2020年第3期「神のためにたくさんの友人をつくる-喜びを他の人に伝える」
第2課 人を引きつけるあかし人―個人的なあかしの力 仲泊大輔
- 今週のポイント
- 現在の自分の状態がどれほど悪いものであったとしても、イエス様との出会いによって変えられた姿は大きな力のあるあかしとなります。マルコ5章の悪霊に取り憑かれていた男は、イエス様について行きたいと願いましたが、それを許されずその地方に残るように言われました。現代でいうと、12弟子たちは神学部へ進み、秀逸な説教や聖書研究の授け方を学び、このゲラサの男は地方に残ったためにそのような学びはできなかったと言えるかもしれません。しかし、副読本によると、この悪霊に取り憑かれていた男こそ、イエス様が遣わされた最初の宣教師となったのでした。そして、彼の個人的なあかしによって再度イエス様がその地方を訪れた時、大勢の人たちが救い主を受け入れる心の準備ができていました。これと同じように、私たちの個人的なあかしも、イエス様がしてくださったことをあかしするのであれば、想像を超える力があります。
- 「『しかし、彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても信じなかった』(マコ16:11)……イエスの弟子たちでさえすぐには信じなかったのですから、もしだれかが私たちの言葉をすぐに受け入れないとしても、私たちは驚くべきではありません」(13ページ)。この場面で弟子たちは信じませんでした。ですが、その後彼らは議会での取り調べにおいて、「この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは……神が死者の中から復活させられた……イエス・キリストの名によるものです」(使4:10)とあかしをしたのです。マリアたちも、弟子たちも自分たちが出会った復活のキリストをあかししました。つまり、彼らはただ自分たちに起こった事実を話しただけです。個人的なあかしとはうまい話や感動的な話でなくても構わないのです。私たちの身のまわりに起こったイエス様がしてくださった事実は何でしょうか。
- イエス様がしてくださった事実があれば、私たちは黙っていることはできなくなります。復活のキリストと弟子たち同様、パウロも個人的にキリストと出会いました。そして彼はユダヤの一連の王たちの前であかしする機会が与えられました。この王たちは、キリストの復活のことは信じなくても、それを信じているパウロが恵みによってつくり変えられたことは否定できません。私たちのつくり変えられた生活も同様の力があります。私たちは日々、キリストとの交わりを持つことで、あかしにふさわしい者へと変えられていきます。
- ディスカッションのためのテーマ
- 聖書の中の誰のあかしが好きですか?それはなぜですか?
- できる限り最近のキリストとの個人的なあかしは何ですか?