2020年第4期「教育―天国に備える教育」
第7課 教育における礼拝 仲泊大輔
- 今週のポイント
- 「私たちが最も愛し、最も注意を向けて生きていること、それこそが私たちの礼拝しているものなのです」(47ページ)とあるように、礼拝というのは朝夕の10分間や安息日礼拝だけを指しているのではありません。私たちが何を見て、どのように生きているのかということです。セブンスデー・アドベンチスト教会のミッションステートメントには、三天使の使命が含まれており、その中の第一天使の使命は創造主を礼拝しなさいという、真の礼拝についてのメッセージです。もう一度、創造主を礼拝するということが、自分にとってどういうことなのか、自分の生き方にどう表されているのかを考えてみましょう。
- 「詩篇78編のメッセージには、ある種の決意があります。……この『なぞ』という言葉は……『おぼろげな(薄れていく)言い伝え』を意味します」(48ページ)とありますが、これは終末時代に生きる教会にとって重要な意味があるように思います。アドベンチスト教会は1844年の大失望の後に聖書研究によって新たな光が与えられて登場した教会です。その時、再臨運動によって多くの教派から集まっていた人々は、各教派の教理を持ち寄り、何が聖書的であり、何が非聖書的かを話し合ったそうです。詩篇78編にあるように、長いキリスト教の歴史の中で言い伝えは(真理)はおぼろげになっていました。私たちは今もなお、おぼろげになってしまっている真理を明らかにしている最中です。ホワイト夫人は「理解において進展がみられるであろう。なぜなら、この真理は絶えざる広がりを持ち得るものであるからである……われわれの真理の探求はまだ完了してはいない。われわれはこれまでに幾筋かの光を集めたにすぎない」(『アイデンティティーを求めて』18ページ)と言っています。つまり、終末時代の教会の使命はおぼろげになっている真理をさらに探求し、神様を礼拝する生き方をさらに明らかにしていくことであると言えます。そのさらなる真理の探究の姿勢とその真理に生きることが私たちの教育ではないでしょうか。
- マルコ7:1-13も時間とともに聖書の真理がおぼろげになっていったことを示唆しています。実際に当時の宗教指導者たちは、人間の教えによって聖書の言葉をねじ曲げていました。「あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている」(マルコ7:13)。このことは、私たちにも起こっています。この場面でイエス様は、おぼろげになった聖書の真理を回復させる重要性を指摘しているように思います。これは一般的な教育と聖書の教育の大きな違いであると思います。一般的な教育はざっくり言うと、能力の発展です。それに対して、聖書の教育は「回復」です。私たちの回復された姿はイエス様の似姿です。イエス様はおぼろげな真理ではなく、明確な御言葉の真理に生きていました。そして、その真理に従う生き方によって、神が愛であることを示しました。だとするならば、私たちもさらなる真理の探求によって、イエス様のように愛する生き方につくりかえられるということではないでしょうか。つまり、さらなる真理の探求というのは、イエス様の愛を実践する生き方を目指す私たちにとって必要不可欠です。そのイエス様の愛する生き方こそ、私たちの礼拝ではないでしょうか。
- ディスカッションのためのテーマ
- 日曜日を参考にしながら、第一天使の使命である創造主を礼拝するということはあなたにとってどのような意味があるかを考えてみてください。
- 人間の教えを信じていたけれども、聖書の真理がはっきりわかることで、自分の考えが変わったという経験はありますか?(進化論を習っていたけれども、創造主を知ったなど)