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第12課 忠実さの報い 眞田 治
1.安息日午後
今週のテーマは「忠実さの報い」です。
『広辞苑』という国語辞典には、「忠実」という言葉の意味が、「まごころを尽くしてよくつとめること」と書いてあります。「まごころ」というのは、こころの真ん中から、こころの中心から、という意味です。こころの中心から、いっしょうけんめいつとめるように、神さまは私たちに期待してくださっているのです。
私たちは信じることによって救われています。しかし神さまは、私たちが神さまを信じるだけでなく、私たちが忠実であることも期待しておられます。どうしてでしょうか? 私たちが信じるだけでなく、私たちが忠実で、こころを尽くしてよくつとめることも、どうして神さまは期待しておられるのでしょうか。
今週は、私たちが忠実であることを神さまが期待してくださっている理由について考えます。
2.日曜日:忠実さの報い
今週のテーマは「忠実さの報い」です。そして、今週の中で今日のテーマも「忠実さの報い」です。
『広辞苑』という国語辞典には、「報い」という言葉の意味が「善行や悪業の結果として自分の身に受ける事柄」と書いてあります。昨日も書きましたが「忠実」という言葉の意味は、こころの中心からよくつとめることでしたね。「忠実」の意味と「報い」の意味を合わせると、「忠実さの報い」は、こころの中心からよくつとめる結果、自分の身に受ける良い事柄、という意味になります。忠実である人は、良い報いを受けることができます。
私たちは神さまを信じる信仰によって救われています。私たちが最も忠実でなければならないことは、神さまへの信仰です。こころの中心から神さまを信じます。そして私たちが神さまから身に受ける最も大切な事柄は、救いです。ですから、最も大切な「忠実さの報い」は、「こころの中心から神さまを信じる結果として、自分の身に受ける神さまからの救い」なのです。
こころの中心から神さまを信じましょう。あなたは神さまからの救いを受けることができます。
3.月曜日:永遠の命
昨日は、最も大切な「忠実さの報い」は、こころの中心から神さまを信じる結果として受ける神さまからの救いだと学びました。そして、今日のテーマは「永遠の命」です。忠実さの報いとして神さまから救われた私たちは、永遠の命を受け取ることができます。
ローマ書6章23節を読んでみましょう。
「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」
ローマ書6章23節では、「永遠の命」の反対の意味の言葉は、「死」です。
次に、ヨハネ福音書3章16節を読んでみましょう。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
ヨハネ福音書3章16節では、「永遠の命」の反対の意味の言葉は、「滅び」です。
「永遠の命」の反対は、「死」や「滅び」です。命の反対は苦しみではありません。
私たちの救いのために神さまが備えておられる永遠は、永遠の命だけです。永遠の命を選ばない人は、死んで永遠に滅んだままになります。命か滅びか、どちらか一方を私たちは選ばなければなりません。永遠の命と永遠の滅びの中間はありません。永遠の命を選びましょう。そして、永遠に私たちを生かしてくださる神さまを信じましょう。
4.火曜日:新エルサレム
昨日は、「永遠の命」というテーマで学びました。永遠の命を私たちが生きる場所は、天国です。聖書には、天国のことを「新エルサレム」とか「新しいエルサレム」とかいう言葉でも書いてあります。
黙示録21章2節を読んでみましょう。「新しいエルサレム」と書いてあります。
「更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。」
新しいエルサレムは、どういう場所なのでしょうか。黙示録21章4節を読んでみましょう。
「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
新しいエルサレムは悲しんで涙を流すことがない場所です。新しいエルサレムは、だれも死なない場所です。では、新しいエルサレムでは、どうして悲しいことがなく、どうして死なないのでしょうか。新しいエルサレムに悲しみも死もない理由が、黙示録21章3節に書いてあります。黙示録21章3節を読んでみましょう。
「そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、』」
新しいエルサレムで悲しんだり死んだりしない理由は、いつも神さまが人と共にいてくださるからです。私たちに永遠の命を与えてくださった神さまが、天国の新しいエルサレムではいつでも私たちと共にいらしてくださるので、新しいエルサレムで私たちは悲しんだり死んだりしません。
天国の新しいエルサレムでの永遠の命を選びましょう。そして、いつでも私たちと共にいらしてくださる神さまが永遠に私たちを生かしてくださることを信じましょう。
5.水曜日:主人の前で清算する
マタイ福音書25章14~30節に、イエスさまが話された「タラントンのたとえ」というたとえ話が書いてあります。タラントンはお金の単位で、1タラントンは約1億円です。
