安息日学校部

第1課 聴覚しょうがい者用:鈴木 優人

2020年第2期「聖書をいかに解釈するか」(神の言葉の理解の仕方) 

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第1課  聖書の独自性  鈴木優人

 

1.安息日午後

聖書は40人以上の記者が、1500年以上をかけて書いた66巻からできています。このような本は他にありません。聖書は特別な本です。

4世紀までに書かれた新約聖書の写本(原文を人の手で書き写したコピー)は2万4600点以上現存しています。これは、同じ時代のほかのギリシャ哲学者や歴史家たちの写本よりもはるかに多い数です。ですから、昔の聖書の文章が損なわれずに今も残されている証拠となっています。現在では聖書はたくさん印刷され、たくさんの国の言葉に翻訳され、全世界の95%の人がよむことができる本になりました。

聖書は長い歴史の中で神様がなさった救いの計画と業に焦点が当てられた本です。その中には預言も含まれています。わたしたちは聖書を「生ける言葉」として受け取る必要があります。

 

2.日曜日:神の生ける言葉

申命記32:46〜47はモーセの最後のメッセージ(遺言)です。「あなたがたはわたしが、きょう、あなたがたに命じるこのすべての言葉を心におさめ、子供たちにもこの律法のすべての言葉を守り行うことを命じなければならない。この言葉はあなたがたにとって、むなしい言葉ではない。これはあなたがたのいのちである。…」

モーセがイスラエルの民に最後に残したかったメッセージは、神様の言葉に目を向け、神様の御旨を行うことと、その言葉を子供たちに繰り返し教えることでした。イスラエルの民は「この律法の言葉のすべて」を守るように命じられたのでした。聖書のすべてに忠実でいることとは、神の掟をまもり、イエスのあかしを持つことを意味します(黙示録12:17)。これが、わたしたちが永遠の御国へ入ることを確かなものにするのです。

 

3.月曜日:だれがどこで聖書を書いたのか

いろいろな記者が、いろいろな時代に、いろいろな場所で聖書を書いたということは、いろいろな文化の人々にメッセージを伝えるために神様が働かれていることを意味します。聖書を書いた人には王や囚人、羊飼いなど様々でしたが、この人たちに共通していたことは、神様に選ばれて、霊感を受け、神の民へのメッセージを書いたということです。聖書はわたしたちを教え導くものです。神様が聖霊を通して、語るべきことと、書くべきことを記者に選ばせたのでした。

 

4.火曜日:預言としての聖書

聖書の30%は預言や預言的文書になっています。預言とその成就が聖書の世界観の中心です。神様は未来のことを預言者たちに示されました。

旧約聖書には直接的なメシア預言(救い主キリストについての預言)が少なくとも65あります。聖所やいけにえなど、キリストを指し示すもの(予型論的なもの)も含めればもっとたくさんです。

救い主がベツレヘムで生まれる(ミカ5:1〔口語訳5:2〕)ことや、手足が刺し貫かれる(イザヤ53:3−5)ことなど、具体的な預言もありますが、イエス様の人生と、死、復活についての預言が正確に成就したことから、聖書が神様の霊感を受けて書かれていたことを証明します。イエス様自身も、自分の死と復活、エルサレム滅亡、再臨などを預言されました。これらの預言成就は聖書が信頼できることの証拠です。

 

5.水曜日:歴史としての聖書

聖書には人間の歴史が記録されています。単なる哲学思想ではなく、歴史の中で神様が何をなさったのかを記録したものです。そして神様の行為には目標があります。それは①メシアの約束、②イエス様の再臨 です。

福音書とパウロのあかしは、イエス様が亡くなり、埋葬され、復活し、人の前に姿をみせられたというものです。パウロは、もしこのあかしが否定されるなら、宣教することも、信仰することも「無駄」(I・コリント15:14)だと言っています。弟子たちは、イエスさまが「確かに」復活したと証言したのでした。そして、キリストの復活は、わたしたちも復活の希望があることを保証しています。わたしたちはキリストによって生かされるのです。

 

6.木曜日:人を変える御言葉の力

若くしてユダ王国の王となったヨシヤは25歳の頃、「律法の書」を発見しました。ヨシヤの父アモンと祖父マナセは神を捨て、偶像礼拝をおこなっていたため、律法の書が長い間行方不明になっていたのでした。ヨシヤは律法の書を読むと、いままでユダヤが神の律法に背いていたことを嘆き悲しみました。ヨシヤはすぐに宗教改革をはじめ、偶像礼拝をする場所だった高台を取り壊し、外国の神々の偶像をすべて破壊したのです。ヨシヤはエルサレムの神殿で本当の神だけを礼拝するようにしました。神のことばを発見することで、人々に悔い改めが与えられたのでした。聖書には人を変える力があります

 

7.金曜日:さらなる研究

わたしたちは、聖書を神のみこころについて権威あるまちがいのない啓示として受けとらなければなりません。復活の約束がなければ私たちの信仰が無駄になってしまうのはなぜでしょうか。考えてみましょう。