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第9課 貪欲に対する警告 磯部豊喜
1.安息日午後
今週のタイトルは「貪欲に対する警告」です。「貪欲」は人生を送る上で危険なものです。それはなぜなのでしょうか? 「貪欲」の意味は、辞典によると「欲望をどこまでも追求し、満足することを知らない様子」とあります(三省堂/新明解国語辞典)。
「貪欲」の問題点の一つ目は、盗み、殺人と並ぶほど有害なものであること。
二つ目は、「貪欲」の罪は十戒の第十条にも記されていること。
三つ目は、「貪欲」は、人を神の国から遠ざける憎むべき罪であるということ。「貪欲」は強奪、偶像礼拝、姦通、みだらな行いと共に、人を神の国から遠ざける憎むべき罪として挙げられています。
※今週は、「貪欲」がいかに悪いものであるかという実例と、貪欲に勝つためには何が必要かということを学びます。
2.日曜日:あらゆる罪の始まりの罪?
貪欲のルーツ(元)は、かつて天使長であったルシファーに見られます。ルシファーは何を求めたでしょうか。自分の地位の高さを神よりも高いところに求めました。これが「貪欲」です。「貪欲は宇宙最初の罪」と言えます。
使徒パウロは、「貪欲」のことを、神のとても嫌われる偶像礼拝と同じくらいの罪だと言っています。偶像礼拝は、神ではないものを神の高さに置くことです。
貪欲に対する戒めは、十戒の中で唯一、他人からは見えない心の中への戒めですが、他の戒めと深く関わっています。貪欲に対する戒めは、十戒の他の9つの戒めを破ることへの歯止めとなるのです。
そして「神さまを信じる心」は、人生を満ち足らせてくれますから、「貪欲」という恐ろしい波からの防波堤となります。
3.月曜日:宿営地での忌まわしい出来事
神の民が40年間の荒野生活を終えカナンに入る時に、忘れてはいけない出来事が起きました。
神はカナン人のお城のあったエリコに対し、イスラエル人に劇的な勝利を与えました。しかし勝利の後に、アカンという人の心に貪欲が入りました。戦利品を「欲しくなった」のです。神さまは「戦利品は自分のものにしてはならない」と教えていました。しかし「アカン」の貪欲の罪は、次のアイでの敗北によって分かってきました。アカンには悔い改めのチャンスが用意されていましたが、アカンは自分にくじが当たるまで名乗り出ませんでした。
ところで戦利品を持ち帰った人は他にも多くいました。でもヨシュアが、それを神の宝庫に持ってくるように言ったときに、アカンは自分にくじが当たるまで隠してしまったのです。「アカンは、シナルの高価な衣服を見て、それがほしくなった。彼は死に直面したときでさえ、それを『シナルの美しい外套1枚』と呼んだ(同〈ヨシュア〉7:21)。1つの罪は次の罪へと導いた。そして彼は、主の倉に捧げられた金と銀とを自分のものにした。彼は、カナンの国の初穂を神から奪った。」(『人類のあけぼの』下119ページ)
4.火曜日:ユダの心
聖書の中で最も悲劇的な物語の一つは、イスカリオテのユダの物語です。キリストの愛弟子の一人であった彼が永遠の滅びを選んでしまいました。
ユダは何をしたのでしょう。それは貪欲、すなわち心の欲望の罪でした。高価な香油を主の足にぬり髪の毛で拭いたマリヤに向かって、「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人たちに施さなかったのか」(ヨハネ12:5)とユダは非難します。聖書は「彼がこう言ったのは…彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたから」(ヨハネ12:6)とあります。
人間には誰でも欠点があります。ユダの心は揺れましたが、結局貪欲には勝てませんでした。
どうしたら貪欲の罪に勝利できるでしょうか。貪欲という品性の欠点に勝利するには、神に屈服することが鍵です。人のうちに働く神の力を受け入れることが大切です。人が神に屈服するならば、人は貪欲の罪でも勝利することが出来ます。
5.水曜日:アナニアとサフィラ
初代教会の時の話です。一日で3千人が仲間に加えられ、男性が5千人になったりして教会は成長しました。こうした聖霊の働きをアナニアとサフィラは見ていたに違いありません。少なからず感動した彼らは、人々に良く思われようとして資産を売って神さまに全部をささげると誓いましたが、嘘の献金申告をします。これだけ献げると言いましたが、持ってきたのはその一部でした。「後になってアナニヤとサッピラは欲深い気持ちに負けて、聖霊を嘆かせた。2人は約束を後悔しはじめた。そしてキリストのみわざのために立派なことをしたいという願いで心を燃やしてくれた、新鮮な尊い感動を失った。」(『患難から栄光へ』上72ページ)とあります。貪欲が、良い動機を包み込んでしまいました。その結果、彼らは死んでしまうという大変残念な結末になりました。正直に生きることはとても大切です。
6.木曜日:貪欲に勝利する
貪欲は、高慢(自分が一番)や利己心(自分中心の心)と同じように心の問題ですから、他の人には気づかれません。ですが実に致命的(命を絶たれるほどのこと)であり偽善的(正直でないこと)なものです。
目に見える罪に勝利することは大変です。しかし人間の試練は、目に見えるものだけが罪ではありません。心の中の罪は人に隠すことができますが、神には見られています。どうすればこの罪に勝利できるでしょうか。ガイドに三つの答えがあります。
①神に仕え、より頼み、神の家族の一員になる決心をする。
②毎日、マタイ6:13を含む祈りをささげる。「われわれを試みに遭わせず、悪しき者から救い出したまえ…」(文語訳)
③聖書を定期的に学ぶ。「罪を犯すことのないように、…み言葉をたくわえました。」(詩篇119:11、口語訳)
※心を守るためには、外からの助ける力が必要です。
7.金曜日:さらなる研究
最後に、アナニアとサフィラが滅ぼされた理由を書いた一文を紹介します。
「信徒たちは急速に増えていった。この信徒数の急増するなかで、神に仕えることを表明しながら、富を礼賛している男女が加えられていたとすれば、教会は危機に陥ったであろう。この刑罰は、人は神を欺くことはできない、また、神は心にかくされている罪を見通しになられて、欺かれることがないことを立証した。…神が貪欲や詐欺や偽善を憎むことを示されたこの実例は、初代の教会ばかりでなく、後に続くすべての時代に対して与えられた危険信号であった。」(『患難から栄光へ』上73~74ページ)