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第8課 困窮者への宣教 明智信作
1.安息日午後
暗唱聖句のマタイ25:40をまず読みましょう。「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」 このみ言葉は、今週学ぶ、「困窮者への宣教」の根拠となる大切なみ言葉です。
「困窮者への宣教」ということを考えるにあたって、なによりもまず心に思い起こしておきたいことがあります。
神の御子、イエス・キリストご自身が、この世的には、最も小さい者と呼ばれる存在として、ベツレヘムの馬小屋でお生まれになり、やがて、まもなく、ヘロデに殺されないように、両親は、エジプトにのがれ、いわゆる難民生活を送られました。やがて、ヘロデが死んだのち、戻ってきて、ガリラヤのナザレという町に住まれました。そこは、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」(ヨハネ1:46、口語訳)と言われたところでした。
やがて、公生涯に入られてからは、枕する所のない生活を送られました。最後には、呪いの木である十字架におかかりになって死なれました。
このような生涯を送られたイエス・キリストは、困窮者の最もよき理解者であり、彼らの友であり、彼らを愛して下さり、救おうとしておられる、憐れみ深い救い主であることを、特別に心に留めて学びましょう。
私たち自身も、例外ではありません。キリストが、このような生涯を歩まれたゆえに、私たちは、誰一人、このキリストの目に留まらない方はいないし、このお方の愛に信頼することができます。私を愛して下さっているキリストに倣って、私たちも、困窮者の救いのために、キリストと共に、彼らに手を差し伸べる者でありたいと思います。具体的に、どうしたらよいのか、キリストの模範に倣い、み言葉から、学んでまいります。
今週は、神がさまざまな方法で、身体的、精神的、経済的、社会的に困っている人たちをはじめ、地域社会や家族から疎外されている人たちに、私たちの方から近づき、彼らの必要に応えて、信頼を得ることで、彼らがイエスを見出すのを助けることができることを学びます。
この学びにより、自分の周りにいる人たちとのかかわりを通して、彼らがどんな必要をかかえているのか、を知り、その必要に応えるためには、どうしたらよいか、を考えるきっかけとしたいと思います。その際、常に、イエス・キリストご自身が、これらの困窮者の最も良き理解者であり、常に、彼らの友であられること、そして、いつでも助けようとしておられる、憐れみ深い救い主であられる、ということを覚えたいと思います。
2.日曜日:友人の信仰
ルカ5:17-26には、中風を患っている人を助けようとしている数人の男たちが、イエスの下に連れて行けば、いやしていただける、と信じて、病人を床に乗せて運んできたことが記されています。ところが、イエスのおられる家の周りは、群衆で取り囲まれて、中に入ることができません。そこで、屋根に上って瓦をはがし、家の中におられるイエスの前に、病人をつり下ろします。これには、大変な労力がいりました。イエスの下に連れて行けば、いやしていただける、と信じる信仰があったからこそできたことです。さらに、寝たきりの病人を屋根の上まで運び、病人を落とさないように、バランスを取りながら、ゆっくりゆっくりと降ろすには、大変な労力を要しました。それでも、なんとかしてこの病人を助けようとした男たちの行動を、病人はどんなに嬉しく、有難く思ったことでしょう。さらに、イエスご自身、病人と彼らの「信仰を見て」「人よ、あなたの罪は赦された」(ルカ5:20)と言われ、そのあと、この中風の人をいやしておられます。
このいやされた中風の人は、「寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った」(ルカ5:25)とあります。彼は神を賛美する人に変えられています。彼を助けた男たちも、どんなに喜んだことでしょう。彼らの人生は、この経験によって、助けようとした人がイエスから助けを受けることができたこと、さらにこの病人をさえ、お言葉一つでおいやしになったイエスに対する信仰と愛に心が燃やされたのではないでしょうか。一人の中風の病人を助けるのには、大変な労力を要しましたが、その労は報われて余りあるものとなりました。
人を助ける事には、時に、大変な労力を要することがありますが、助けられた人だけでなく、助ける人も豊かに報われることを、このできごとから学ぶことができます。
私たちも、自分達の周りに、どんな人がいて、どのような助けを必要としているのか、にもっともっと心を配っていきたいものです。
3.月曜日:キリストの方法のみ
困窮者を助ける方法について、イエスが示された5つの段階について、エレン・G・ホワイトの言葉は、この課の学びにおいて、特別に心に刻みつけておきたい、大切なメッセージです。
