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第7課 律法と恵み 山口健太
安息日午後
律法と恵みというテーマは聖書全体に見ることができます。今週は申命記においてこの律法と恵みというテーマがどのように表されているのかについて学びます。
2.日曜日:天の律法
道徳的存在として人間は造られました。これはすなわち、神様に従うか、従わないかを自分の意志で選択する自由が与えられているということです。その選択の基準が道徳律です。道徳的存在には道徳律が必要なのです。(「律法がなければ、何が道徳的であるかないかを定義するのでしょうか」本文より)この日曜日の学びでは、神様が用いられる道徳律について、それが天においても存在しているということが強調されています。
エゼキエル28:15,16に書かれているルシファーの堕落の様子に注目してみて下さい。天における出来事であるにも関わらず、「不正」や「罪を犯した」という言葉が用いられていることは興味深い点です。このことは神が天使たちのためにも道徳律を持っておられることを示しています。
エレン・ホワイトは、神様の御心を表しているのが律法であると説明しています。律法について学ぶことは、神様の御心について学ぶことであり、神様が求めておられる生き方について学ぶことです。「神のご意志を知ることは、天使たちの達しうる最高の知識であり、神のみこころを行うことは、彼らの力を働かせる最高の奉仕である。」
3.月曜日:申命記の律法
申命記には律法に忠実に従うことを求めるモーセの呼びかけが幾度となく繰り返されています。(問3の聖句参照)イスラエルの民にとって律法への服従は神の愛に応える上でそれほど重要なことでした。私たちも同じです。神の恵みに対する応答として私たちは律法に従うのです。
応えることができるということを祝福と捉えて考えてみて下さい。イエスが十字架上で示された計り知れない愛に私たちは律法に従うことによって応えることができるのです。これは喜ぶべきことではないでしょうか。「僕は王様に何をあげたらいいだろう」という少年の問いから始まる讃美歌が思い浮かびます。この小さな私たちのためにあれほどの犠牲を払ってくださった方に対して何もできないと思うかもしれません。しかし、私たちの小さな献身を神様は自身の愛への応答として喜んでくださるのです。
4.火曜日:あなたのしあわせのために
火曜日の学びのポイントは非常にシンプルです。申命記10:12,13から分かるように、律法に従うことを神様が求めておられるのは、私たちが幸いを得るためであるということです。「あなたが幸いを得ることではないか」という13節の言葉に神様の滲み出る愛が表されています。神様は私たちを造られたお方です。私たちを造られたお方が、私たちにとっての最善を最もよく知っておられるというのは考えてみれば当然のことです。神様の律法に従うことを窮屈に感じたことはあるでしょうか。そのような時に神様の「あなたが幸いを得ることではないか」という言葉を思い出してみて下さい。この言葉を信じて従う時、律法への服従が私たちの幸いのためであることを体験することができるはずです。
5.水曜日:エジプトの奴隷
申命記に何度も登場するテーマは、主がイスラエルの民をエジプトから救い出されたというものです。申命記5:12~15には十戒の第四条が記されていますが、ここにはすでに与えられた戒めが拡大されているのを見ることができます。すなわち、モーセはここで安息日を創造の記念だけではなく、贖いの記念として守ることを命じているのです。
ここで強調されているのは、恵みによって受けたものを、他の人にも与えるという神の律法における中心思想です。14節には、子供や家畜、寄留者や奴隷さえも安息日による休みを得ることができると書かれています。私たちが神の大いなる恵みによって救われた者であることを考えるとき、他者との接し方は変わっていくはずです。
6.木曜日:あなたの義のためでなく
信仰による義というテーマについてエレン・ホワイトは、「土の塵から造られた人に栄光を着せられる神の御業である」としています。そしてこの信仰による義という真理を申命記9:1~6の中に見ることができます。すなわち神様はイスラエルの民が正しく、心がまっすぐであるから救われたのではないのです。救いは絶対的に神様によるみ業なのです。
7.金曜日:さらなる研究
造り主は、造られたものよりも偉大であるという原理があります。宇宙にある2兆個の銀河とそれを成す1,000億個の星があります。私たちには到底想像もつかないスケールの大きさです。それら全てを造られた神様が私のために人となって苦しみを背負って十字架で死なれたことを考える時、言葉を失うほどの感動を覚えます。