第8課 見えない方を見つつ 金城博明
- 今週のポイント
日曜日・・・ガイドの冒頭に「神が私を愛しておられるなら、なぜ私にこんなことを許されるのだろうか」とあります。過去の経験で祈っていたのに期待通りにならなかったことはありませんか? その時、神などいないのではと疑問を抱いたことはありませんか? その時こそ信仰の出番です。万事を益として下さる神、私たちの為にイエスを死に渡された神を覚えましょう。
月曜日・・・イエスは弟子たちに「何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう」(ヨハネ14:14)と言われました。しかし、ヨハネは別の箇所で「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れて下さる。」(Ⅰヨハネ5:14)とも言っています。わたしたちの祈りは自己中心的な所はありませんか?神の御心に適っていますか?確かにイエスの御名による祈りはどんな祈りでも天に届きます。しかし、祈りの内容によって神は、今は待ちなさい、又は別の答えを下さる事があることを覚えましょう。
火曜日・・・復活の力は私たちの希望です。イエスが復活されたからこそ私たちも復活の希望があります。しかし、復活の力は今の私たちの信仰生活にも現されるものです。バプテスマを受けた時、水の中で一度、象徴的に死を経験します。水から上がる時、私たちは復活の新しい命をいただきます。これは私たちの生き方が神の復活の力によって新たに造り変えて下さる約束です。人間は自分で自分を変える事は不可能です。しかし、そこに神の復活の力が働かれ、どのような人でも新しく生まれ変わることが出来ます。
水曜日・・・皆様の今の心配事は何でしょうか?御言葉は「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけてくださるからです。」(Ⅰペトロ5:7)とあります。私たちは祈った後にも関らず思い煩い続ける事はありませんか?神にお任せするのはなぜ難しいのでしょうか?その理由の一つは、自分がだれよりもその問題をうまく解決できると思っているからです。特に若ければ若い程、自分の力に頼る傾向は強いと思います。パウロは経験上、死ぬ思いを経験して心から神に頼るように至ったと言っています。少しでも早く、あなたがたのことを心にかけてくださる神に諸問題をお任せしましょう。
木曜日・・・祈りがきかれているように思えない、神が共におられるのを感じない、このような時、私たちはどうしたら良いでしょうか?「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブライ11:27)とあります。神が近くにおられないと感じるような時も確かにあります。しかし、そのような時も御言葉の約束を信頼すること、また同時に過去に神が私たちにして下さった御業を思い起こすことも大事です。
- ディスカッションのためのテーマ
- 今までの信仰生活の中で神の存在を疑った経験、その局面をどのように乗り切ったのかを皆さんでシェアしてみてください。
- 若い時は何でも自分の力を試したいし、自分の力で乗り切れると感じることがあります。しかし、聖書には全て神に委ねなさいとあります。どのようにしたら自分に頼らずに神に頼ることが出来ますか?