「人の心を動かすには、キリストの方法だけが真の成功をもたらす。人間として歩まれた間、救い主は ①その人たちの利益を計られ、②同情を示し、③その必要を満たして④信頼をお受けになった。そして、⑤『わたしについて来なさい』とご命令になった」(『ミニストリー・オブ・ヒーリング』新装版88ページ、数字は筆者が加筆)。
第一に、私たちは困窮者と交わり、時間を費やして彼らを知り、彼らの役に立とうという意図をもって彼らの必要を理解しなければなりません。
第二に、私たちは、同情を示す必要があります。相手の立場に立って、その人の気持ちに寄り添ってこそ、真の同情が生れます。生まれながら、自己中心の私たちには、口で言うほど、相手に真の同情を示すことは簡単ではありません。ですが、私たちの救い主、また主なるキリストは、自ら、最も小さい者の一人として生きられたので、彼らに対して、一番の理解者であり、限りなく憐れみ深いお方ですので、いつも、祈ってイエス・キリストを心にお迎えし、キリストの心を心として、関われるように、聖霊の助けを切に祈り求めつつ、相手の気持ちに寄り添うように、心がけたいものです。
第三に、相手の必要に応えることです。そのためには、相手と同じ立場に立って、行動することが必要です。イエスは、体の麻痺している人に話しかけ、望んでいることを尋ね、奇蹟を起されました。イエスは、人となられた神であるゆえに、彼の必要をよくわかっておられましたが、それでも、あえて、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねることで、彼の心に希望の火を灯されました。私たちも、少なくとも、相手が、何を必要としているのかを知る事を、何よりも大切にしたいと思います。そうしないと、まとはずれになる可能性があります。相手の気持ちに寄り添う事を心に留めていたいと思います。
第四段階は、相手の信頼を得ることです。私たちが人々に奉仕をし、彼らを助ける時、彼らは私たちを信頼し、私たちの言う事にも信頼するようになるでしょう。このように信頼関係が生れてくれば、彼らは心を開いてくれますので、私たちがイエスのことを語れば、それに耳を傾けてくれるでしょう。
第五段階は、彼らをイエスに導く事です。イエスは困窮者を肉体的にいやすだけでなく、彼らが、ご自身を信じて永遠の命を得ることを望まれました。私たちも、相手の方々が、イエス・キリストを信じて、永遠の命に与かる者となるまで、聖霊の助けと導きを祈りつつ、かかわりを続けていきましょう。
4.火曜日:移民と難民
国連広報センターのレポートによれば、国際移民、すなわち出身国以外で暮らしている人々の数は2019年、2億7200万人を数え、世界人口の3.5%を占めているそうです。確かに、今日、助けを必要としている人たちが、非常に多い、ということがわかります。
この問題に関連して、ガイドに「イエスは難民でした」と指摘されている事は、とても興味深い、また大切な指摘だと思います。今日の難民が直面するのと同じような困難を、イエスご自身が体験されている、ということは、難民である人たちにとって、大きな慰めと支えになりますし、助けようとする人たちにとっても、大きな励ましとなることだと気づかされます。
私たち日本人には、近くに移民や難民が暮らしている、というケースは少ないかもしれませんが、なんらかの理由で、母国を離れて暮らしている人たちは、私たちの周りにも、昔よりは、ずうっと多くなっていると思います。そんな人たちとのかかわりを持つように、キリストは、自ら難民生活を体験され、さらに、私たちにも彼らとかかわるように励ましておられます。
「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ25:40、口語訳)とのみ言葉は、私たちが、助けを必要としている人たちに手を差し伸べる、大きな動機づけとなるのではないでしょうか。
信仰の目で、助けを必要としている人たちのうちに、キリストを見ることができ、キリストにお仕えするように、その人たちにかかわれるように、祈り求めていきましょう。
マタイ25:40をいつも念頭に置いて、日々、すごさせていただきましょう。
さらに、私たち自身、来るべき神の国、天にあるふるさとに帰る事を待ち望んでいる者であり、この地上では旅人であり寄留者である(ヘブル11:13参照)ことも覚えていたいと思います。
5.水曜日:傷ついている人を助ける
問4 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由に(す…るためである)」(ルカ4:18,19)
2017年の日本人の年代別の死因を見ると、10歳から44歳までの死因の第1位は、自殺です。とても悲しい事実です。WHOは、自殺の主要因はうつ病であるとし、うつに苦しむ人が全世界人口の4%を越えながら、その多くは正しい診断や適切な治療を受けられていないと指摘し、早急な対策の必要性を強調しています。日本でも、うつ病の患者数は右肩上がりで増えています。確かに、人々は傷つき、苦しみ、もがいています。
