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第1課 私たちに対する神の宣教(その1) 関谷 修一
1.安息日午後
私たちの神さまは、宇宙をはじめ世界中の全てのものを造られたお方です(創世記1:1)。そして、永遠におられ(詩90:2)、今も全世界を支えて(ネヘミヤ9:6)、力に満ちて(歴代上29:11-12)、何でも知っておられる(ローマ11:33)、偉大なる神さまです。その神さまが、宇宙のなかで、どんな時にでも目を注いで見守っている特別なものがあると聖書は言っています。それが「あなた」です。全宇宙のなかで神さまの最大の関心は、ただ、「あなた」なのです(ルカ12:6-7)。今週は、そのあなたと共にいるために命をかけて関心を注ぎ続けられる神さまについての学びです。
2.日曜日:私たちに手を差し伸べられる神
私たち人間は、神さまにかたどって創造されました。人間は愛の神さまと共に生きるように造られています。ですから、いのちの源である神さまから離れるときに、私たちの命はなくなってしまいます。
サタンの誘惑によって、神さまの言葉ではなくサタンの言葉を信じたときに、アダムとエバは罪を犯してしまいました。それは神さまから離れ、迷子になってしまうことでもありました。迷子は自分では、元の場所に帰ることができません。探し求めてくれる方が必要です。
でも褒むべきかな! 罪の木陰で身を隠しながら動けなくなっている人間たちに向かって、神さまは「どこにいるのか」と探し求めて、永遠のいのちを与えるために救いの手を差し伸べて下さるのです。
3.月曜日:私たちと共にいることを切望される神
聖書の神さまのお名前は、「私はいる」です(出エジプト3:14聖書協会共同訳)。牢獄で苦しみを経験していたヨセフと(創39:21)、長男の特権をだましとって夜逃げしたヤコブと(創28:15)、イスラエル人を約束の地に導くリーダーとして選ばれて尻込みするモーセと(出エジプト3:12)、そして、約束の子イサク(創26:3)と、家から追い出されてしまったイシュマエルと(創21:20)、神は共にいてくださり、助け、導き、希望をもって励ましてくださいました。
そして旧約聖書の時代には、神さまは聖所の建設をとおして私たち人間の間に住みたいという願いを実現されました(出エジプト29:45)。
聖所では毎日、犠牲制度を通してイエス・キリストによる贖いが、そして罪人である私たちと共にいたいと願われる神さまとの約束が、繰り返して教えられていました。
4.火曜日:私たちと一体になられた神
今から二千年前に神さまは、「痛み」や「苦しみ」、「病気」や「障がい」、「老化」など、さまざまな罪の影響を受けている私たちと同じ肉体をとって、ヨセフとマリアの子、ナザレのイエスとして生まれて下さいました。さらに多くの人類と共にいたい、一つになりたい、という神さまの願いが実現されたのです。それは、「恵みと真理に満ちた」出来事で(ヨハネ1:14)、インマヌエル=「神は我々と共におられる」という預言の成就でした(イザヤ7:14)。
人間には見えないはずの神さま(一テモテ1:17)が、私たちと出会い(ヨハネ1:41)、その声を「聞」くことができ、「目で見」、「手で触れ」られる(一ヨハネ1:1)ほど人類に近づき、一体となって下さいました。
そして、イエス・キリストが天にお帰りになられた現在は、聖霊なる神さまが私たちと共におられます。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」(ヨハネ14:16)。
5.水曜日:私たちと共にあり続ける神
「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため」(ヨハネ3:16)に、「罪と何のかかわりもない方(イエス・キリスト)を、神はわたしたちのために罪となさいました」(Ⅱコリ5:21)。
だからこそ神さまは、私たちにこう言われます。「わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、/あなたが、地の果てにまでも/救いをもたらすために」(使徒13:47)。
家でも、職場でも、学校でも、私たちは神さまの光です。光であるあなたを見ている人たちがいます。共におられるイエス・キリストを証ししましょう。そして、光はあなたの足もとを照らし、孤独や恐れの中でも勇気を与えてくれるでしょう。「死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」(詩篇23:4)。
6.木曜日:私たちのために戻って来られる神
天国とは、神さまのおられるところです。神さまから離れようとしたり、傷つけあったり、ウソをついたり・・・してしまう、そんな罪でまっ黒な私たちを救い、「どこにいるのか」と今も呼び続けてくださる神さまのいるところです。たった一匹の迷子の羊のような私を救うために、ムチと汚れ、ののしりを受けられて、十字架に架かられたイエス・キリストのおられるところです。
イエス・キリストは言われました、「戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」(ヨハ14:3)と。「・・・いることになる」とは、何と力強い神さまの言葉でしょうか。どんなことがあっても、私はあなたを失うことはできない。「天国で共にいるのだ」という神さまの切なる願いが込められています。私たちを迎えに来られる神さまの心を大切にしましょう。
7.金曜日:さらなる研究
「初めから、神とキリストは、サタンの背信と、この反逆者の欺瞞的な力によって人類が堕落することとを知っておられた。神は、罪が存在するように定められたのではなく、その存在を予見し、その恐るべき危機に応ずる備えをされたのであった。世に対する神の愛はまことに大きかったので、神は、『み子を信じるものがひとりも滅びないで、永遠の命を得る』ために、そのひとり子を与えることを約束された(ヨハ3:16)」(『希望への光』676ページ、『各時代の希望』第1章)。
・職場の人、学校の級友、隣人、お店のレジ係の人、宅配をしてくれる人など、身近にいる人にも神さまは、私たちを通して「探し求め」「近づきたい」とお考えです。どのようにしてその人たちと関係を築くことができるでしょうか。