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第1課 申命記の序文 下村 和美
1.安息日午後
エレン・ホワイトは「主が私達を導いてこられた道と、私達の過去の歴史における主の教えを忘れない限り、私達は決して将来を恐れる必要はありません。」(『レビューヘラルド』1905年10月12日)と言っています。私達が過去に起こった出来事から学ばないとき、過去に犯した同じ過ちを繰り返し、その日、その場限りの生き方をしてしまうことになります。
しかし、過去における神様の知識が増すと、私達の人生における神様の栄光に満ちた目的をはっきりと分かるようになることも事実です。
これから学ぼうとしている申命記についても、イスラエルのこれまでの歩みを考えながら文章を見ていくとき、より申命記の内容を深く知ることができます。更に、聖書の中の申命記は、聖書全体を通して語られている「現代の真理」という考え方に照らし合わせて見ていくと、申命記の中にも聖書の語る「現代の真理」が見えて、その豊かな恵みを味わうことができます。
今週は聖書の中の「現代の真理」を曜日ごとに見ていきます。
2.日曜日:愛し、愛される
聖書には「神は愛である」(Ⅰヨハネ4:8)と書かれています。私達人間の頭では完全に「神は愛である」ということを理解することはできませんが、「神は愛である」という言葉は良い知らせであることは理解できます。
神様が私達を愛してくださっていることに気づかされると、その神様の愛に応えて私達も神様を愛するのです。しかし、神様に造られた天使のルシファーは、神様を愛したくないという気持ちになりました。
私達には自分の思いで自由に「神様を愛したい」という気持ちを持つことも、天使ルシファーのように「神様を愛したくない」という気持ちを持つことも許されています。天使ルシファーは、神様の子供であるイエス様よりも、もっと多くのものが欲しいという気持ちから神様を愛したくないという気持ちになりました。
そこで、天において神様を愛したくない天使ルシファーと「神は愛である」という神様との間でお互いの考えの違いが出てきてしまいました。
3.月曜日:堕落と洪水
天使ルシファー(日曜日の学び)と同じように、神様を愛したくないという気持ちを選んだ人がこの地球にも増えてきてしまいました。この人達は「神は愛である」のだから、自分達も神様と同じように、神様と他の人たちを愛そうとする気持ちが無くなり、天使ルシファーのように、もっと今よりも欲しい、もっと他の人よりも欲しいという気持ちから「常に悪いことばかりを心に思」(創世記6:5)っていると、行動までも天使ルシファーのような悪い行動をとるようになってしまいました。
そこで神様は全世界を洪水で滅ぼし、残った人間に再び神様のような心を取り戻す機会を与えてくれました。しかし、人間は、また悪い心と行動を繰り返してしまい、バベルの塔を建てて、神様を愛したくないという天使ルシファーのような心から神様と他の人々を愛することができない、もっと人より多く欲しいという世界をまたもや造り出してしまいました。
4.火曜日:アブラムの召し
バベルの塔(月曜日の学び)を建てた(天使ルシファーと同じように神様を愛したくない心を持つ)人々が、神様によってこの地上のあちこちに散らされた直ぐ後に、「神は愛である」ことを信じて、その神様の愛を受け取り、神様と他の人々を愛することを選んだアブラム(後にアブラハムと言われる)が現れました。
多くの人が、天使ルシファーのように神様を愛したくない心で満たされた世界の中で、アブラハムは「神は愛である」という神様を信じました。神様を信じたことで、アブラハムは神様から愛をいただき、神様と他の人を愛することができるようになりました。
アブラハムの子孫がエジプトで、天使ルシファーのように神様を愛したくない心で満たされた気持ちでいる大勢の人の中から、神様の計り知れない恵みと力によって救い出されました。そしてエジプトから救い出された人々が、他の人に対しても「『神は愛である』という神様を信じることで、神様と他の人々を愛せる心と行動が神様から与えられる」ということを広める働きを神様から任されることになりました。
5.水曜日:シナイでの契約
火曜日に学んだように、神様を信じ、神様の愛を人々に分け与えるために神様から選ばれたアブラハムの子孫は、天使ルシファーのように神様を愛したくない心を持った人々で満たされていたエジプトから、神様の憐れみの好意によって救い出されました。
エジプトから救い出された時、神様は神様を信じるアブラハムの子孫に対して、本当に神様を選ぶのかどうかを試してみました。神様はエジプトに住むアブラハムの子孫に「今住んでいる家の鴨居と柱に小羊の血を塗る」ようにと伝えました。すると、神様を信じる者は神様の言われた通りに、鴨居と柱に小羊の血を塗り、その家で一番初めに生まれた子供の命が救われました。しかし、神様の言われた鴨居と柱に小羊の血を塗ることをしなかった者の家では、その家で一番初めに生まれた子供の命を失いました。その後で神様は、神様を信じた人々に紅海が二つに分かれる奇跡を見せ、紅海の海の底を通らせて救われました。しかし、神様を信じなかったエジプト軍は紅海の海を渡り切れずに海の中に沈んでしまいました。
神様は、アブラハムの子孫である神様を信じる人々を救うために、何故これほど凄い奇跡的な方法を選ばれたのでしょうか。それは単純に神様を信じたアブラハム、イサク、ヤコブの子孫だからエジプトから救い出したのです。
神様はこのアブラハムと次のような約束もしていました。「すべての民の間にあってわたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである」(出エジ19:5)。神様はアブラハムの子孫が「わたしの宝となる」という約束を果たされるために神様を信じるアブラハムの子孫をエジプトから救い出しました。
神様を信じるアブラハムの子孫を「わたしの宝」と神様は言いましたが、エジプトから救い出したのは、神様を信じるアブラハムの子孫がとても聖かったからでも、正しい人だったからでもありません。ただ神様の憐れみによって神様が一方的に救われました。
神様を信じるアブラハムの子孫が、神様を信じて、神様の愛を自分達が受け取り、最終的に神さまの愛を人々に分け与える者になってくれることを神様は期待しました。
エジプトから救い出され、神様を信じて、神様の愛を人々に分け与えるアブラハムの子孫に、神様は、従う真理である神様の十戒をシナイ山で与えました。指導者モーセは、神様との約束の言葉である十戒を、神様を信じる民に読んで聞かせました。
6.木曜日:背信と罰
水曜日の学びで、指導者のモーセから神様との約束の言葉である十戒を読んでもらった神様を信じる、エジプトから救い出された民は「わたしたちは、主が語られたことを、すべて行います」(出エジ19:8、24:3、24:7)と自分達自身に言い聞かせました。
しかし、聖書の歴史は、神様を信じると言った民が「主が語られたことを」守れなかったことを伝えています。そして神様との約束を守れなかった民は、40年間の荒野での生活に入っていき、神様が勝利の約束をしても神様に従わず、約束の地を受け取ることを拒みました。
7.金曜日:さらなる研究
申命記を学ぶ時に、「現代の真理」である「神は愛である」という神様を信じるグループと、天使ルシファーと同じように、神様の子供であるイエス様よりももっと多くのものが欲しい、人と比べてもっと欲しいという気持ちを持つ、神様を愛したくないといグループがあることを私達は認めて学ぶことが大切です。この神様かルシファーかどちらかを選ばなければならない心が私達の心の中にもあるので、私達は神様に「私には何もありません。助けてください」と素直に祈れる心を持ちたいと思います。