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第8課 命を選ぶ 松枝重則
1.安息日午後
私たちは神が与えて下さる永遠の命に繋がる選びを日々しているでしょうか。永遠の命を選んだと思っても、「自分の望みをかなえられないであろう」選びが沢山あります。神だけが与えることのできる命の選びについて学びます。
2.日曜日: 命の木
生まれてくることを願って生まれてきた人は一人もいません。生まれる場所も、時も、両親も選ぶことはできません。
しかし、神は人を神に似せて作られました。そして今、神は私たちが生き続けるかの選びをお与えになっています。イエスと十字架の死を信じて永遠の命を得るのか、選びが与えられています。神に従い永遠に生きるのか、神を信じないで永遠の死を選ぶのかは私たちの選びです。アダムの時から、神はいつも人間に選びを与えられています。日々の選びは命に繋がっているでしょうか。
3.月曜日: 中立の立場はない
死(滅び、罪、肉、御子なし、砂の上)と、命(永遠、霊、平和、御子、岩の上)のどちらかしか、選ぶことはできません。永遠の命か永遠の破滅かのどちらかです。どちらを選ぶかは、私たちの選びにかかっています。
4.火曜日: 命と幸い、死と災い、祝福と呪い
神は神の民が神を信じないようになることをご存じでした。そして、神の民が神を離れたとしても、悔い改めて神に戻ってきたらかならず命を得ることが約束されていました。(申命記30章16節)
神はとても簡単な問題を与えられています。命と死のどちらを選びたいか、神は私たちにいつも問いかけています。
神は死を選んで欲しくないと思っておられます。命を選ばなければ、必ず死を選ぶことになります。
どうすれば命を選ぶことができるでしょうか。それは「主を愛し、御声を聞き、主につき従」うことです(申命記30:20)。
5.水曜日: この戒めは難しすぎるものではない
どんなに悪いことをしたとしても、悔い改めて心から神に聞き従うならば必ず命を得ると約束されています。(申命記30:1-10)。難しすぎる神の命令はありません。パウロも「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる」(ローマ10:9)と書いてある通りです。イスラエルは命と幸いか、死と災いか、選びなさいと神に言われました。神は今も私たちに命と幸いか、死と災いか、どちらを選ぶか尋ねられています。
6.木曜日: 礼拝における問題
命を選ぶために大切なことは、命を与えることのできる神を自分の神とすることです。他の神々にひれ伏し仕えれば、「必ず滅びる」(申命記30:18)と神は言われました。真の神を礼拝して命を得るか、神々と言われる偶像を礼拝して滅びるかのどちらかです。世の終わりに、サタンはサタンを礼拝しない者を殺させます。しかし、愛の神は自分を礼拝すること強制しません。サタンは死の恐怖によってサタンを礼拝させようとします(黙示録13:15)。愛の神は十字架のキリストを掲げて本当の救い主に帰るように招かれます。サタンと神のどちらを礼拝するのが良いかは簡単に分かりますね。
話し合いのための質問:
- 神を礼拝しにくくさせるような日本の文化はあるでしょうか。偽りの礼拝に陥らせるような日本の文化はあるでしょうか。
- 進化論の考え方は礼拝にどのような影響があるでしょうか。
- 永遠の命にも滅びにも関わらない選びはこの世にあるでしょうか。