安息日学校部

第7課 聴覚しょうがい者用:吉村 忍

2021年第3期「キリストにある休み」 

PDFダウンロード ルビ付きはこちらからご覧ください

第7課  休み、関係、そして癒やし  吉村 忍

1.安息日午後

今週は、赦しと、赦しが人間の不安な心に何を与えるかを学びます。

今週は、先週の第6課に引き続いて、「ヨセフ物語」から学ぶことになっています。聖書を読みたいと希望なさる方から、「聖書はどこから読んだらいいですか?」という質問を受けることがあります。その時に、お勧めしている聖書の箇所の一つが、「ヨセフ物語」です。

ヨセフ物語が私たちに告げているテーマは「赦し」と「救い」です。

 

2.日曜日:過去と向き合う

ヨセフ物語は、ヨセフのお兄さんたちが穀物を買いにエジプトに来るところからストーリーが変わっていきます。エジプトに来たお兄さんたちを見たヨセフは、すぐにお兄さんたちだとわかりました。しかし、ヨセフはお兄さんたちを「回し者」と呼び、お兄さんたちを試します。

弟のベニヤミンがいないことに気づいたヨセフは、ベニヤミンのことを聞き出そうとします。このことから、兄ヨセフが弟ベニヤミンのことをどれほど思っていたかが伝わってきます。

またヨセフは、お兄さんたちを前にして、その昔、自分が見た夢(お兄さんたちの束が自分の束にひれ伏したこと、太陽と月と11の星が自分にひれ伏したこと)が今、現実のものとなったことに気づきました。

 

3.月曜日:お膳立て

総理大臣から、「お前たちのうち、誰か一人を行かせて、弟を連れて来い。それまでは、お前たちを監禁し、お前たちの言うことが本当かどうか試す。」と命じられたお兄さんたちは、兄弟全員で苦しみを共にすることを選びました。彼らは、3日間牢獄で監禁されました。

ベニヤミンと再会したヨセフは、どんなに嬉しかったことでしょうか。ヨセフが兄弟たちと食事をした時、ベニヤミンの食事は他の兄弟よりも5倍の量でした。ヨセフは、ベニヤミンをひいきした時に、お兄さんたちが嫉妬心を抱くかどうかを試しました。

 

 

4.火曜日:赦し、そして忘れること

マタイ18:21~35の「仲間を赦さない家来」のたとえは、弟子のペトロがイエス・キリストに、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」と質問したところが始まっています。ペトロの質問に対して、イエス・キリストは「七回どころか、七の七十倍までも赦しなさい。」とおっしゃいました。

このたとえの中に出て来る莫大な借金をしている家来は、王の憐れみによって赦され、借金を帳消しにしてもらいました。しかし、赦してもらった家来は、自分に借金をしている仲間のわずかばかりの借金を赦さず、借金を返すまで牢に入れたのです。

「あわれに思ってしもべの負債をゆるした王は、キリストを表わしている。」とホワイト夫人は『キリストの実物教訓』p.220に書いておられます。

私たちがいつも心にとめておくべきことは、私たちは皆、イエス・キリストによって罪を赦していただいた存在であるということです。自分が罪を赦された者であることを感謝し、喜びを経験する時に、私たちは他の人もイエス・キリストによって罪を赦された人であるという思いに導かれ、他の人の罪を赦せるようにしていただけるのです。

 

5.水曜日:赦すためにすべきこと

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)イエス・キリストが祈られたこの祈りは、究極的な祈りです。

ホワイト夫人は、『各時代の希望』下巻、p.262に次のように書いておられます。「イエスは、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』と、敵のために祈られた(ルカ23:34)。・・・キリストは、彼らの無知と罪をあわれまれた。イエスは、『彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』と、彼らのゆるしを嘆願されただけであった(ルカ23:34)。」

ここで、私たちがおぼえておきたいことは、十字架上でのイエス・キリストの祈りの「彼ら」の中に「私」がいるということです。イエス・キリストの祈りには、すべての罪人が含まれています。

イエス・キリストは山の上での説教の中で、「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)。とおっしゃいました。

イエス・キリストはそのご生涯において、自分に悪口を言う者や攻撃してくる者に対して呪いの言葉を言ったり、復讐なさったりしたことはありませんでした。そのお姿は、十字架上においても全く変わりませんでした。イエス・キリストは罪を徹底的に憎まれ、罪人に対してあらわされた愛と憐れみは人間の想像以上のものでした。私たちは、敵のために祈る者としての役割が与えられています。

 

6.木曜日:赦しの後に見いだす休み

「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。・・・わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です」(創世記45:4、5、8)。ヨセフは、自分を奴隷に売ったことで罪の重荷に苦しんできたお兄さんたちの胸の内を知って、愛に満ちた言葉をかけました。

お兄さんたちについて、ホワイト夫人は『人類のあけぼの』上巻、p.259に「十人の兄弟たちは、もうひとつ身を低くしてなすべきことがあった。彼らは、長年父の生涯を苦しめ、また、彼ら自身の生活を悲惨なものにした欺瞞と残酷な行為とを父に告白した。」と書いておられます。

ヤコブの死後、ヨセフは自分たちを恨み、仕返しをしてくるのではないかと恐れたお兄さんたちに対して、次のように言いました。「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」(創世記50:20)。

神様の助けを通して、ヨセフはお兄さんたちの罪を赦し、お兄さんたちは長年苦しめてきた父親に自分たちの罪を告白し、ヤコブの家庭に真の休みが与えられました。また、崩壊していた家族の関係が回復し、家族は神様による癒しを経験しました。

 

7.金曜日:さらなる研究

ホワイト夫人は、『人類のあけぼの』上巻、p.271に「ヨセフの生涯はキリストの生涯を代表している。」と書いておられます。ヨセフの生涯とキリストの生涯のどの点が共通しているのかを学んでみましょう。