安息日学校部

第9課 聴覚しょうがい者用: 柳 鍾鉉

2019年第3期「この最も小さい者ー助けを必要としている人たちへの奉仕」

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第9課 新約時代の教会の奉仕 柳 鍾鉉

 

1.安息日午後:今週のテーマ

イエス・キリストは大宣教命令(マタイ28:18−20)の中で新しい教会共同体に関して触れています。それは新しい任務のように見えますが、公生涯の中でイエスが弟子たちと一緒にすでに取り組んでおられた使命の継続であります。

 

2.日曜日:新しい種類の共同体(使徒言行録2:42−47、4:32―37)

初期の教会共同体は福音を宣べ伝えることと社会的に困窮している人たちを助ける働きを同時にしました。特にやもめたちへの日々の食事の分配です。このような実務的な事柄をより忠実に行うために7人の人が任命されました。これは初期の教会共同体が「あなたがたのうちに貧しい者はなくなるであろう(申命記15:4)」という神の教えを真摯に受け止めたことになります。

 

3.月曜日:ドルカスの奉仕とあかし(使徒言行録9:36)

キリストの福音を聞き、受け入れた弟子の中にヤッファの町に住むドルカスという女性がいました。彼女はイエスの信仰と奉仕を担う献身的なクリスチャンとして困っている人や貧しい人を助ける働きをしました。彼女の忠実さ、行動力、他者を重視する態度は、地元の町を越えて広く認められました。しかし献身的な奉仕をした彼女も病気や死から免れることは出来ませんでした。ペトロがドルカスのために祈り、神は彼女を復活させられましたが、これは他者に奉仕するために献身する人の場合でも、必ずしもその人生がいつもうまくいくという保証ではないことです。

 

4.火曜日:分かち合いの手段としての施し(Ⅱコリント8:7―15)

異邦人の世界に福音を宣べ伝えるために神に選ばれた伝道者パウロは福音伝道と共に貧しい人たちを助ける働きに忠実でした。彼は奉仕をした至る所で、この重要な点に従い続けました。実際、パウロは飢饉でエルサレム教会が大変困窮していたときに、マケドニア地方の教会を回って募金を集めてエルサレム教会を助ける手本を示しました。パウロは自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてあげたことで神をほめたたえました。(Ⅱコリント9:13)

 

5.水曜日:正しく生き、愛すことへのパウロの指針(ローマ12章)

パウロはローマ12章で実際的な言葉を用いて、クリスチャンの生活がどういうものであるかを説明しています。それは自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして献げることです。神が喜ばれる聖なるいけにえとは何でしょうか? それは神のために聖別された人生です。神の御心に生きる生き方です。それは信仰の共同体の一員として神に仕えることです。(ミカ書6:6−8参照)

 

6.木曜日:「義人」ヤコブ(ヤコブ2:1−9、5:1−6参照)

ヤコブはイエスの義兄弟でエルサレム会議の議長を務めたエルサレム教会の指導者でした。彼はヤコブの手紙の中でクリスチャンの読者に御言葉を行う人になることを大変強調しています。真の信仰は真の行いが伴うからです。言葉だけの信仰ではなく、実際の行いがある信仰こそが神に喜ばれる信仰なのです。ヤコブは「みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です」(ヤコブ1:27)と話しました。

 

まとめ:

新しい教会共同体の働きはイエス・キリストが模範として示されたように困窮している人たちを助けることであり、それを通して愛の神をこの世に正しく証することです。

 

「救い主は、悲しみに満ち、試みられている魂を世話することのできる教会を建てるために、ご自分のとうとい生命をお与えになった。信者の群れは、貧しく、無教育で、無名の人たちかもしれない。しかしキリストのうちにある時、彼らは、家庭において、近隣において、教会において、また遠い地方において働くことができ、その結果は永遠と同じように遠大なものとなる」(希望への光、1011ページ)