第7課 悪の問題(2月15日) 亀山友樹
1.安息日午後
[暗唱聖句]
「彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」(黙示録21:4 新共同訳)
★今週は聖書の神が完全に善であり、私たちの堕落した世界に悪がまん延して(私たちがいるこの世に悪が広がって)いるのにも関わらず、なぜ私たちが神様に信頼できるかを学びます。
2.日曜日:「主よ、いつまででしょうか」
「わたしの魂は恐れおののいています。主よ、いつまでなのでしょうか」(詩編6:4 新共同訳)
悪いニュースや悪いことが非常に多く、私たちはそれを聞くたびに、心を痛めてしまいます。しかし神様は私たち以上に心を痛めているのです。それはキリストの十字架での痛みによって理解することができます。キリストは多くの人に傷つけられ、※罵声を浴びながら十字架に架かられました。人の悪い部分(罪)によって十字架に架かりました。その罪を取り除くためにキリストは十字架で愛の生き方を示されました。ここで罪に終止符が打たれ、キリストによって完全勝利を得たのです。私たちはキリストの愛に生きる時に、「主よ、いつまででしょうか」という罪の終わりを求める祈りに加わるのです。
※罵声を浴びながら:大声で傷つけるような言葉や悪口を言われること
3.月曜日:知らないことがたくさんある
「『これは何者か。知識もないのに/神の経綸を隠そうとするとは。』そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた、驚くべき御業をあげつらっておりました。」(ヨブ記42:3 新共同訳)
ヨブは多くの苦しみを経験し、つらい思いをしましが、ヨブには知らないこと、理解できないことがたくさんありました。私たちも多くの苦しい時、つらい時を経験し、愚痴を言いたくなるようなことがあります。しかし、神様は私たち人間側からすると理解できないようなことをなさるお方です。神様は私たちを神様の愛の御計画の中で導いてくださっていることを覚えましょう。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28 新共同訳)
4.火曜日:懐疑的な有神論者
「見よ、あなたから遠ざかる者は滅びる。御もとから迷い去る者をあなたは絶たれる。」(詩編73:27 新共同訳)
懐疑的有神論者とは、「神様がなさることには正しい理由があると信じている。しかし、私たちは正しい理由がどういうものであるかを知ることはできない。なぜなら私たちの知識は限られているからである。だから、この世の悪に対して神様がどのように裁くかを知ることができる立場にあると期待してはいけない」と信じる人です。
しかし、今この世の悪が広がっているのを見て、神様に疑問を持ったとしても、最終的には神様の正しい裁きが私たちに明らかにされ、神様の正しい理由を知ることができるのです。ですから何よりも信じて神様と共に生きることが大切です。
5.水曜日:自由意思弁護論
「もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」(ヨシュア記24:15 新共同訳)
自由意志弁護論とは、「被造物(神様に作られたもの)が、神様から与えられた自由意志を間違って使った結果が悪となった」という見方です。つまり神様には悪の責任はありません。
しかしなぜ神様は自由意志をお与えになったのでしょうか? 自由意志がなければ私たちは心を持たないロボットと同じだからです。
私たちは神様から愛されています。そして神様の愛は私たちの生き方の全てまで求められています。それは私たちに幸せに過ごしてほしいからです。しかし、神様の愛によって生きるのか、そうでないかは私たちの自由意思で選ぶことで決まります。皆様は神様の愛によって生きたいでしょうか。それとも自分勝手に生きていきたいでしょうか。
6.木曜日:愛と悪
「現在の苦しみは、将来わたしたちに現わされるはずの栄光に比べると、取るに足らないとわたしは思います。」(ローマ8:18 新共同訳)
神が被造物に自由意思をお与えになったのは、それが愛に必要だからです。悪の原因は自由意思を悪い方に使うことです。この自由意思を悪い方に使うことよって悪が起こったとしても、なお自由意思がなければ愛ではなくなります。私たちは自由意思を悪い方に使うことによって、多くの身勝手な、自分勝手な行為を見ていますし、自分自身が身勝手な、自分勝手な行為を行ってしまっているかもしれません。キリストは十字架の死に至るまで罪のない人生を送られたということは、悪がまん延する(悪が広がっている)世の中で、愛の生き方をすることができるという証明でした。私たちはキリストの愛(神の愛)に生きることが求められています。(悪が広がっている)世の中で、神の愛に生きることは苦しみが伴いますが、神様は将来に希望を与えておられることを忘れてはいけません。
7.金曜日:さらなる研究
ぜひ、人類のあけぼの1章を読み、神様の愛とそれに対する悪の問題について深めてみてください。
「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」(1ヨハネ4:16 新共同訳)