資産家が旅に出かける前、3人の従業員にお金を預けました。1人目には5億円、2人目には2億円、3人目には1億円を預けたのです。1人目は5億円を投資して事業をし、5億円を稼いで、計10億円を蓄財しました。2人目は2億円を投資して事業をし、2億円を稼いで、計4億円を蓄財しました。資産家が帰ってきて清算を始めます。資産家は1人目の従業員と2人目の従業員を、「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」(マタイ福音書25章21、23節)と言って、ほめます。しかし3人目は、預かった1億円を隠していたため、1億円のままです。もしも事業に失敗しても資産家から元金の返納を求められることが恐ろしくなり、1億円が減らないよう地中に隠しておいたのです。資産家は3人目の従業員を叱り、預けていた1億円を取り返して、10億円を蓄財している1人目の従業員に与えました。
私たちは、神さまから預けられている知識や体力や財産を使って仕事をすることができます。学生の場合、勉強が仕事です。専業主婦の場合は、家事が仕事です。だれでもそれぞれの立場で、神さまから預けられているものを使って仕事をすることができます。神さまから預けられているものを使って仕事する人を、神さまはほめてくださいます。「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と、神さまは私たちをほめてくださるのです。
5万円でも2万円でも1万円でも、知識でも体力でも、忠実に使わなければなりません。私たちは神さまを信じています。私たちが信じている神さまは、私たちが忠実に使うために知識や体力や財産を預けてくださっているのです。神さまから預けられているものを使って仕事する人を、神さまはほめてくださいます。「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と。
6.木曜日:賞を得るために
ローマ書8章14~17節を読んでみましょう。
「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。」
私たちは神さまの聖霊に導かれて、神さまを信じることができました。だから私たちは「神の子」です。私たちは神の子ですから、親である神のものを相続する相続人です。相続とは、受けつぐことです。たとえば財産の相続は親の財産を子が受けつぐことです。私たちは神の愛を受けついでいるので、私たちも愛します。私たちは神の権威を受けついでいるので、私たちにも権威があります。私たちは神の永遠を受けついでいるので私たちも永遠の命を生きます。聖霊に導かれて神を信じている私たちは、親である神と同じものを相続する「神の子」なのです。
ローマ書8章32節を読んでみましょう。
「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」
私たちを救うために最も大切な御子イエスさまを私たちに与えてくださった父なる神さまは、御子イエスさまだけでなく、すべてのものを私たちに与えてくださいます。愛も権威も永遠も、どんなものでも、父なる神は私たちに与えてくださっています。私たちは神の子であり、どんなものでも与えられる相続人です。
今日のテーマは「賞を得るために」です。賞は、すばらしいものです。
神さまは私たちに、愛という賞を与えてくださいます。神さまは私たちに、権威という賞を与えてくださいます。神さまは私たちに、永遠の命という賞を与えてくださいます。どんなものでも与えてくださる神さまを信じていきましょう。
7.金曜日:さらなる研究
水曜日に学んだ「タラントンのたとえ」を、もう一度学びます。マタイ福音書25章14~30節を読んでみましょう。
「さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
マタイ福音書25章14~30節には、「預ける」とか「預かる」とかが、何度も書いてあります。
主イエスさまを信じている人なら、だれでもみんな神さまから預かっているものがあります。主イエスさまを信じている人が、だれでも神さまから預かっているものは、神さまの言葉である『聖書』です。
水曜日にも学んだとおり、神さまから預かったものは忠実に使わなければなりません。神さまの言葉を隠す人は、忠実ではありません。神さまの言葉を他の人たちにも伝えて伝道することが、忠実に使うことです。
セブンスデー・アドベンチスト韓国教団で総理を以前しておられた金(キム)大(デ)成(ソン)先生が言っておられました。「だれにでもできる伝道方法がある」と。だれにでもできる伝道方法は、「種まき伝道」です。トラクトやチラシを配るのです。自分の言葉で主イエスさまのことを話せない人でも、トラクトやチラシを他の人たちに配ったり、郵便で送ったりはできます。だれにでもできる「種まき伝道」でトラクトやチラシを他の人たちに配って、たくさんの人たちに主イエスさまのことを伝えてください。
他の人たちに主イエスさまのことを伝える人を、神さまは、ほめてくださいます。「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と、神さまは私たちをほめてくださいます。私たちが他の人たちに神さまの言葉を伝えるために、神さまは私たちに「神さまの言葉」である聖書を預けてくださったのです。