人々の暮らしは、物質的には、昔よりもはるかに豊かになっているにもかかわらず、心が傷つき、鬱に苦しむ人が非常に多くなっているのは、人と人との絆が、もろくなっていること、愛し愛される関係が、きわめて弱くなっている、ということと深く関係していると思われます。
人間は、愛の神にかたどって造られていますので、愛し愛される関係がなければ、真の満足、喜び、平安が得られません。
私は、信仰を持つ前、いわゆる友人といえる存在はいましたし、表向きには明るくふるまっていましたが、本当に心を開ける友人がいない、と感じていました。教会に行くようになり、キリストと出会えたこと、また、同じ信仰を持つ方々との交わり、特に祈り合える人たちが与えられたことは、大きな喜びであり、慰めであり、励ましとなりました。同じキリストを信じる信仰によって神の家族の一員とされていることは、私にとって、神を知る以前には想像もできない、喜びと安心感をもたらしてくれています。
限りない愛と憐れみに富み給うキリストと出会い、このキリストが、自分のことを常に心に留めて愛し、いつも共にいて下さる救い主と信じる信仰を賜ったことで、どれだけいやされ、慰められ、励まされてきたか、わかりません。
その意味で、傷ついている人たちに近づき、寄り添い、彼らのために祈り、教会にお誘いすることは、最大の助けになると思います。聴くに早く、語るに遅く、寄り添いながら、心の友となることを祈り求めていきたいと思います。命の神、愛と憐れみに富む救い主を知っていただけるように祈りつつ、まずは、友となる関係を築いていくことを求めていきたいものです。
6.木曜日:これ以上に大きな愛
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)。
このみ言葉をお語りになったイエス・キリストは、お言葉通り、私たちを罪から救うために、十字架におかかりになって、ご自分の命を捨てて下さいました。キリストは、ご自分を受けいれる人たちだけでなく、ご自分を信じない、むしろ敵対する人たちのためにも、ご自分の命を投げ出されました。キリストは、その人たちの事をも友と呼んでおられます(マタイ26章50節参照)。
キリストに敵対する人たちはたくさんいますが、キリストにとっては、その人たちも、友でした。キリストは、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23:34、口語訳)と祈られました。ここに、真の愛をみることができます。私たちも、かつては、キリストに敵対し、神なく望みなく生きていました。まだ、キリストを知らず、敵対していた時に、キリストは、私たちを友と呼び、私たちを罪から救うために、あの十字架にかかって死んで下さいました。
この事実に留まり続けること、あの十字架の死によって示された、計り知れない、大きなキリストの愛が、この自分に注がれている、ということを、日々、味わい、かみしめることによってのみ、今度は、私たちも、まだキリストを知らず、敵対していて、全く無関心な人たちや、敵対する人たちの救いのために祈り、彼らに近づいていく第一歩になるのではないでしょうか。
神なく望みなく、虚しく生きていた自分が、今、キリストを知って、信じる者とならせていただいていること、その感謝と喜びを日々、かみしめ、この幸せを、あの人、この友に知ってほしい、との願いを持って、祈りつつ、かかわりを持ち続ける事から、救いの奇跡を見るための第一歩が始まるのだと思います。
ガイドには、【チャンレンジ】として、「あなたの国の外国人やノンクリスチャンについて知りましょう」とあります。近づく前に、まず、関わろうとする人の事を知るのが第一歩です。ここから、始めると同時に、その人のために神の祝福と守りと導きを祈り始めていきましょう。
「神はすべての人を知っていて、あなたが友だちになれる見知らぬ人をご存知です。目標は、彼らの友だちになることで、あなたが彼らを神のもとに導いて、助けることができることを忘れないでください」(ガイドp58)との助言を覚えていたいと思います。
7.金曜日:さらなる研究
「この方こそ、わたしたちの罪、いやわたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです」(1ヨハネ2:2)とあるように、キリストの死は、人種、国籍、貧富、経歴に関係なく、すべての人のためのものでした。このことを、日々の生活において、人種や国籍に関係なく、また貧富や経歴を問わず、どの人に対しても、キリストがその尊い命を捨てて下さったほどに、愛しておられる魂だと、ということを、常に心に留め、刻みつけ、自分がかかわる人たちのために、祈ることから始めましょう。
「私たちに与えられている責任は、異文化の人であれ、困窮者であれ、私たちの快適な環境の外にいる人々への祝福となることであり、それはイエス・キリストご自身からの、交渉の余地のない命令です」(ガイドp59)との言葉を、心に刻みつけて、新たな一歩を踏み出しましょう。