾」を手に取るとは、信徒のために戦い(エペソ6:10参照)、最上の武具を備え(同6:11,13参照)勝利を確かなものにしてくださる神に依り頼み、宇宙的争闘に加わることです。神を信じる者に対して、神は、敵のあらゆる攻撃から、私たちを守って下さる盾です。これほど、心強い事はありませんね。

    「地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ」(イザヤ45:22)と言われる神に信頼するなら、自分の救いに関して心配する必要がなくなります。神と神のみ言葉に信頼する信仰は、私たちの罪、弱さ、欠点、失敗をもって、神に対する信頼と信仰を打ち砕こうとするサタンの攻撃から私たちを守る、すばらしい盾ですね。

    「救いのかぶと」(エペソ6:17)をかぶるとは、神からの恵みとして、一方的に与えられた救いを、信仰によって自分のものとしていただくことを意味しています。救いの神に信頼する者にとって、もはやいかなるサタンの攻撃も、無力です。自分の力によってではなく、あの十字架にかかって自分の罪の問題を処理して下さったキリストに信頼する限り、サタンのいかなる攻撃をも恐れる必要がありません。自分の力によってではなく、勝利されたキリストを信じる信仰によって、必ず勝利できるからです。

    最後の武具は、「御霊の剣、すなわち、神の言」(エペソ6:17)です、イエス・キリストが、荒野で、公生涯のはじめ、40日40夜、断食をした直後に、悪魔が近づいてきて「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」と言いました。それは、「あなたは本当に神の子ですか、それなら、これらの石をパンにする事で、神の子である証拠を見せてごらんなさい」という、サタンの誘惑でした。その時、イエスは「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きる者である』と書いてある」とお答えになりました。神の言葉で勝利されたのです、それから続いて、第二、第三の試みにおいても、すべて、生ける神の言葉でお答えになって、勝利されました。

    私たちも、日頃から、み言葉に親しみ、いかなる時にも、御霊の剣、すなわち、神の言葉を味わい、かみしめ、自分のものとし、不意にサタンの攻撃を受けても、み言葉で応答できるほどに、命の言葉を、味わい、かみしめ、自分の者としておきたいものです。

     

    6.木曜日:戦場での祈りを実践する

    パウロは戦いの勧めの最後に、兵士である、すべての信徒に、「すべての聖徒のために祈りつづけなさい」(エペソ6:18)と勧めています。また投獄されているパウロ自身のためにも、「祈ってほしい」(19節)と訴えています。教会が悪の力の戦いに成功するためには、聖霊に導かれた祈りを通して神に依り頼むことが必要です。

    私は、自分のために、知らない人たちが、祈って下さった結果として、セブンスデー・アドベンチスト京都教会に導かれた者です。

    1973年3月7日(水)、私が下宿していた家に、セブンスデー・アドベンチストの二人の青年(女性)が、下宿のおばさんを訪ねて来られました。その少し前に、下宿の近くで開かれた青年の声の講演会が開かれた時、下宿のおばさんは、数少ない来聴者だったのです。その後、どうしておられるだろうか、と気にかけてくださったのでした。丁度、その時、私が、叔母さんとおしゃべりをしていたのです。そして、帰り際に、今度の土曜日(3月10日)に、教会にいらっしゃいませんか、と誘って下さったのです。二人の印象がとても良かったので、心が動いたのですが、その日は、名古屋で、統一協会員として献身していた妹に会いに行く約束をしていたので、お断りしなければなりませんでした。二人は、下宿を出ると、そのまま、セブンスデー・アドベンチスト京都教会に行き、その夜の祈祷会に出席されました。そして、その場で、私の事を皆さんに話し、御心なら、教会に来てくれるように、とみんなでお祈りされた、というのです。

    金曜日の夜、妹から電話があり、「明日は、約束の日だけど、大切な集会が入っていて、どうしても休めないので、今回はごめんなさい」という断りの電話でした。私は、兄妹の約束も守れないのか、と一言二言、文句を言いましたが、「ごめんなさい」の一点張り、しかたないと、がちゃんと受話器を置きました。名古屋に行く道がふさがったのです。わたしは心を入れ替えて、それなら、せっかく誘って下さった京都教会に行ってみよう、と思い、セブンスデー・アドベンチスト京都教会に出席したのでした。振り返れば、その日から、今日まで、ずうっと続けて教会に通うことになり、やがてゴールデンウィーク期間中に開かれた、全日本青年大会に出席して、求道を決心し、7月28日はバプテスマを受けました。その時には、私の心には、将来、このすばらしい真理を伝える牧師か伝道師になりたい、という願いを持つに至ったのです。すべては、下宿でお会いした二人の女性たちと京都教会の皆さんが祈祷会で祈って下さったことで、私が神と出会う道が開かれたのです。自分のために祈るのは勿論ですが、人の救のために、お互いのために祈り合うことは、お互いが、神の家族として、信仰の戦いに勝利するのに、なくてならない、霊の武具ですね。自分のため、人のために祈る事、また祈っていただく事は、霊の戦いに勝利するために、なくてならない霊の武具であります。

     

    7.金曜日:さらなる研究

    ガイドに引用されている、エレン・G・ホワイトのメッセージは、一致の大切さを指摘してくれています。心に留めるべき、大切なメッセージですので、ここに、そのまま、引用させていただきます。

    「戦いにおける軍隊は、全員が協力して働かなければ、混乱し、弱体化するでしょう。もし兵士たちが、互いの持ち場や働きを無視して、自分の衝動的な思いで行動するなら、彼らは気ままな原子の集合体となり、一つの組織的な体として機能しないでしょう。ですから、キリストの兵士たちは、調和して行動しなければなりません。自分たちだけが大事にされてはなりません。もし彼らが自分たちだけを大事にするなら、神の民のうちにある完全な調和、一つの心、一つの目的、一つの壮大な目標のための献身は、実を結ばず、彼らの時間と能力が無駄使いされることになるでしょう。一致は力です。ほんの数人の回心した魂が、一人の頭の下で、一つの壮大な目的のために調和して行動すれば、あらゆる機会で勝利を収めることができるでしょう」(エレン・ホワイト『スポールディング・アンド・メーガン・コレクション』121ページ、英文)。

    今週、学んだ霊の武器をフルに活用して自分だけでなく、同じ信仰に導かれた兄弟姉妹の誰一人も、失われることなく、神の国に入れるように、この地上での信仰の戦いに勝利させていただきましょう。私たちの救い主、また主であるイエス・キリストから目を離さず、共に、祈り合い、励まし合って、ひとたび神から賜った金よりも尊い信仰を、最後まで持ち続けさせていただきましょうね。